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3章-2.帰路(1) 2021.3.6

 なんだか疲れたな。と、ユミは地下鉄に揺られながら思う。いつも通りアヤメと仕事をして、特に問題もなく家に帰るところだ。

 隣に座っているアヤメはユミにもたれかかってスヤスヤ寝ている。アヤメも疲れているのだろうと思う。


 アヤメの仕事の補助としてSSランクの仕事をこなすようになって、ハードな日々を送っている。相変わらず殲滅の仕事が多いのでやることは変わらないが、規模が大きいものが多い。

 アヤメも、最近仕事多すぎと愚痴を漏らしていた。自分の仕事が世の中にどんな影響をもたらしているのかユミは知らない。気にならないと言ったら嘘になるが、聞いてはいけないような気がしている。


 振り返れば、いくつもの組織を潰してきたように思う。何の組織なのかは知らないが、どれもあまり良い印象の組織ではなさそうであった。

 誰が何のために潰そうとしているのだろうか。分からないまま歯車の一部として仕事をし続けていて良いのか、最近は不安になる。


 あと、20分程度この地下鉄にこのまま揺られる予定だ。ユミはアヤメを起こさないように注意しながらポケットからスマートフォンを取り出す。16時28分。液晶画面に表示された時刻だ。帰ったら少し休んで、晩御飯の準備をする感じになるだろう。

 アヤメと一緒に夕方まで仕事をした日は、いつもbarでユミが晩御飯を作ってアヤメと一緒に食べている。barにはシュンレイもいるので、いつも3人で晩御飯を楽しんでいた。今日は何を作ることになるのだろうか。アヤメのリクエスト待ちだ。


 数分ごとに停車して扉が開いて、人間が乗り降りして、扉が閉まって、また走り出す。そんな光景をユミはただぼーっと眺め続けている。

 たくさんの人間がそれぞれの人生を歩んでいて、その1コマを切り取って見ているような気分だ。

 何も知らない人間達にはそれぞれ生活があって、それぞれ生きている。当たり前のように日常を過ごしている。そんな様子を見て、ユミはなんだか遠いものに感じてしまった。もう、自分とは交わることがない人間たちなんだろうと漠然と思う。

 こんなに近くに存在していても、生きている場所が違いすぎる。


 ふと、去年の今頃は一体何をしていただろうか、と考える。自分も去年の今頃は目の前にいる人間たちと同じ場所にいたのだ。中学生になって、友達と交流して、休日には遊びに行ったりして。そんな毎日を当たり前のように過ごしていた。

 家に帰れば母親いて、一緒におやつを作ったりして。勉強も部活も頑張って、何を目指すとか明確なものはなかったが、周りの人間と同じように過ごしていた。そんな毎日が永遠に続くものと信じて疑う事なんてなかった。


 以前の状態に戻りたいか?


 たまに自分自身に問いかける問いだ。いつまでたってもこの問いの答えは、『分からない』のままだ。

 何で分からないのだろう。去年までの事は今でもはっきり思い出すことができる。だが、どこか鮮明さが欠けている。出来事ははっきり思い出せるが、どこか他人事のように褪せているのだ。


「どうして……」


 涙もでない。そこに自分の感情がない。出来事に対して自分が存在していない。

 その時、自分はいったいどんな気持ちで何を考えていたのだろう。事実をなぞるだけの昔の記憶。空しい。どこからか別の視点で、遠くから自分を見下ろしているような感覚だ。本当に他人事。だから感情移入なんてできない。


 どうしてこうなっちゃたんだろうな……。


 自分の中の何かが変わってしまったからだろうか。別の人間になって記憶だけ埋め込まれたと言われた方がしっくりくる。

 記憶の中の自分は、本当に無邪気によく笑っている。何がそんなに楽しいのか。友達と話して、どうでもいい会話で、どうしてそんなに笑えるのか。今となっては全く理解できない。


 ただただ、空しい。大好きな両親への思いだって、今はまだ少し残されているが、結局そのうち他人事の様に褪せてしまって、分からなくなっていくのだろう。

 嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、全部全部事実なはずなのに、色褪せて完全に消えてしまいそうだ。最初からなかったみたいに。自分の中には存在していなかったかのように。

 自分の両手から、形を無くして砂のようにさらさらと指の隙間を落ちていくような感覚だ。掴んでも掴んでも、零れ落ちていく。止められない。少しでも繋ぎとめたくて、できる限り鮮明に記憶を呼び起こして反芻する。でもそこでまた、気づかされる。そこに自分がいないことに。


 一方で、それでも良いかな、なんてどこかで思ってしまう自分もいて、余計分からなくなった。失うことが良いはずがなのに、手放すことに抵抗がない。それほどまでにもう、遠のいてしまったという事なのだろう。

 もう、戻れないのかもしれない。自分の立ち位置が目の前の大多数の人間たちと同じところには戻れないように、自分の心もかつてのようにはならないのかもしれない。


 変わってしまったのか、おかしくなってしまったのか、それは分からない。

 漠然と元には戻らないのだという事を認知した。


 仇を討った時に、大きな感情が芽生えなかったのも、きっとこのせいだろう。他人事のように見えてしまって、心が入っていかなかったのだ。

 感情が鈍いとかではなく、存在していなかったという方が当てはまるだろう。本当に本当に空しいな。ユミは自嘲気味に静かに笑った。


 ただ一方で、アヤメと出会ってからの事はちゃんと心が伴った記憶として思い出すことができる。心から楽しいと感じた記憶を呼び起こしては、思い出し笑いをするくらいに鮮明に。不思議だ。なぜこんなに差があるのだろう。

 ただ、この記憶と感情は自分にとってかけがえのないもので、絶対に失いたくないと感じた。


 今こうして自分があるのだから、心が無くなったわけではないのだろうと思い、ユミは少し安心した。


 それからしばらく、ユミはウトウトしながら駅を確認する。隣に座るアヤメの体温を感じて少しずつ眠くなっていく。自分が寝たら寝過ごすことは確定するので、なんとか気力で寝ないように努力する。


「アヤメさん、そろそろ……。次降りる駅です」

「ん……。ふわぁぁ。よく寝ちゃった。ユミちゃんありがとう」


 アヤメはへにゃっと笑って言う。まだ寝起きの状態でむにゃむにゃしている。本当に爆睡していたのだろうなと察しがつく。

 まもなくして、電車は減速を始める。ユミとアヤメは立ち上がり、扉へ向かった。


「帰ったら休憩してご飯だぁ~! ユミ先生! barでご飯をお願いします!!!」

「はい! 喜んで!」


 電車を降り、改札を出て、地上に出た。ここから12分ほど歩けばbarに着く。

 冬至を過ぎて2か月と少し経っているが、春分まではまだ日数がある。17時前になると周りはすっかり暗くなっていた。

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