barの下階の運動場に着く。ユミの後ろからはシュンレイとザンゾーも続いて来た。
もし、狂気に勝てなければこの運動場も見納めかもしれない。
「どうした? ユミ。弱気か?」
「私はいくらでも付き合いまス。ユミさんが諦めなイ限り。好きなだけ暴れなさイ」
「かははっ! 番長は太っ腹だぁね。でだ、ユミ。いいかぁ? 狂気を飼い慣らす方法はお前しか分からねぇ。常人には出来ない事だ。さっきは出来ると言い切ったが、成功する確率は10パーセント程度と俺ぁ見ている。キーになるのはお前の歌だ。旋律と音色。声を出せ。後な、狂気に堕ちたとてそれは別の人間になるわけじゃぁねぇ。乗っ取られるような感覚だろうが、実際はお前自身のままだ。理性も狂気も全部お前自身だ。分かったか?」
ユミは頷く。ザンゾーの話が本当なら、狂気も自分自身らしい。湧き上がる化け物は自分自身ということなのだろう。
それが本当であれば飼い慣らす事ぐらいしてやろうじゃないか。自分のことくらい自分でなんとかしてやる。
もし呪詛によって作られた完全な化け物を相手にしなければならないと言われたら自信は無かったが、相手はあくまで自分だ。まだ勝機はある。
「よし。やる気になったな。いくぞ。ユミ。俺の目を見ろ」
ユミはザンゾーを見上げる。赤い瞳と目が合った。
「っ!!!」
その瞬間、体内から異様で禍々しい何かが一気に広がった。込み上げる熱。体を焼き尽くすような熱。腹の底から湧き上がったそれは指先まで広がっていった。
あぁ。心臓が欲しいッ!!
もはやそれしか考えられない。
「あぁぁああぁぁ……」
食べたい。食べたい。食べたい。食べたい。
血肉が欲しい。
目の前にある心臓に手を伸ばす。
それが欲しい。
どうして逃げるの?
どうして。前は沢山食べさせてくれたのに……。
「ザンゾー。代わりなさイ」
「りょーかい!」
お腹空いた。
心臓はここには2個あるみたいだ。
これでおなかいっぱいになれるかな……?
他の臓器でもいっか。
いやでもそれだけじゃ、きっとお腹いっぱいにはなれないよね。
だってこんなに空腹なんだもん。
何度も手を伸ばしているのに一向に掴めないや。
どうしてだろう。何が足りないのかな。
「ユミ。歯ぁ食いしばれ」
「うっ……。あぁぁぁあ!!」
痛い痛い痛い! 脳みそが焼けるように痛い!
額に何か当たったと思う。そして何か見た。
だけどよく分からない。痛いよ。
「ユミ。歌え!」
歌? 歌って……?
あ! そうだ! 歌! 凄く楽しい奴!
「これを1人で押さえ込んでいたとは、信じ難イ……」
「本当になぁ! 自己暗示の沈黙だけで対抗出来るなんて誰も予想出来ねぇ! あぁ、ちなみにだが、あの日ユミは、Aランクプレイヤー29人、Sランクプレイヤー12人、SSランクプレイヤー3人を殺している。しかも、負傷し瀕死の状態でだ。災害レベルだぁよ。呪詛の臓器を食べる毎に身体能力が上がるとは言われているが、他の奴らがここまで強化されたりはしなかった。子供だから伸び率がいいと呪詛師達は見ているらしい」
「その情報を垂れ流す意図はなんですカ?」
「かははっ! 雑談っつっても信じねぇか! さて、もうそろそろもう1発入れる。そん時だけは声が届くはずだからぁよ!」
「分かりましタ」
歌。歌。歌。えぇーっと。
お腹がすき過ぎてわかんない!
「ユミ。耐えろ」
「うっ……。あぁぁぁああぁぁぁあ! 嫌ぁぁ!!!」
何で何で! 痛いよ! 何でこんな酷いことするの!?
頭が壊れる! 止めてよ!
「ユミさん。歌わないと死にますヨ」
「え?」
何だろう。前に似たことなかったっけ?
歌わないと死んじゃうの? それは嫌。
「う゛っ……。かはっ!!」
痛い。すごく痛い。お腹も背中も痛いよ。
「番長は容赦ねぇな。腹蹴り飛ばすとかよく加減できるな」
「いつも手合わせしてますかラ」
嫌だ! 何で痛いのが向かってくるの!?
食べたいだけなのに。
死にたくない! 死にたくない! 歌わないと!
「♪♪〜♪〜♪♪♪〜♪〜〜♪♪〜」
そうそう。これ!
世界がクルクル回るヤツ! 楽しいやつ!
「あははっ! あははははっ! あはははははははっ!」
なんでも出来そうな全能感。体が軽くなる。
あぁ、早く戦いたい。
「やぁっと、お目覚めだ。食欲から戦闘欲に変わったみてぇだな」
体がすごく軽い。これなら行けるよ!
