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3章-9.旋律(1) 2021.5.10

 タンタンタンと足音が軽い。ユミは自身の階段を降りる時の足音で新しいメロディーを考えながら、barへ向かう。

 最近はなぜだか頭の中に色々な旋律が浮かぶ。旋律は自分の感情や気分に左右されるらしく、それに合わせたメロディーが唐突にふっと湧いてくるのだ。

 昔聞いたことがあるメロディーなのかもしれないし、たまたま浮かんだものなのかもしれない。


 ユミはbarの扉を開ける。復帰してから1回目の仕事を終え、次の仕事をもらいにbarへ来た。

 この時間であればシュンレイがbarで酒を飲みながら本を読んでいる時間だろう。


「戻りました」

「お帰りなさイ」

「あれ……?」


 ユミはいつもと違うシュンレイの様子に戸惑う。シュンレイの腕には小さな子供が抱えられていた。1歳くらいの子供だろうか。寝ているわけではないが、泣くことも騒ぐこともなく、大人しく抱かれている。


 ユミはシュンレイに近づきその子供を見る。ユミは小さい子供自体をあまり見たことがない。兄弟がいなかったこともあり、見かけるとすれば街中ですれ違うだとか、テレビやドラマで見るくらいだった。実際の子供を間近でみるのは実は初めてかもしれない。


「カサネと言いまス。女の子でス」

「カサネちゃん……。可愛い……」


 黒い髪に糸目。誰がどう見てもシュンレイの子供では……。

 似すぎている。似すぎているのに非常に可愛いということにユミは戸惑いを隠せない。脳みそがバグりそうだ。

 というより、そもそもだ。色々と理解が追い付かずユミは混乱する。こんな小さな子供が今までどこにいたのか。そしてこのタイミングでなぜいるのか。全く分からない。


 ずっとカサネを見ていると、カサネがユミに気が付いたらしく目が合う。カサネは金色の瞳をしていた。カサネはユミを見ると腕をユミの方へ伸ばした。


「ユミさんが気になるようでス。抱っこしてみますカ?」

「え? でも私子供なんて触ったこともなくて……」

「大丈夫ですかラ」


 ユミはカサネを抱っこさせてもらう。

 とても温かい。腕にすっぽりとおさまり、心が満たされていく。これが癒されるという事なのだろう。自然と笑顔になってしまった。

 重さはチェーンソー2個分くらいかななどと思う。小さい手も愛らしい。こんなに小さいのにちゃんと人間の形をしているのだ。可愛すぎて溶けてしまいそうになる。


「普段は雑貨店の2階にいたんですか? 全然気が付きませんでした」

「えぇ。そうでス。このくらいの年齢になるト、色々な人間に触れタほうが良いのデ。少しずつ表に出そウと考えていまス」

「成程」


 子供のイメージと言えば、偏見かもしれないが、よく泣いて暴れて言う事を聞かなくて、四六時中面倒を見続けてノイローゼになる親もいるというようなイメージがある。シュンレイがずっと子供を育てていたという印象が全くない。本当に2階にいたのだろうか。謎が深まる。


「我々、ではない人間の子供は少し特殊です」


 困惑するユミの顔を見てか、シュンレイが説明を始める。


「一般人の子供とは生まれた時から明らかに性質が異なりまス。基本的に泣くことは殆ど無ク成長も非常に早イ。生き残るためにこうしタ特性を持っタと考えられていまス。というより、こうした特性がないと生き残れなかったタという事だと思われまス。また、多少放置されたところで死ぬという事もないのデ。ユミさんが想像するような子育てとは全く別物になるでしょウ」


 にわかには信じがたい。野生に生きる動物などは、確かに生まれた時から立つことができたり、本能で動けたりするものもいる。それと同様に最初からポテンシャルがあるという事なのだろうか。人間として全く別物なのかもしれないとユミは感じた。

 確かに自分の腕に収まるカサネは非常に大人しい。泣く様子もない。初めて会う人間に対して人見知りも無いようだ。ユミはカサネの頬を優しく触る。


「はぁぁ。ぷにぷに。幸せ……」


 完全に骨抜きにされそうである。ユミは、大人しく愛らしいカサネを見ていたらなんだか旋律が思い浮かんでしまった。


「♪~~♪~♪~~♪♪~♪~~♪~♪♪~」


 小さいころに良く聞いたような旋律だ。体をゆっくり揺らしながらつい鼻歌を歌ってしまう。腕の中のカサネはへにゃっと笑っている。どうやらこの旋律はお気に召したようだ。


「カサネが笑うのは珍しいでス……。あまり笑わない子なので」

「この笑顔……。アヤメさん……?」


 この、へにゃっと笑った顔。どう見てもアヤメを思い出す。


「まさか……」


 ユミはハッとしてシュンレイを見る。シュンレイは驚いたような顔をしていた。

 いつもポーカーフェイスのシュンレイにしては非常に珍しい。アヤメとの子という事は知られてはいけない事だったのだろうか。


「ユミさんには分かってしまいますカ。ユミさんの想像の通りでス。カサネは私とアヤメさんの子です」

「アヤメさんの子……」

「アヤメさんの実家は複雑なので、母親がアヤメさんであることは隠し、あくまでカサネは私の子という事にしておいてくださイ」

「分かりました」


 アヤメの実家については良く知らない。ただ、秘密にしておいた方が良いらしい。確かにカサネの見た目だけであればシュンレイの子供としか分からない。言わなければ誰にも分からないだろう。

 ふと、腕の中のカサネに目を落とすと、スヤスヤと寝ている。この寝顔も電車でよくユミに寄りかかって寝ているアヤメにそっくりだ。可愛くて思わず微笑んでしまう。


「カサネちゃん、寝ちゃったみたいです」

「よほどユミさんがお気に召したのでしょウ。警戒心が強いので他の人間がいたら寝るという事もあまりないですかラ。また、ユミさんの歌がよかったのかもしれませン。ユミさんの声と旋律には幻術の効果がありまス。先ほどの鼻歌がカサネの警戒心を解いたのかもしれませン」

「成程」


 うすうす自分の歌や旋律には何かあると思ってはいたが、どうやら幻術の類だったようだ。そういえばザンゾーもそんなことを言っていたような気がする。

 ユミはスヤスヤ眠るカサネを、起こさないようにシュンレイにそっと返す。とても良い体験をさせてもらった。


「次の仕事の書類でス。こちらお願いしまス」

「了解です」


 ユミはシュンレイから仕事の書類を受け取る。アヤメと一緒にこなすSSランクの仕事だ。また以前のようにアヤメと一緒に仕事が出来て嬉しい。少しずつ以前の生活に戻れそうである。

 ただ、心にずしりと居座る問題。生きるために必要な血肉の存在だ。

 どうするべきだろうか……。シュンレイに相談すべきなのは分かるが、なんて説明すればいいだろう。切り出し方も分からない。


「ユミさん、どうかしましたカ?」

「あ、えっと……。なんでもないです」


 顔に出てしまっていたのだろうか。

 やはり言えない。言い出す勇気がない。

 ユミは笑顔でシュンレイとカサネに手を振り、逃げるようにbarを後にした。

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