目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
3章-1.引金(1) 2021.3.1

「おはようございます」


 ユミは雑貨店の扉を開け挨拶する。チリンチリンと扉に着いた鈴が鳴った。

 奥に進みレジカウンターまで行くと、カウンターの向こう側に置かれた小さな椅子に座ったシュンレイが、パイプタバコを吸いながら読書していた。ユミが目の前まで来ると、シュンレイは読みかけの本に栞を挟み視線を上げてユミを見た。


「おはようございまス。体調はどうですカ?」

「朝起きたらすっかり元に戻りました。ご心配おかけしました」

「すっかり良くなったト……」


 シュンレイは何やら考え込んでいるようだ。


「あ。昨日の夜食ありがとうございました。とても美味しかったです。えっと、これ。お皿返さなきゃと。このお皿barの方のやつじゃないかなと思って」

「えぇ。ありがとうございまス」


 ユミはシュンレイにお皿を手渡した。手配の男を処理した帰りに、急に激しい頭痛に襲われ急いで帰ってきた後、部屋で休んでる所へアヤメが夜食を届けてくれたのだった。


「夜食はいつ頃食べましたカ?」

「え? えぇ……っと。ちょっと正確な時間は分からないんですが、確か……、アヤメさんがオムライスだよーって持ってきてくれたあと、受け取って、お風呂に入ってから食べました」

「そうですカ。頭痛などおかしな症状は何時まで続きましたカ?」


 何時までだっただろうか。こんなに質問攻めにされるのは初めてで戸惑ってしまう。意味の無いことは聞いてこない人だろうと察しがつくので、きっと重要なことなのだろうなとユミは感じた。


「熱が出た時みたいに、頭がボーッとしていたのは、しばらく続いてました。それこそ寝るまで? かな。激しい頭痛はないですが、どこか頭がスッキリしない感じがしてて。起きてからはすっかり無くなったんですけれど…… 」


 シュンレイはユミの回答を聞いて再び考え始めたようだ。パイプタバコを吸いながらゆっくり思考しているように見える。


「ユミさんの症状は、恐らく幻術という類のものでス。幻術と言うと何か不思議な魔法のようなものを想像しがちですガ、こちらの界隈で言う幻術は五感に働きかけテ脳をバグらせるような類のもの全般を指しまス」

「幻術……ですか……。シエスタさんに強制的に眠らされたやつとか……?」

「えぇ。そうですネ、それも幻術でス。五感なので視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚に刺激を与える物と言えますかラ。例えば聴覚で言えば私の耳に付けタ鈴の音やユミさんの歌、嗅覚なら香水等も含まれまス。視覚だと色や光を使ったものもありまス。簡単なところで言えば暖色寒色の差デ印象が変わるような物等。こうした五感に働きかけテ脳を操作し攻撃するプレイヤーを幻術使いと称しまス」

「成程」

「ユミさんの激しい頭痛は、強い幻術に掛けられた際のものと思われまス。その後の頭が冴えない感覚は後遺症のようなものでス。脳を攻撃されたダメージと認識して良いでしょウ」


 確かにシエスタに眠らされた後も頭が痛かった記憶がある。直接脳を弄られているという事らしい。怖いなと感じた。


「ユミさんは、基本的に幻術には耐性があるようでス。簡単な幻術にはかからないでしょウ。ただ、弱点があるとすれば、それは空腹でス」

「空腹……」

「えぇ。お腹がすいていると幻術にかかりやすくなルと思ってくださイ」

「分かり……ました……」


 耐性があるというのもよく分からないし、空腹でかかりやすくなるというのもよく分からない。ただ、シュンレイが言っているのだからきっと嘘では無いのだろうなと思う。


「あまりピンと来てなさそうですネ……」

「すみません……」

「大事なことなので、向こうでゆっくり話しましょウ。すみませんが、店の扉に付いている板をCLOSEにして来て貰えますカ?」

「はい」


 シュンレイはカウンター奥の扉を開けて居住スペースの方へ先に行ったようだ。ユミは言われた通り、雑貨店の店の扉の外に付いた看板をひっくり返し、OPENからCLOSEへと表示を変え、カウンター奥の扉へ向かった。


***


「そちらへ座ってくださイ」


 ユミは指示された通り、ローテーブルの方のソファーに座った。シュンレイはキッチンでホットコーヒーを淹れてくれているようだ。コーヒーのいい匂いがする。しばらくすると、シュンレイがコーヒーを入れたマグカップを両手にそれぞれ持ってソファーの方へやってきた。


「どうゾ」

「ありがとうございます」


 このコーヒー絶対美味しいやつだ。

 ユミはマグカップを受け取り一口飲んで幸せを噛み締める。小さい頃は苦くて飲めなかったコーヒーだが、いつからか癖になって手放せなくなっていた。恐ろしい飲みものだ。


「幻術については、先程の説明デある程度は理解しましたカ?」

「あ、はい。成程なって思いました。シュンレイさんの鈴とか音が鳴るとヤバいですもんね。最初会った時は、わざと鳴らさなかったんだなと今更ながらに気が付きました。初対面の時に鳴ってたらと思うとゾッとします。取り乱していたかもです……」


 シュンレイの左耳に付いたアクセサリーの鈴の音は、ユミにとっては完全に毒だ。心を掻き乱されるような感覚がする。相手の恐怖心を煽ったりする意味合いが強いのだろうと思う。


「そうですネ。人によっテ、状況によっテ、効果はかなり異なりますガ、ユミさんのような感覚が鋭い方には完全に毒でしょウ。手合わせ以外では不要な効果になるのデ鳴らさないようにしていまス」


 鈴とは動いたら勝手に鳴るものではないのか。それを鳴らさないように動くのは神業では?

 この人だからこそ難なく出来るのだろうなと感じた。


「あと、シュンレイさんのタバコの匂いとか、香水変えてるのとかも、その類だったりするんですか?」

「えぇ。よく気が付きましたネ。特に香水はほぼ分からないはズ……」

「?」


 割と変えてるなと思っていたのだが、あまりハッキリ相手に気が付かれたくない部類だったのだろうか。シュンレイは、また何か思考しているようだ。何を言われるのか少し怖い。ユミは身構える。


「ユミさんは普通の人間に比べテ、かなり五感が鋭いようでス。異常と言わざるを得ないレベルでス。この香水の違いなんテ常人には分かるわけがありませン。人間にとっては無臭の領域なのデ。有無を知覚するだけでなク、それを嗅ぎ分けるとなると次元が違いまス」

「え……」

「試してみましょウ。少し待っていてくださイ」


 シュンレイはそう言って立ち上がると2階へ行ってしまった。

 ユミはホットコーヒーを飲み、シュンレイの帰りを静かに待った。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?