「ユミさん。私はこんな獣のような動き方は教えていませン」
「あははははっ!」
楽しい! 楽しい! 何でこいつこんなに壊れないの?
ずっと遊んでくれるのかな? 嬉しいな!
壊して! 壊して! ぐちゃぐちゃにして!
積み上げるの! 山を作るの!
真っ赤な真っ赤な山を作るの!
殴っても蹴っても全部躱されるのどうして?
ぜんぜん当たらないや。
「流石にこれをまともに食らっタら私でも死にまス。ユミさんが取り込んだ呪詛の仕組みが気になりまス」
「毒物薬物と催眠の混合らしいが、流石にそれ以上は俺も知らねぇな。それこそフィクションで描かれる呪いが使えるやつがいても何らおかしくねぇからな。かははっ! 人間の念は侮れねぇからぁよ」
こんなに当たらないんじゃ。
やり方が良くないのかな?
工夫してみようかな。
「動きが変わりましタ」
「理性が働いてきたんだろうなぁ。そろそろ言葉も通じるかもな」
「なんの話してるの? ちゃんと遊んでよ」
「だってよ。番長」
「分かりましタ」
あははっ! やっと何か本気になってくれたのかな?
殺気? 全身にビリッと来た。
「ユミさん。殺し合いをしましょウ」
「あははっ! 嬉しい!」
わぁ! 凄く鋭い攻撃! 当たったら死ぬやつだ!
早いし隙もないし。最高!
「楽しいね!」
「えぇ。ただ、狂気に勝てたらもっと楽しいことがありますかラ」
「もっと楽しい……事……? ……。うっ……。痛い……。痛い! 痛い! 痛い! あぁぁぁあ!!」
頭が痛い。
もっと楽しいって何? 今より楽しい事なんてあるの?
何か。何かが思い出せそう。
楽しい事したいな。
「約束したでしょウ? 美味しい天麩羅のお店に、アヤメさんと一緒に連れていくト」
「天麩羅……? アヤメさん……? ぁぁぅ……」
何これ。涙? 何で流れるの?
何これ。何これ。何これ。
私、悲しいの?
「ぼーっと立っていたラ、死ぬって言いませんでしタ?」
「きゃっ!」
痛い。足が取れたかと思った。
痛いよ。でも、楽しいな。
もっと。もっと。もっと。もーーっと!
速くならなきゃ!
「♪♪〜♪〜♪♪〜〜♪♪♪〜♪〜♪♪〜」
脳みそがスッキリしていく。
色んなものが見えてきた。
そうか。成程。呼吸ってそうやるんだね。
筋肉もそうやって動かせば良いのか。
成程! 成程!
「旋律が変わりましタ」
「悲しいメロディだぁね」
「あははっ! 分かるよ! 動きが見えるの!」
「また動きが変わりましタ。これは良くなイ……」
体がまた軽くなった。凄い! 相手の動きが分かる!
「ここまで捨て身で来られると、手加減が難しイ」
「そりゃぁまずいな。1発ぶち込むわ」
「分かりましタ」
あれ。もう1人の方が来る。
まぁ。いいか。食べてしまおう。
「ユミ。戻って来い」
「あぅ……。痛いよ!!!!」
また頭が痛くなるやつ。
戻るって何? 何から? 分かんないよ!
「痛てぇ!! ユミ! お前が大好きな舞姫が待ってんだろ!!」
「!?」
舞姫……。舞姫……。アヤメさん……?
「アヤメさんが待ってまス。いいんですカ? 一緒にパンケーキの新しいお店に行くと言っていたでしょウ?」
うぅぅぅ。痛い痛すぎる。
誰? 私の邪魔するの。頭が割れそうだ。
色々なものを流し込んでこないで。
「あぁぁぁあ……」
お前は誰だ! 誰なんだ! 止めろ!
うるさいうるさいうるさい!
今いい所なの! 沢山遊んでいるの! 邪魔しないで!
「ザンゾー。腕は問題ありませんカ?」
「結構深く抉られたが。まぁ問題ない。表面の肉が少し持っていかれたくらいだぁよ」
「暴れる人間相手に幻術入れるなんテ、実に器用ですネ。まだまだ働いて貰わないといけませン。くたばらないでくださイ」
あぁ。血の味がする。
力が湧いてくるなぁ。もっと欲しいなぁ。
この味なんか懐かしい。なんだっけ。
「ザンゾー。食われているようでス」
「かははっ! 美味しそうに俺の肉食ってるな」
「美味しい。もっとちょうだい」
「これはあげたくなる」
「馬鹿なこと言ってないで働きなさイ」
「あいよー」
うーん。何か思い出せそう。
「ユミ。俺の血は美味いか?」
「ザンゾー?」
あれ。ザンゾーがいる。
確か血液全部くれるって。
心臓も食っていいって言ってた!
「あははっ! くたばれ!」
「マジか……」