「起きろぉー? 朝だぞー」
「うっ……」
激しい頭痛だ。ユミはなんとか瞼をゆっくり開ける。身体もだるく上手く動かせない。それでも確認しなければならない。幸いまだ自分は生きているのだから。しかし、目を開けて飛び込んできた光景にユミは驚愕した。
「え」
赤い。全てが赤い。1面赤しかない。こんなもの視界に入れ続けていたら気が狂いそうだ。
床も壁も天井もコンクリートで出来た小さな牢屋のような4畳程度の部屋。出入口は鉄扉の1箇所。窓もない。床には1箇所排水溝があるだけ。全てが赤黒く染められている。天井からは裸電球が垂れ下がり、ご丁寧に電球の表面も赤く塗られているようで光源自体も赤い。
そして、自分は両手を後ろで縛られ、右足には鎖がついている。その鎖はコンクリートの壁に固定されていた。
身ぐるみは全て剥がされ、申し訳程度に赤い布で体の前後を覆っているのみだった。手術服でもここまでお粗末では無いだろう。不要な色を視界に入れないためなのだろうとは推測できる。
「ユミちゃんおはよう」
自分が横たわる真横に、ザンゾーが楽しそうにニヤつきながら、あぐらをかいて座っている。煙草を咥えており、その煙が部屋に充満していた。
「気分はどうだぁ?」
最悪だよ。
ユミは寝返りを打ってザンゾーに背中を向けた。
「かははっ! こりゃ傑作だわ。どんなメンタルだぁよ」
一体この男の目的は何なのだろう。自分を殺す事ではないという事は確かだ。この部屋の状態から、何かしらの幻術に嵌めようとしているのだろうと推測はできる。こんな赤い部屋、意図がない訳がない。
視覚的な赤という情報が脳へどのように影響するのだろう。直感的に気が狂いそうと感じたことからも、正気を失わせるとか、おかしくさせるのが目的なのではないかと思う。おそらくではあるが、できる限り視界にこの赤色を入れないほうが良いだろう。ユミはザンゾーを無視し、目を瞑った。
「さて。ユミちゃん。俺と我慢比べだぁよ」
グイっとユミはザンゾーに肩を掴まれ仰向けにされる。うっすらと目を開けるとザンゾーが顔を覗き込んでいた。
カンっと金属音が耳元で響く。何か金属がユミの頭部付近に置かれたようだ。床のコンクリートと当たって軽い音が鳴った。
「食え」
ちらりとユミはその音が鳴った方向を見る。
「は……?」
何んなんだ。これは。
ユミは目を見開いた。そこに置かれていたのは、赤く塗られた金属の皿に、真っ赤な肉塊が置いてあった。おそらくこれは臓器だ。ユミにはその臓器の詳細は分からない。ただ、どう考えてもこのまま生で食べるのは適切ではない事は確かだろう。
「何これ」
「人間の心臓」
「……」
人間。そう来たか。
なぜこんなものを食わせようとするのか。全く理解できない。ユミはザンゾーを見上げる。相変わらず楽しそうにニヤニヤ笑っていた。
「ユミちゃんは、お腹空かなきゃたべねぇからなぁ? 我慢比べすっぞ」
「誰がそんなもの」
ユミはそう呟いた瞬間。ぞわっとした。
なんで……。どうして……。
「かははっ! これが呪詛か! おもしれぇな!」
ザンゾーは腹を抱えて笑っている。
「なん……で……」
なんでヨダレが止まらないの。
意味が分からない。
ユミは自らの口からあふれ出すヨダレを止めることができなかった。
皿に乗った人間の心臓を見て、おいしそうだと感じる。食べたいと感じる。そんな自分が理解できなくて寒気がする。
「そんなヨダレ垂らすほど食いてぇならさっさと食っちまえよ。ほらぁよ」
ユミは人間の心臓から目を離す。
見るな。視界に入れるな。考えるな。
こんなもの食べ物じゃない。
「かははっ! 時間はいくらでもあっからよぉ。まぁた来るわ」
ザンゾーはそう言って立ち上がると、唯一の出入り口である鉄扉を開け出ていった。ユミは、部屋に人間の心臓とともに取り残される。
こんな状態では、気が狂うのも時間の問題だ。正気を失わせて、この人間の心臓を食べさせるのがザンゾーの目的だろう。ザンゾーの言う我慢比べとはそういう事なのだ。
ユミは考える。今自分に何ができるのかを。
まず、こんなに拘束された状態から自力で逃げることはおそらく不可能だ。両腕の拘束と足につけられた鎖。これをどうにかしても鉄の扉がある。
そしてその鉄の扉の先の情報は何一つない。自分には何も武器がない以上、自力での脱出は絶望的だ。
次に他力で逃げることは可能なのだろうか?
アヤメ達が助けに来てくれる可能性はある。だが、どれくらいの難易度なのか分からない。先ほどザンゾーが時間はいくらでも有るという発言が妙に引っかかった。
今自分がいる場所が、とても遠く見つけにくい場所であった場合には、外からの助けも厳しいだろう。
その他、他力で出るのであれば、ザンゾーを使うか。
ザンゾーを騙して外に出してもらう。ザンゾーに取り入って出してもらう。どちらも現実味がない。幻術師相手にやる事ではないだろう。ザンゾー以外の人間がいれば、そいつを使うか。それも現状希望が持てるような案ではない。
後は何ができるだろう。
この心臓を食べたら出してもらえるだろうか。食べることで何が起きるのか全く分からない。博打もいいところだ。絶対に自分にとって良くないことが起きるのは確実だろう。
そもそも人間の心臓をユミに食わせることがザンゾーの目的であるのだから、それを阻止した方がいいに決まている。
となれば今自分ができるのは、抵抗だけだ。食欲をそそる人間の心臓を食べずに抵抗するのみ。それしかできることはない。
悔しい。なんて無力なんだ。ユミは歯を食いしばった。