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3章-4.揚物(1) 2021.3.7

「ユミさんお疲れ様でしタ」

「お疲れ様です……」


 時刻は17時半。怒涛の仕込み作業が完了した。体力に自信のあるユミでも流石に疲れが出た。

 シュンレイのオーダーは料理でも容赦がない。色々な知識や技術を叩き込まれながら、何とか時間内にこなすことが出来た。ユミはカウンター内側から出て、ヘロヘロになりながらカウンター席に座る。


「18時まで休憩しましょウ」


 シュンレイはそう言って、ユミの前にアイスコーヒーを出した。ふと見上げるシュンレイには疲れが一切見えない。本当に化け物なのではないだろうか。


「20時くらいにアヤメさんが来るそうです。他のプレイヤーも20時過ぎが多いでしょウ。従って、暫くはゆっくり出来まス」

「了解です」

「私は一度着替えてきまス。このままだと皆さんが混乱しますのデ」

「はい」


 自覚があったのかとユミは内心ツッコミを入れる。また胡散臭さ全開のチャイナスタイルに戻ってしまうのかと、せっかくのシュンレイの私服タイムだったが、もう終わりかと思うと少し残念に思う。


 シュンレイが出ていったことで、必然的にユミはbarに一人取り残される。寂しさを感じる訳では無いが、一人きりとなるとbarは広いなと感じた。

 改めて思い返すと、誰もいないbarに一人だけというのは実は初めての経験である。なんだかんだでいつも他に誰かがいて、一人取り残されるという事はなかった。

 ユミは何となく改めて誰もいないbarを見回してみた。思えば、あのテーブル席で契約書にサインをしてから色々とあった。アヤメに出会って、沢山ご飯を食べて。気が付けばこのbarにたくさんの思い出があることに気が付く。ユミはいろいろな記憶を、1つ1つゆっくり丁寧に反芻した。


 しばらくアイスコーヒーを飲みながら物思いにふけっていると、ガチャっとbarの扉が開く音がした。ユミは扉の方へ視線を向ける。


 この気配は確か……。


「あ。ユミちゃんこんばんは」

「こんばんは」


 barへ入ってきたのは予想通りシエスタだった。


「今日は揚物パーティって聞いたよ。助っ人宜しくねぇ。俺は料理全く出来ないから頼りにしてるよ」

「はい。頑張ります。ただ、私アルバイトとか一切やった事がなくて……。正直どうしていいのかわからないです。ひたすら料理するだけなら出来るとは思うんですが……」

「あはは。大丈夫大丈夫。barまがいのこの店じゃ、接客とか不要だから。基本的に仕事を受けに来るか情報交換が目的でプレイヤーが集まっているだけで、あくまで飲食はおまけ。注文があればそれを出すだけでいいし、会計は注文時に俺がやるから気にしなくて良いよ。あぁ、もし話しかけられて困ったら助けに行くから安心して」

「ありがとうございます」


 さすが頼れるお兄さんだ。ユミはアルバイトの経験もなければ、酒場を利用したこともないため、あまり勝手が分からないのが正直なところだった。当然お酒も飲んだことがないため、何か聞かれたりしたらどうしようかと不安だった。


「たぶん、ユミちゃんは色んな人間を見て慣れるのがメインじゃないかなぁ。俺達以外の人間とは基本関わりがないでしょ? そういう目的でシュンレイさんは野良解放日のbarにユミちゃんを助っ人として呼んだんじゃないかなぁと俺は思うよ。せっかくの機会だから、色んな人と交流したりして楽しんで」


 シエスタはそう言い残して、着替えてくるとbarのバックヤードへ行ってしまった。


「交流……かぁ……。うーん……」


 barに集まってくるのはプレイヤー達だというと、少し怖いなと思ってしまう。何かミスをしたら殺さるのではと不安になる。むしろ、黙々と揚げ物を作っていた方が気が楽かもしれない。人見知りではないが、流石にこの状況には緊張してしまった。


 ちょうどアイスコーヒーを飲み終わったところでガチャっと扉が開いて、シュンレイが戻ってきた。いつも通りチャイナ服を着ている。

 幻術について学んだ後だと、シュンレイのこの装いにも意味があるのではないかと考えてしまう。明らかに胡散臭い見た目は、幻術の観点からすれば何か目的があるのかもしれない。


「ユミさん、どうしましたカ?」

「普段から私服を着ていればいいのにと思っていました」

「アヤメさんにモよく言われまス」

「あははっ。やっぱり!」


 アヤメと同じことを思っていたのかと思うと笑ってしまった。

 スマホで時刻を確認するとまもなく18時だった。人間が集まるのは20時ごろがピークと聞いている。

 特にやることがない時はどうしていればいいだろうか。カウンターの内側にいればいいのかすらユミは分からない。そわそわしてしまう。


「緊張しなくて大丈夫でス。依頼の受け答えはシエスタが行いますし、フードは基本私がやりまス。ユミさんはフードが追い付かないときにこちらで手伝ってくださイ。それ以外はカウンターの席にいるだけで問題ありません。アヤメさんが来たらリクエストに応えてあげてくださイ」

