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2章-5.代理(1) 2020.11.16

 barの下階の運動場。今日も貸切状態のこの空間で、ユミは自主練を行っている。元々体を動かすのが好きなため、ユミは暇さえあれば常にここに来ているというような状態だった。アヤメとの遭遇率も高く、楽しみながらやっている。

 よくよく考えてみると、アヤメ以外には遭遇していない事に気がつく。アヤメが専属プレイヤーなら誰でも使えるとは言っていたが、他に使いたい人は居ないのだろうか。自分としては自由に使いたい放題で、大変ありがたいが、占領しているようで少し悪い気がしてしまう。


 アヤメとはこの場所で週に2回から3回程度の頻度で、曜日と時間を決めて手合わせを続けている。そして、今日もアヤメと手合わせすると約束した日である。ユミはワクワクしながらアヤメを待つ。20時から開始の予定である。


「あれ……?」


 ふと室内に置いてある時計をみると、20時を5分ほど既に過ぎていた。時間にはキッチリしているアヤメが連絡無しに遅れるというのは、かなり心配になる。

 何かトラブルでもあったのか、もしくは、約束は今日じゃなかったとか等、色々と考えて不安になる。とはいえ、アヤメがいなければいつも通りの自主練をするだけなので困ることは無い。ちょっと残念な気持ちになるだけだ。


 更に5分が経過したところで、ガチャりと扉が開く音がした。誰か来たようだ。だが、アヤメの気配では無い。


「こんばんは。アヤメさんが急遽来られなくなってしまっタので代わりニ来ましタ」

「あ、こんばんは」


 やってきたのはシュンレイだった。気配やオーラを消しているタイプの人間の訪問は、中々に心臓に悪い。


 座ってストレッチをしていたユミは立ち上がり、シュンレイの方へ向かう。とはいえ、どうすればいいのだろうか。ユミはシュンレイという人間がイマイチよく分かっていない。接する機会も多く会話もしてきたが、それでも分からないのだ。

 気配やオーラなど感じ取れるものが全く無く、情報が掴めない。表情も殆ど変わらないので何を考えているかも読み取れない。楽しげに笑った顔も怒った顔も1度も見た事がない。常に無表情だ。契約時にニヤリと笑う所は見たが、表情が変わったのはその時くらいだったと思う。

 武器の整備ができたり冷蔵庫内部の様子が几帳面だったりと、少し人物像が想像出来る要素はあれど、ユミにとってシュンレイは謎だらけの人間だった。


「今日は私が代わりに手合わせしましょウ。いつもはどのようニ?」

「いつもは、30分1本勝負で、前半20分が普通にやって、後半10分は歌有りでやってます」

「そうですカ」


 シュンレイは考えているようだった。ユミは静かに待つ。


「では。今日は全部歌有りデやりましょウ」

「へ?」


 困惑するユミをスルーし、シュンレイは運動場の中央へ歩いていく。


「武器を用意しテ、さぁどうゾ」


 どうぞと言われても困る。とりあえずチェーンソーを準備しシュンレイの前に立つが、敵意を向けられることも無く自分も相手に敵意がない状態だとどうしていいか分からない。攻め方が分からないのだ。

 そんな困惑するユミを見て、シュンレイは何かに気がついたようだった。


「あぁ、ユミさんは感覚が鋭ク、本能的に戦うタイプでしタ。失礼しましタ」


 シュンレイはそう言って、ゆっくりと佇まいを変える。一体何をするのだろうか。ユミには全く検討もつかない。

 だが、何か来るかも、とシュンレイに意識を集中する。


「もしキツかったラ言ってくださイ」


 シュンレイがそうユミに告げた瞬間だった。すぅーっとシュンレイから何かが剥がれていくようなそんな何かが見えた気がした。

 それが何かは分からない。物体がある訳では無いだろう。ただ何か付いてたものが剥がれたように感じたのだ。


 そして全てが剥がれきった次の瞬間。


「なっ……!?」


 突如、ぶわっと突風が吹き抜けていくかのような、とんでもない圧力がユミを襲う。

 ぐしゃりと心臓が潰れたかのような苦痛と呼吸困難。思わず苦しみに嗚咽が出そうになる。また、全身が言うことをきかず目をそらすことも出来ない。


 何これ……!

