「ユミ、頼むから食ってくれ」
「……」
ザンゾーはユミの横に座り、頭を抱えている。
さすがにそろそろユミには答える気力はない。空腹による目眩だろうか。全身から力が抜けて何もする気になれない。
「俺は何か見落としたか……。空腹は限界のはずだ。なぜ食わない……。クソが……」
ザンゾーは自身の左手の親指の爪を噛んでいる。
「何故狂気が発動しない。発動なら今までに2度出来た。耐性がついたか? 分からねぇ……」
ひとりブツブツと呟いている。
一体どれほどの時間が経ったのだろう。自分の体の衰弱具合からしてそれなりに経ったのではないだろうか。このまま死ぬのだろうなと、思い始めている。ここを出るには臓器を食べて化け物になるか、死ぬかの2択だ。
監禁されてからザンゾーとは沢山話した。それで分かってしまったのだ。この男の計画にはどれも隙がない。
要するにこれだけ情報をベラベラと自分へ話すのは、絶対に正常なまま外に出ることはないという確信故の物だという事に。何か糸口を探そうとした自分の行動は全くの無意味だったのかもしれない。
ザンゾーは、ユミの目を確認したり、脈を測り状態を確認しているようだった。
死が近い事が分かったのだろう。苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ユミの声には力がある……。それが影響したか。戦闘中の鼻歌もある。あれは実際のところ一体何が起きている……? いや、根本からの仮説が間違っている可能性も……」
ザンゾーはユミの髪をくしゃくしゃと撫で回しながら考えているようだった。相変わらず手癖が悪い。ずっと自分の爪を噛んでいてくれれば良かったのに。
「あ。まさかユミ、お前……」
ザンゾーが何かに気がついたようだ。目を見開いている。
「お前。狂気を飼い慣らしたのか」
何を言ってるのか分からない。
「この仮説で進めれば、あと足りないものは明確な隙。安堵か絶望……」
ザンゾーがそう呟いたところで、ユミの髪をぐしゃぐしゃにしていた手も止まった。ふとザンゾーの方をしっかりと見ると、真っ直ぐにユミの顔を見ていた。どこか悲しそうな顔をしている。
「ユミ。俺を恨め」
ザンゾーはそう言って、ユミの頬を優しく撫でた。
ぞわりとする。こんな触り方は初めてだ。嫌な予感しかしない。
「俺ぁ、完全に見誤っていた。この呪詛師の心を殺すという言葉の解釈だが、何かを弱めているんじゃぁない。単純に強烈な狂気をぶち込んで他を無くすって事だぁよ。溢れ出す狂気のせいで他が失われるだけだ。それでユミ、お前は狂気に耐性がある上、歌でそれをコントロールしている。また、狂気の発散も出来ていた。だから正気でいられた。そういうことだ。この臓器を食べさせる時にはなぁ、自らの意思で食べさせなければならない。これは呪詛師のオーダーだ。そこに何かトリガーがあるんだろう。だぁから俺ぁ対象を狂気に染めて食わせた。狂気に染めなきゃこんなもん食えねぇからな。むしろ、狂気状態で食う事こそが呪詛発動のトリガーの説も考えている」
優しく撫でられるのが気持ち悪い。ザンゾーは一体何をしようとしているのだろう。頭もよく回らない状態では言われたことも上手く理解できない。
「この仮説の裏付けになるのは、お前が最初に殺戮を繰り返した現象だ。正常な精神状態とは言い難いが、連続で臓器を食わない程度には正気が残っていたと見ている。それこそ空腹のトリガーが発動しなければ食わないんだから相当だ。あの時何が起きていたかを解説すると、両親の死体発見時に狂気に染まり臓器を1つ食べた。そこで満腹になる。食べたいという欲求こそ無くなるが臓器によって狂気が増幅された。この狂気を発散するため、歌で狂気をコントロールしながら周囲にいた人間を殺して回った。狂気っていうのは暴れることである程度発散できるからな。そして家に戻って寝る。そしてまた空腹になると臓器を食べての繰り返しだ。上手く回りすぎていて気が付かなかった」
話の全ては理解できなかったが、自分はどうやら運良くギリギリで正気を保っていたようだ。
何故狂気に耐性があったのかは分からない。本当に運が良かっただけなのだろう。
「ユミが狂気に掛かったのは今までに2回だ。両親の死体を食べた時と、公園で臓器を食べようとした時。この時だけは狂気に掛かった。どちらも空腹だったからと見ていたが、甘かった。空腹だけでは狂気に耐性のあるユミには掛からない。もうひとつトリガーが必要だ。それが、安堵か絶望。両親の死体を見た時の絶望、そして舞姫がいるという安心感、このような明確な隙が必要だった。また、1度かかってしまえばあとは空腹だけでいけると思われたが、これも違った。お前は周囲に愛されて日が経つにつれて白の傾向を回復し狂気を押さえ込んでしまった。とんでもない人間なんだぁよ。誇っていい」
誇れと言われたって。今のこの無様な状態は何だ。何も誇れるものなんてない。自分で何かを選べる状態でもないのに。他人に命を握られている状態で誇れ? 意味がわからない。
「不服そうだな。餞別だ。飲め」
ザンゾーはそう言ってナイフで自分の親指の腹を切り、その親指をユミの口に突っ込んだ。血の味がする。
血液ですら美味しいと感じる自分は本当に化け物なのだろうなとユミは感じた。ザンゾーの血液によって喉も潤う。こころなしか空腹も和らぐ。不思議なものだ。
「化け物になった奴らの主食はな、人間らしい。人間の血肉を生で食うそうだ。それが最も効率がいいエネルギー元になると。ユミも恐らく既に体がそうなっている。血液でも十分回復するだろうな」
その話が本当なら、何故今自分に血液を飲ませた……?
回復させてどうするのか。ユミはガリっとザンゾーの指を噛んだ。更に血の味が広がる。このまま血液全部飲み干してやる。
「良い子だ。そのまま全部飲み干して俺の心臓も食ってくれ」
この男は本当に何を言っているのだろうか。意図が理解できなくて気持ち悪い。
「六色家の一族にはな、それぞれ担当の色がある。得意な色があると言うことだ。俺ぁ天才だから基本全て使える。とはいえ、得意な色が無いわけじゃぁない。六色家は規模がでかいからな、それぞれの色を極めた人間が各色の当主になり、その中でも最も優れたやつが一族の当主になる決まりだ」
何故今その話をする。意図が理解できないまま相手のペースで話が進むというのは気持ちが悪い。
「ユミ。俺ぁな。六色家一族、黒の現当主にして次期一族の当主の最有力候補だ。だからなぁ、ユミ。俺ぁ黒が専門なんだぁよ」
黒と言えば全ての色を均等に抑え込む色だ。
「俺ぁ、人間をどうやって黒く染めるのかを知り尽くしている。もはや幻術じゃねぇ。そして俺ぁ今からお前を黒く染める。真っ黒にした上で狂気を掛ける。もう正気には戻れねぇかもな。さよならだユミ」
ザンゾーはユミの口から親指を引っこ抜き立ち上がった。
歯型が付き血の滴る自身の親指を満足そうに眺めている。しばらく眺めたのち、ザンゾーは深く息を吸い吐き出した。そして何も言わずに出入口へ向かい鉄扉を開ける。
「お前らやれ。こいつは商品だ。殺すな。骨折も無しだ。再起不能な怪我も無しだ。あと顔はやめろ。他は好きにしていい」
酷く冷たい声だった。