5分ほどするとシュンレイが戻ってきた。手にはいくつかの小瓶を抱えている。それをローテーブルに1つずつ並べていった。
「こちら、嗅いでみてくださイ」
「はい」
きっとこれが普段シュンレイが使っている香水なのだろう。全部で5つある。ユミは左端から手に取り蓋を開けてティッシュに1プッシュして香りを確認する。
「あ、これよくつけてる奴ですよね。今とか。夜のbarで待機してる時とか」
「えぇ」
非常によく嗅ぐ匂いだなとユミは感じる。服の柔軟剤か何かだと思っていたが、香水だったようだ。ユミは次の小瓶を手に取り、同様に香りを確認した。
「あ。これ、応接室でつけてたやつ」
「正解でス。よく覚えていますネ」
「なんか、いつもと違かったので印象に残っています」
一体どんな効果があって、どんな目的で使ったのだろうか。嗅いだところで自分に変化は感じられないのでよく分からない。香水の小瓶に何か文字が書かれているが、日本語では無いため読み取れず手がかりにはならなかった。ユミは3つ目の小瓶を手に取る。
「あ……。これ手合わせの時の……。この匂い嗅ぐと、なんかやる気になっちゃうんですよねー」
「……」
シュンレイは無表情でノーコメントだった。ドン引きされているのかもしれない。
人間には分からないと言われていたものを嗅ぎ分けているのだ。犬か何かだと思われてる可能性がある。ユミは苦笑いしつつ、4つ目の小瓶を手に取った。
「あ。これ、どこだっけ……。なんだろう、私とアヤメさん以外の人がいる時につけてるやつ!」
「そうですネ」
シュンレイにはドン引きされているかもしれないが、ユミとしては香水当てクイズをしているようで、ちょっと楽しい。ユミは最後の5つ目の小瓶を手に取る。
「あれ……。これは知らないです」
最後の香水は、全く嗅いだことがない匂いだった。
「えぇ。全て合っていまス。最後の物はユミさんの前では1度も使ってませんかラ。完全に分かるんですネ。驚きましタ」
シュンレイは再び思考し始めた。ユミは静かにシュンレイを待つ。
「幻術を破るためには、気がつくことや別のものデ上書きする事が有効とされていまス。大抵の場合認知しないうちに仕掛けられてしまうのデ幻術が成立しまス。この香水も普通の人には無臭なのデ、効果を防ぐことは出来ズ、まさか香水によってもたらされタものとは気が付かないでしょウ。ただ、ユミさんのように気がつく人にとっては身構えることが出来ル。脳が知覚する事で効果を抑制出来まス。ユミさんが幻術にかかりにくいというのは、この五感の鋭さ故と推測できまス」
「成程」
「ただ、知覚できても防げないものもありまス。既に効力が発動してしまっテいては、例え気がついても遅いこともありまス。そんな時に有効なのが上書きになりまス。簡単な方法だと痛みでしょウ。指の骨1本折れば大抵の幻術は解けまス。ユミさんの場合は歌も有効でしょウ。私の鈴の音をかき消しタように、上書きができると思われまス」
「……。そういう事ですか……」
何となく幻術という物の仕組みが分かってきた。意識してやった訳では無いが、歌で鈴の音をかき消すことは、上手く効果を上書きして対処していたという事のようだ。
また、昨日の幻術の方は、おそらくアヤメに解いてもらったのだろうと推測できる。ユミの視界に入り、声を掛け、抱きしめた。これだけで、視覚、聴覚、触覚へ影響を与えている。アヤメが意図してやったかは分からないが、本当に助けになったんだなと感じた。
「私はアヤメさんがいたから戻ってこられたんだ……」
あのまま幻術にかけられたままだったら一体どうなっていたのだろうか。全く分からない。
