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3章-8.解放(5) 2021.5.7

「この一週間、血肉食ってねぇだろ。さっき俺の腕抉ったやつ以外。お前の体は一定期間十分な血肉を食わねぇと今みたいな痛みを伴う体への浸食が始まる。完全な化け物になった検体にしか生じないと言われていたが、拠点で心臓を食い荒らしたことで完全にその呪いが発動したと見ている」

「何それ……。意味がわかんない」

「化け物をコントロールするための呪詛だとよ。人間の血肉を食べ続けなければ激痛を伴って死ぬ呪いだ。だから化け物達は人間を殺し続け食い続ける。また人間の血肉欲しさに言うことをきかせることが出来る。そういう仕組みだ」

「何で。今までそんな事無かったのに……」

「拠点でお前はたくさんの人間の心臓を食った。それがトリガーだった可能性が高い。化け物になった奴が初めて『呪詛が掛けられていない人間の臓器』を食べた時、それ以降にその症状が発現しているようだったからもしかするとと思ってな」


 それが本当であれば、自分は人間を食べ続けなければ体内から侵食されて死ぬと言うことだ。


「そんなの嫌っ!!!」

「ユミ。暴れるな。痛みがないだけで体内からの侵食は続いている。死ぬぞ」


 何なんだこの男は。助けたり陥れたり意味がわからない。

 生きてさえいればどんな姿だろうといいと言うことか?

 意味がわからなさ過ぎて気持ち悪い。


「こんな体っ……。嫌っ!! 触らないでよっ!!」


 涙がポロポロと溢れてくる。

 ユミはザンゾーの手を跳ね除け立ち上がる。そしてワンルームの小さなキッチンの前に立つ。キッチン下の戸棚を開けて包丁を取り出した。


 振り返り、包丁の先をザンゾーに向ける。

 ザンゾーを解体して食べてしまおうか。そうすればしばらくこの侵食というものは止まるのだろうから。


「ユミ。俺ぁ殺せないだろ。さすがにお前に大人しく食われてやる気は無い」


 執着とは言えど、結局自分が一番大切なのだろう。それはそうか。執着対象のために生贄になるようなボランティア精神はないらしい。


 やっと帰って来られたと思ったのに。やはり自分が生きる先には地獄しかないのか。確かにそれでも生きたいと願った。

 でも、こんなのあんまりだ。人間の血肉を食べ続けなければ生きていけないだなんて、どうすればいいのだろう。


 何となく感覚で分かるのだ。自分が血肉を欲している事が。そしてそれは生きているか、死んでまもない人間でしか満たせないという事を。

 しかも自分の血液ではダメだった。全く満たされなかった。既に試してダメだったのだ。

 もしやるとすれば、仕事で殺した人間の臓器をその場で食べさせてもらうしか無いのだろう。まさに他人の命を食らって生きる化け物だ。そんな生き方って何なんだ。人間の尊厳とか何も無いじゃないか。


「もう、やだよ……」


 ユミは包丁の刃を自身の首に当てた。

 本当に死ぬ勇気なんて多分ない。そんな大層な事なんて自分には出来ない。自分を支えてくれる人の事を思うと、とてもじゃないけれど死ぬなんてそんなこと出来ない。

 でも、それでも消えてなくなりたい。

 このぐちゃぐちゃの気持ちはどうしたらいい?


 こんな体にしたザンゾーを許すことなんてできるはずがない。殺すことが出来ないならせめて、執着の対象を殺してやる。


 ねぇ。ザンゾー。執着しているんでしょう?

 こんな私に。

 見せてよ。その執着ってやつがどれ程の物なのかを。


 ユミはそんな思いを視線にのせてザンゾーを睨みつける。


 止められるもんなら止めてみろよ。


 ユミは首に刃先を当てた包丁を勢いよく引いた。その瞬間、ドンッと心臓を跳ね上がらせるほど大きな足音が響き、目の前にザンゾーがいた。


「調子にのんなよ。小娘」

「血相変えてどうした……うっ……」


 ザンゾーの右手がユミの細い首を締め上げる。頸動脈を押えられている。脳への血流と呼吸を止められている。


 包丁の刃はユミの首元をほんの少し切っただけで、ザンゾーの左手でがっしりと捕まれ止められていた。包丁の刃でザンゾーの手の平の皮膚が切れたのだろう。ぽたぽたと血液が滴っている。そのまま包丁は取り上げられ、キッチンの流し台へ投げ捨てられてしまった。