「分かりました」


 本当にそれでいいのか分からないが、シエスタが言っていた交流メインだという意図を考えると妥当な指示なのかもしれないとユミは思う。

 しばらくユミは考え事をしながら休憩していると、着替えを終わったシエスタが戻ってきてbarカウンターの内側に入っていく。


「ユミちゃん、緊張してるの丸わかりだねぇ。大丈夫。今のユミちゃん相手に喧嘩を売れる人間は殆どいないから。そこにいるだけで十分だよ。それに、お披露目みたいなもんだから」


 シエスタはそう言ってユミに追加のアイスコーヒーを淹れて出してくれた。ユミは有難くアイスコーヒーを受け取り、ちらりとシュンレイの方を見る。

 シュンレイはすでにカウンター外のテーブル席に座りゆっくりパイプタバコを吸って読書を始めている。その様子からしばらくは人間が来ないという事なのだろうと予測できる。本当に気楽に構えていればいいという事なのかもしれない。


 しかし、予想に反して18時ぴったりにガチャギィィィとゆっくりと扉が開く音がした。

 入ってきた人間は、赤い狐のお面と、紫の狐のお面と、ひょっとこのお面を付けた人間3人だった。


「やぁやぁ。こんばんは。揚げ物パーティってアヤメちゃんに聞いたんだけど」

「え。今日であってるよね?」

「連絡にもちっちゃく書いてあったから間違いないって」


 それぞれがそわそわしながら、ぞろぞろと入ってくる。


「あれ、あそこにいるのユミちゃんじゃね?」

「え!? ほんとだ! 嘘。かわよ」

「え。最高じゃん」


 お面の3人組は、カウンターの席にいるユミに気が付くと、談笑しながらカウンターへゆっくり向かってきた。

 彼らはいつもの仕事で会う引継ぎの人達だと思われる。特段話したことはないが、面識があると言えばあると言えそうな人達だ。声と体格から、狐のお面の2人は女性で、ひょっとこのお面は男性だろう。3人とも黒のパンツに白シャツという装いで、お面以外特段特徴のない姿だった。


「こんばんは。揚げ物ですカ?」

「そう。アヤメちゃんから今日揚げ物パーティって聞いたから来たんだけど。やってる?」

「えぇ。今日だけ特別にやっていまス。カウンターのところにメニューの一覧がありますかラ、そちらからどうゾ」

「bar初めて来たー! こんな感じなんだー」

「ユミちゃんいるなら通うのアリかも?」


 狐のお面の女性たちは、barに興味津々と言った感じだ。一方でひょっとこのお面の男性は、じっとメニューと睨めっこしている。シュンレイは読書を辞めてカウンター内部へ入りひょっとこのお面の男性の前に立つ。


「お前ら、適当でいいか?」

「おけー!」

「おまかせー!」


 ひょっとこのお面の男の問いかけに、狐のお面の女性陣は元気に答える。なんだか賑やかな人達だなと感じ緊張が少し和らいだ。

 普段は、仕事終わりに迎えてくれて、丁寧にお辞儀をしてくれる人達だ。あまり気さくなイメージではなかったので今日のこの様子は少し意外である。仕事の時とオンオフを切り替えているのかなと感じた。


「あれ、もしかして番長自ら料理してくれるの?」

「えぇ」

「マジか。何でも出来んのかよ。んじゃ、こっからここまで1セットずつお願い」

「了解しましタ。ユミさんお手伝いお願いしまス」

「はい!」

「え、ユミちゃんも作ってくれんの?」

「えぇ。ユミさんには仕込みから手伝ってもらっていまス」

「これは来た甲斐が有った」


 ユミはカウンターの内側へ入り、早速揚物を開始する。ひょっとこのお面の男性はシエスタのところで会計をして、ハイボールを3つ受け取った後、女性陣の待つテーブル席へ着いた。

 注文内容を見るに、3人でシェアして食べるのだろうと思う。彼らは先に飲み物で乾杯をして談笑し始めたようだ。楽しげでいいなと見ていて微笑ましい。


「ユミさん」

「はい。何でしょう」

「つまみ食いをしましょう」

「へ?」


 シュンレイからの思いもよらない提案に、ユミはきょとんとして隣で揚げ物をするシュンレイを見上げた。シュンレイは持っていた小皿をユミに渡す。その小皿には、揚げたての海老天と少量の塩が盛られていた。


「揚げたてが一番おいしいでス」

「ありがとうございます」


 ユミはさっそく海老天に塩を少量つけて食べる。サクッとした衣の触感と熱々のエビのジューシーさ。塩で引き締まる味。全てが最高としか思えない。


「おいひぃ……」


 幸せだ。溶けそうである。

 やはり、揚げたては格別だと感じた。つまみ食いは作り手の特権だろうと思う。突然のお手伝いで色々と大変ではあったが、このご褒美で報われた気がした。

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