「酷い頭痛がしたとの事のなのデ、ユミさんは無意識に幻術に抵抗していたのでしょウ。幻術に気が付かずにかかる場合には痛みは伴いませんかラ。幻術に抵抗している時にアヤメさんの行動が助けになっテ解けタといっタところだと思いまス」
「成程。アヤメさんには感謝してもしきれないです。アヤメさんに抱きしめられた時に、ハッとして戻ってこれました」
「そうですカ」
そもそも、どこのタイミングで幻術にかかったのだろうか。確か、黄色の狐のお面と引継ぎの人の死体をよく見た瞬間に激しい頭痛がした。おそらくこの瞬間だろうとは思う。
匂いは分からなかった。視覚的な物だろうか。確かにショッキングな絵にはなるが、正直見慣れてしまっている。今更ショックを覚えるものでもない。謎が深まる。これが気が付かないうちに嵌るという事なのだろう。
「次に、人間の欲求と幻術の関係について説明しまス。幻術は人間の欲求と非常に相性が良いでス。よく三大欲求など聞くと思いまス。こちらと絡めることデ、より簡単に人間を幻術に嵌めルことができまス。人間を操作しやすくなルという事でス。徹夜明けで眠気が出ている人を眠らせルことはたやすいだろウというのは簡単に想像できると思いまス」
「確かに……」
「人間の欲求というのは、三大欲求のほかにも沢山ありまス。そういっタ欲望を刺激しテ、幻術に嵌めルというのは良く使われル手法になりまス」
「私の場合は空腹……」
「そうでス。ユミさんは戦闘後はすぐお腹がすきますネ。そこに、おいしそうな匂いなどがしたラ注意を持っていかれるのではないでしょうカ?」
「それは抗えなさそうです……」
もしかして……。
ユミはそこでハッと気が付く。
手配の男と戦ったことは自分を空腹にさせるためなのでは……?
そもそも事務所に向かわせて、そこからさらに公園まで歩かせたのも、空腹にさせるためとも考えられるのでは……?
空腹にさせて幻術に嵌りやすくさせるのが目的だった……?
いや、その先だ。
本当の目的は自分を幻術に嵌めて何かをさせるためだったのだろう。
「……。嫌なことに気が付いてしまったかもしれません……」
「えぇ。ユミさんの予想は正しいと思いまス」
「とりあえず、冬の間はおにぎり持ち歩いたり、コンビニで何か買って食べながら移動する事にします」
「えぇ。そのようにして自衛をお願いしまス」
成程。だからシュンレイは幻術についてここまで細かく自分へレクチャーを行ったのだろう。幻術使いに狙われている可能性が高いから、対処法を教えてくれたのだ。
戦闘面だけ鍛えればいいわけではなくなってしまったという事なのだろう。非常に厄介だなと感じた。
ユミはコーヒーを飲み、ざわつく気持ちを落ち着かせた。間違いなく誰かに狙われているという事実を知り、常に警戒をしなければならないと思うと気が重い。気が休まる日は来ないのかもしれない。いつまで続くかも分からないため、一気に気持ちが落ち込んだ。
「ユミさん。常に気を張り続けるのは良くありませン。それでは疲れてしまいまス。少なくても私やアヤメさんがいれば仕掛けてこないでしょウ。複数人同時に幻術を仕掛けるのは難易度が上がるのデ、この店の近くにいる限りは仕掛けてこられないでしょウ。休めるときは休んでくださイ」
「わかりました」
「それに、ユミさんは十分対処できルだけの力がありまス。ユミさんを幻術に嵌めようとすルのであれば、仕掛ける側も大掛かりな準備をしなければなりませン。そう簡単に手出しはできないはずでス」
ユミは頷いた。空腹というトリガーさえ何とかすれば、きっと昨日のように嵌ることはないだろう。それに、昨日だって非常に入念な準備をされていたのだ。そこまでの隙を与えなければ問題ないのかもしれない。もう少し気楽に考えても良いのかもしれないと感じた。