 苦しい。脳への血流が止められたことで意識が遠のく。

 ふわふわとした異様な感覚になる。このまま死にそうだ。何だか気持ちがいい。


 時間にしてみれば、首を絞められたのはほんの数秒だったのかもしれない。

 ばっと雑に解放され、ユミはその場で力無くへたりこんだ。

 苦しさで溢れた涙がツーっと頬を伝う。ユミはゆっくりと自身の前に立つザンゾーを見上げた。


「っ……」


 とても怒っている。怖い。酷く冷たい目でゾッとする。

 呼吸が整う前に、ユミはザンゾーに胸ぐらを捕まれ引きずられる。そして、ベッドに雑に放り投げられた。

 起き上がる間もなく、ザンゾーがユミに覆いかぶさり身動きが封じられる。

 血の気が引いた。


「自業自得だ」


 首を抑えられ、無理矢理ザンゾーの口で口を塞がれる。

 手、足、首全て取り押さえられ抵抗など出来ない。呼吸もできず苦しい。


「んーーっ!!!?」


 舌を入れてきやがった。

 こんなの無理だ。苦しい。やめて!


 ユミは力の限り暴れるが全く歯が立たない。


 嫌だこんなの。助けて。涙が出る。

 口の中全て舌で弄られる。気持ちが悪い。


「んーーー!!! んー!!!」


 声すら出せない。

 嫌だ嫌だ嫌だ。助けて!


 呼吸困難でパニックになるも、ばっと唐突に開放された。ユミは思わず自由になった手でザンゾーの顔面を引っ掻いた。そして足でザンゾーを蹴り飛ばす。

 ザンゾーはそのまま蹴り飛ばされ部屋のクローゼットの扉にぶち当たった。


 はぁはぁと呼吸がうるさい。

 蹴り飛ばされクローゼットの扉に背中を打ち付けたザンゾーは味をしめたようにニヤリと笑っていた。


 胸糞悪い。


 ユミは瞬時に起き上がりキッチンの流し台で口をゆすいだ。

 ふざけるな。何なんだこの男は。許せない。


「結局ユミは死ぬなんて出来ずに生にしがみつくしかねぇんだよ。自暴自棄になって諦めたフリか? 可愛いなぁ? 本当に馬鹿馬鹿しい。どこまで行ったって生きたい癖によぉ?」


 本当に嫌な事を言ってくれる。その通りだ。結局自分は生きたくて仕方ないし、自暴自棄にもなりきれない中途半端な普通の人間でしかない。

 必死に抵抗したのが何よりの証拠だ。悔しくても認めざるを得ない。


「かははっ! 飲めよ。俺の血を」


 ザンゾーの左手の手の平を口に当てられる。包丁で切れた傷だ。


「検証では、人間の生き血を飲むだけでもしばらくは持つらしい。ただ、次第に要求量と要求の頻度は増えるようだ。さっさと飲んで生き長らえろ」


 ユミは殺意や怒り、悔しさや羞恥心、全てを飲み込んでザンゾーの血を飲んだ。

 悔しくて悔しくて腸が煮えくり返る思いだが、自分にはこうする選択肢しかない。この血液を飲まなければ生きられないのだから。


 悔しくて涙が出る。血を飲みながらザンゾーを睨み付けるも、ザンゾーはニヤニヤと満足気に笑っていた。

 本当に血液は美味しい。美味しすぎて美味しすぎて、悲しくなる。これを得なければ生きられないなんて、なんて惨めなんだろう。

 ユミは泣きながらザンゾーの血液を貪った。その間ザンゾーはずっとユミの頭を優しく撫でていた。


「ユミ。諦めろ。お前は俺なしじゃ生きられない」

「……」

「大人しく俺の血液だけを飲んでいればいい」

「……」

「分かったな」


 頭が痛い。酷い頭痛がする。

 もしかしてこれは幻術?


 ユミはハッとして、キッとザンゾーを睨みつけた。


 一体何の幻術をかけようとした?


「なんだ。バレたか。流石だな。簡単には懐柔できねぇか」


 ユミはザンゾーの手を払い除け、数歩後退る。

 成程。そのまま同意していたら幻術に掛かっていたのかもしれない。本当に危なかった。人の弱みに漬け込むとは本当にいい度胸だ。


 ある程度血液を飲んだことで、ひとまずは血肉への渇望は収まった。とはいえ、どの程度の頻度で摂取する必要があるのか分からない。


「臓器を食べられれば2週間程度は持つ。血液だけだと2日から3日程度だ。俺に媚びて血液を貰うか、自分で血肉を手に入れるかよく考えるんだな。ちなみに、発作が起きるたびに侵食は進む。発作自体を起こさないようにするべきだ」

「2日から3日……」

「もう今日は寝ろ。おやすみだぁよ」

「え?」


 額をトンと突かれた。その瞬間激しい睡魔が押し寄せる。疲れきった体ではそれに対抗するすべは無い。ユミはそのまま意識を手放した。

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