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3章-7.沈黙(1) 2021.4.26-2021.5.7

「起きてよ」


 嫌だ。とても眠い。まだこうしていたい。


「ねぇ。起きてよ」


 止めて。呼ばないで。放っておいて。


「お願い。お願いだから」


 そんな事言われても。眠過ぎて力入らないし。


「うぅぅぅ」


 その声を聞くとよく分からないけれど、動かないといけない気がしてくる。

 何でそんなに呼ぶんだろう。少しくらいなら起きてあげるべきだろうか……。


「あっ! ユミちゃん!? ユミちゃん!! シュンレイ! ユミちゃんが少し反応した! ユミちゃん起きて! お願いだから! このまま死んじゃうなんてやだよ……」


 死ぬなんて大袈裟な……。寝ているだけなのに。


 突然、ズキリと痛みが走る。


「っ……!」

「ユミちゃん!!」


 ユミは瞼をゆっくりと開けた。

 眩しすぎてよく見えない。視点も定まらずグラグラと視界が揺れる。


「ユミちゃん。良かった。生きていてくれてありがとう。ごめんね……。本当にごめんね……」


 アヤメが泣いている。どうしたらいいのか分からない。

 揺れる視界で気分は悪いが、ユミは体を起こそうと力を入れる。


「無理しないで。起きなくても大丈夫だから」


 アヤメに止められてしまった。だんだんと視界が良くなってきた。まだ少しぼやけていたり焦点を合わせられない時もあるが、概ね見える。

 どうやら自分は、雑貨屋の奥の居住スペースにおり、そこのソファーに寝かされていたようだ。


「ユミさん。分かりますカ?」


 シュンレイが近づいてきて、視界に入った。ユミは頷く。首を傾け、横を見る。アヤメの目は真っ赤だった。ずっと泣いていたのだろう。

 やはり起きた方が良さそうだ。ユミは再び上半身を起こそうとする。シュンレイに支えられ何とか上半身を起こすことが出来た。指の先や背中に痛みが走る。足も鈍く痛い。


 両手を見ると、綺麗に手当されている。包帯を変えてくれたようだ。自分は寝間着を着ており、体も清潔に保たれていた。色々と面倒を見てくれたのだろうと分かる。


「何か食べられそうですカ?」


 ユミは頷いた。空腹なのかは正直よく分からない。色々な感覚が鈍く、目が覚めていないような、雲がかったような状態だ。

 アヤメを見ると、とても悲しそうな顔をしている。またすぐに泣き出しそうな顔だ。自分はどうすればいいのだろう。分からずどうすることも出来ない。


 シュンレイから水の入ったコップを渡される。しかし上手く持つことが出来ない。アヤメに支えられながら何とか水を口に含んだ。


「ゲホッゲホッ」


 上手く飲めなかった。コップから水を飲むことすら出来ないとは。相当自分の体は弱っているように思う。

 シュンレイがストローを持ってきてくれた。吸う力はあるようでまともに水を飲む事が出来た。


「ユミちゃん。ごめんね。私がもっとちゃんとしていれば……。もっとしっかりしていれば……」


 アヤメは何も悪くない。相手が悪すぎたのだ。あんなもの防ぎようがない。ザンゾーは用意周到で優秀な幻術師だったのだ。仕方がない。


「っ……」


 あれ、声がでない。アヤメに声をかけようとしたのに言葉が出ない。喉が潰れてしまったのだろうか。困惑するユミを見てアヤメが気がついたようだ。


「ユミちゃんもしかして、声が出ないの?」


 ユミはこくりと頷いた。喉を触ってみるが特に外傷は無さそうだ。痛みもない。叫びすぎて声が枯れてしまったのだろうか。叫んでいた時のヒリヒリとした感覚は今は特にないのだが。


 しばらくぼーっとしていると、シュンレイがお粥を作って持ってきてくれた。見るからに体に優しそうだ。アヤメがお粥を受け取り、一口分れんげで掬い冷ましてユミの口に運んでくれた。ユミは食べる。久しぶりの暖かいご飯だ。


 でも、味が分からなかった。


 噛んで飲み込むことは出来た。だが味がよく分からない。味覚が死んでしまったのだろうか。もしくは味付けがとても薄いのだろうか。いや、そんなことは無い。素材の味すら認識できないのはおかしい。


「ユミさん。味、分かりますカ?」


 ドキリとした。シュンレイには分かったのだろうか。今のユミの状態が。

 ユミは素直に首を横に振った。シュンレイはユミの反応を見ると、自身の額に手を当て目をつぶった。何かを思考しているようだった。困っているようにも見える。


「ユミさん。今日私がつけていル香水の匂いは分かりますカ?」


 ユミは集中し、シュンレイから漂う香りを探す。今日も5つ目の香水だ。ユミは右手を開き5番目という事を伝えた。

 嗅覚の性能は変わっていなかったようだ。それならば一層、何故味覚がなくなってしまったのか分からない。


「恐らく味覚はありまス。ただ、美味しいと感じないのでしょウ」

「えっ!? どうして!? どうしてユミちゃんがそんな事に……。声だって出ないみたいで……」

「声は失声症でしょウ。酷いストレスで発症するといいますかラ」

「そんな……」


 どうやら病気らしい。声が出ないのは不便だ。早く治るといいのだが。


「しばらくは様子を見ましょウ」


 ユミは頷いた。


***


 それから2週間弱経った頃。アヤメやシュンレイの助けもあり、体の傷は少しずつ癒え、日常生活には支障がないほどまで回復した。

 驚異の回復力だと思われる。新しい爪も生え始めている。こんなに早く生えるものなのか疑問だが、もしかすると化け物になった故の回復の速さなどあるのかもしれないと感じた。


 相変わらず、頭には靄がかかったような状態で鈍い。食べ物は美味しいと感じず、声も出ない。体は回復してもこれらは一向に治らなかった。


 自分に接する時のアヤメはいつもどこか悲しそうな表情をする。いつも泣きそうな顔していた。

 どうにかしないといけないと思うが、どうしていいの分からず時間だけが過ぎていく。


 会話のやり取りが出来ないのも非常に不便で、スマートフォンのメモ機能等で意思疎通をしていた。

 声だけでも戻ればいいのにと思うが、なかなか上手くいかない。声を出そうとしてもかすれて言葉が出ないのだ。もう声の出し方を忘れてしまったような気分だ。


 ピコンと音が鳴る。自室のテーブルの上に置かれたスマートフォンの電子音だ。

 メッセージを受信したようで、確認するとシュンレイからの呼び出しだった。barに来て欲しいという内容だった。ユミは直ぐに返事を打つとbarへ向かった。

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