 何これ何これ何これ!


 怖い……!

 逃げたい。嫌……。

 助けて!!!


 こんなものにどうやって立ち向かえと……?

 目の前で捉えているものは本当に人間なのか……?


 そう疑うくらいには化け物にしか見えない。

 今自分に向けられているのが、殺気というものなのだろう。今まで向けられてきたものとは全く比べ物にならない。全身の毛が逆立つような。恐怖で足がすくむ。冷や汗も酷く動悸も止まらない。

 脳内警報はうるさく鳴り響き、本能が逃げろと叫んでいる。


「あぁ、安心してくださイ。私はアヤメさんよりも強いですかラ。全力で向かってきテ、問題ありませン」


 そんな事は一切心配していない。全力で挑んだところで秒で殺される。シュンレイには悪いが、ユミは自分の心配しかしていない。


「どうしましタ? 怖気づきましタ?」


 リィィン……。


 シュンレイが首を傾げてそう言った時に、左耳のアクセサリーに付いていた鈴の音が鳴った。

 その音はユミの神経を逆撫でする。


 この音はまずい。本当に今聞いてはダメな音だ。感覚を支配しに来ている。


「歌っテ上書きしないト、死にますヨ?」


 薄く開いた瞼から、普段は見る事が出来ない金色の瞳が鋭く光っている。

 ニヤリと笑う表情もあいまって、存在そのもの全てが恐ろしい。


「さぁ、ユミさん。殺し合いをしましょウ」


 シュンレイのその言葉を皮切りに、ユミの目の前に拳が飛び込んできた。


 殺されるッ!


 ユミは咄嗟にチェーンソーのアクセルを押し込み、その腕を切断すべく振り上げる。

 当然のようにチェーンソーは空を切るのだが、ユミは同時に後方へ飛ぶことで距離を取った。だが、直ぐに追撃が迫る。


 集中しろ。

 ちゃんと見て、ちゃんと動け。


 幸い震えていた手足は思う通りにしっかりと動いてくれる。


 相手が強いからって怖気付いて諦めて死ぬのか?

 ただ攻撃を躱すことだけして逃げるのか?

 そんなマインド私らしくない。


 呼吸が乱れて歌えないなら、脳内でメロディを再生すればいい。大丈夫。私なら出来る。


 ユミは、シュンレイの絶え間ない攻撃を躱したり牽制したりしながら集中力を高め脳内でメロディを流した。

 ちょうど1フレーズ、メロディが終わった時にふっと体が軽くなった感覚がした。押しつぶされそうな重圧を跳ね返すように、内側から湧き上がる高揚感が少しずつ広がっていく。


 もっと。もっともっともっと!!

 こんなもんじゃ打ち勝てない!


 ユミは、脳内で再生を続ける。


 もっとリアルに、耳で聞いているのと同じくらいの精度で。

 聞きなれたチェーンソーの音も、私の味方だ。

 あの神経を逆撫でする鈴の音をかき消してしまえ!


 ちょうどワンコーラス分、しっかり高精度で脳内再生出来た瞬間だった。

 ドクンっと鼓動が高なった。


 その瞬間、視界がパッと広がるような感覚がした。

 同時に自分を押さえつける重苦しい空気を、正確に捉えることが出来たかのような気さえした。


 そして、気がつけば、不快な動悸はもうなかった。乱れていた呼吸も整った。

 恐怖心は消え、むしろ高揚感がとめどなく一気に押し寄せる。


「あははははっ!!」


 来た。これだ。この感じ。

 全身の血液が沸騰するかのような昂り。

 なんだろう。楽しくなってきちゃった。

 思わず笑いが出てしまう!


 防戦一方だったユミは瞬時に切り替えて、シュンレイに向かって切り込んだ。


「♪♪〜♪〜〜〜♪♪〜♪〜♪♪♪〜♪〜!」


 強い人間と殺し合いができるなんて。

 なんて楽しいんだろう。

 どうやったら殺せるのかな? 全然隙がないや。

 チェーンソーをいくら振り抜いても空を切る。

 それでもいい。構わない。

 当たったら死ぬような攻撃をスレスレで躱すことができる度に生きてる心地がする。


「やっとヤル気になりましたカ」

「お待たせしましたっ!」


 ユミはソプラノの可愛らしい声で答えた。

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