何でザンゾーがここにいるんだろう。
分からないけれど。
また、血を飲ませてくれるのだろうか。
「何で逃げるの? 心臓もくれるって言ったじゃん」
「言うには言ったな。かははっ! だが、今のユミにはあげられねぇからぁよ」
今の私じゃダメ? 何がダメなのだろう。
「ユミさん。正気に戻ったら美味しいご飯を食べられまス。早く戻って来てくださイ。アヤメさんが待っていまス」
「うっ。うるさい! うるさい! うるさい! お前は誰だ! 黙れ黙れ! 嫌っ……」
また涙が出る。何なのだろう。
どうして涙なんて。
深い湖の底から何かが叫んでいるみたいだ。
聞き取れないけれど凄く苦しい。
黙って欲しい。
私は今最高に楽しいはずなのに。
何で邪魔してくるのだろう。
もっと楽しい事って何? 今の私じゃダメって何?
分からない。
「狂気状態でこれだけ意思疎通ができる時点で驚異だぁね。ただ、随分幼いのが気になるな。本人に届いている気がしねぇ」
「確かに幼い印象でス。子供が遊んでいルようナ」
「流石にこれだけじゃぁ何が起きてるかまでは分からねぇな」
「そうですカ。使えなイ」
「あぁ?」
「最強の幻術師なのでしょウ? さっさと分析しなさイ」
「人使い荒すぎだろぉ!」
楽しい事。楽しい事。
なんだか沢山あったような気がする。
何で思い出せないのだろう。
ほらまた声が煩くなった。
水底から声がしているみたいだ。
でも少し聞き取れてきたかもしれない。
「ユミさん。アヤメさんのお願いを聞いてあげてくだささイ」
「お願い……?」
アヤメさんのお願い。
なんでだろう。
心臓がきゅーって締め付けられる。
なんだかそのお願いだけは、聞いてあげたいな。
何て言われたのだったろうか。
思い出せそうなのに。もう少し。
もう少しで掴めそうだ。
「えぇ。お願いでス。ユミさんに笑顔でいて欲しいト」
「笑顔……」
笑顔なんて……
笑顔なんてそんなもの、出来ない!! それは私じゃ出来ない!
「嫌!!! 何で私じゃないの! 置いていかないで!!! 私の事も助けてよ!!!」
うるさいうるさいうるさい!
なんて言ってるのか分からないけれど、もう聞きたくない!
怒らないでよ!
「番長。もしかしてユミは狂気持ちか?」
「……。よく分かりましたネ」
「幼い頃に封印したか?」
「えぇ。そんな所でス」
「本人は知っているのか?」
「いいえ。両親の希望で伝えていませン」
「知らない方がいいな」
「えぇ」
皆否定する。どうして。
こんな私じゃダメだって。違うって。
戻ってって。酷いよ。
私だって、ちゃんと私なのに……。
「うぅぅぅ」
頭が痛い。ずっと痛い。
水底から聞こえる声が近づいてきている気がする。
いや、違う。私が水の中に飲まれている。
そんな気分だ。でも、やっと聞こえてきた。
凄く優しい声。
その声が語り掛けてくる。
『大丈夫だから』
何が?
『そのままでいいんだよ』
どうして?
『だって私は私だから』
私?
『そう。私』
でも皆違うって言う。
『違くないよ』
戻ってって。私じゃない人を呼ぶの。
『そんな事ない。私じゃない人なんていないよ』
本当に?
『本当だよ。大丈夫だから。一緒に遊ぼう』
一緒に?
『そう。一緒に。この場所でなら一緒に居られるから』
分かった!
『いい子だね。一緒に歌おう。昔みたいに』
うん!
「♪♪〜♪♪〜♪〜♪〜〜♪♪〜♪♪〜♪〜♪〜〜」
この旋律懐かしいね。
昔は沢山一緒に踊ったよね。
もうこれからはずっと一緒だから。
ユミは顔を上げた。そして笑う。
行くよ。
もう、置いてけぼりになんてしないから。
今までひとりにしてごめんね。
そして、今まで代わりに呪いを食べてくれてありがとう。
これからはずっと一緒だよ。
「あははっ。あははははっ! もっと! もっと! もーっと! 遊んでくれますよね? シュンレイさん!」
「ユミさん……!?」
ユミは一気にシュンレイとの距離を詰める。
体術は相棒から教えて貰った。頭の中のイメージを具現化する。いくらでも付き合うとシュンレイは言ったのだ。責任もって付き合ってもらおう。私が満足するまで。
「ユミ。おま。まさか正気に?」
「え? どうだろう。完全な正気とは言い難いかも? いつか絶対その心臓私が食べるから。ザンゾーは覚悟してね!」
「かははっ!」
体がふわふわする。この高揚感は心地よい。脳みそもクリアになって清々しい。視界も良好。
「ちょっと相棒が暴れ足りないっていうので、もうちょっと付き合ってください!」
「良いでしょウ」
「あははっ! ありがとうございます!」
シュンレイとの手合わせは久しぶりだ。相変わらずこの殺気は鋭すぎて身体中がビリビリする。
でも、それも今は心地いい。相棒が喜んでいるから。
狂気が何かは正直分からなかった。だけど多分今それは自分と一緒にいるのは分かる。
遠い昔、置いてきてしまったもの。ずっと忘れていた。でも、絶望して全てを投げ出そうとした私の代わりに、呪詛を受け持ってくれたんだろうなと思う。だからずっと私は私のままでいられたんだろう。
時々顔を出しては助けてくれていた。大事な相棒だ。そして、相棒は私自身。
1度は忘れてしまったけれど、帰ってきた。これからは一緒にいられる。この場所でなら。
「あははっ! あははははっ!」
「今日は体術を教えてあげましょウ。私は容赦しませン。覚悟してくださイ」
「よろしくお願いします!」
ユミは鼻歌を歌いながら、構えるシュンレイ目掛けて駆け出した。