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2章-3.訓練 2020.8.22

「よし! 訓練だ!」


 アヤメの元気な声が響く。仁王立ちで両手を腰に当て、やる気満々といった表情だ。アヤメはTシャツにジーンズに運動靴、髪はポニーテールというスポーティな姿だった。


 時刻は午前9時半。ここは、barのさらに地下に位置する運動場と呼ばれている空間で、何も無いだだっ広いだけの場所である。ユミは今日ここで、アヤメに稽古をつけてもらう事になっている。

 ユミは今まで戦うための練習をしたことがなく、全てが実践で培われた直感とセンスに頼った動きだった。運動は元々得意ではあったが、長時間チェーンソーを振り回すような筋肉が備わっているはずもない。

 まずは基本からやっていったほうが良いだろうと、アヤメの判断で訓練を行うことになった。


「ここはね、専属プレイヤーならいつでも自由に使っていい運動場みたいな場所なの! 私も体動かす時とか、技を試す時とかに使ってる! 地下だから音も気にしなくて良いし!」


 圧倒的な強さを持つアヤメですら、日々時間があれば自主練したり体を動かしたり、基礎の反復を行っているのだという。こうした積み重ねが大事なのだろうなと、ユミは感じた。


「せっかく2人で訓練するなら手合わせしよっ! ユミちゃんは全力で殺しに来ていいよ」


 ユミが一通り準備運動を終えた段階で、アヤメは笑顔で両手を広げて提案してきた。手にはワイヤーなど武器は一切持っていない。


「大丈夫。ユミちゃんがチェーンソーで斬りかかってきても、私は絶対怪我しないから。30分1本勝負! いつでもどうぞ!」


 成程。これが今の実力の差なのだろう。ユミの全力は素手でも無傷で対応できると。

 ユミは全身の血が沸き立つような昂りを感じる。自分は圧倒的な強さを前にワクワクしているようだ。自身の実力不足への悔しさよりも、強い人間と戦うことが出来る喜びを感じる。

 いつかアヤメにも武器を持たせてやりたいと思う。


「お! 良いね! やる気満々じゃん!」


 アヤメがニヤッと笑ってそういうとの同時に、ユミはチェーンソーのアクセルを押し込み、飛び込んで行った。


***


「そう! 今の良いね! 緩急もつけてこっ!」


 アヤメはユミの攻撃を、ヒラヒラと躱しながら指導する。時折、ユミの隙となる肩や背中、足元にも軽く触れ、意識の行き届いていない部分を指摘した。

 武器の都合上、大振りであるため、隙はどうしても大きくなってしまうという事をユミは痛感する。


 現状のユミの実力では、攻撃を避けられたらほぼ終わりということだ。であるならば、避けられない攻撃をするか、避けられる事を前提に相手の次の攻撃を予測して躱すかを考えていかなければならない。

 また、アヤメの指摘を通して、相手のどこを狙うべきかも同時に理解した。隙が出来やすい場所や場面、狙われると困る場所等。手合わせの中で少しずつ理解していく。

 とはいえ、理解したことを直ぐに実践に取り入れるのは厳しい。どう考えても基本的な体力や筋肉、バランス感覚や体幹が不足している。理想の動きが想像できたとしても、その通りに体を動かすことは出来ない。


 ユミはそれでも諦めることなく、試行錯誤を繰り返しながら、せめて掠るくらいは成し遂げたいと、攻撃を畳みかけ続ける。

 しかし、動きを改良しながら攻撃を出し続けて、20分程度がたった頃だった。突然パシンッと乾いた音がして、ユミは右腕に感じる小さな痛みにハッとした。

 気がつけば、チェーンソーが右手を離れ宙を舞い、ユミの背後に落ちていた。


 はぁはぁと荒ぶる自身の呼吸が異様に聞こえる。ユミは呼吸を整えつつ、ゆっくりと震える右手に視線を落とした。


「チェーンソーみたいに振動する武器はね、長時間使い続けると振動障害になるリスクがあるの。だんだん右手の感覚が鈍くなると思う。痺れたりとかね。20分以上も連続で使い続けてたら、流石に厳しいかな。でもね、ユミちゃんは絶対にチェーンソーを手放しちゃダメ。絶対死守すること。まずはチェーンソーを持つ手に攻撃を受けないように立ち回るように。次にもし腕に攻撃を受けた場合でも絶対に手放さない様に工夫する事」


 アヤメの言葉に、ユミは深く頷いた。今の自分にはチェーンソーしかまともに扱えない。奪われてしまえば、死の確率が跳ね上がる。

 アヤメの言う通り振動の対策は、今後必須になるだろうと思う。アクセルを押し込む時間を最小限にしたり、片手ずつ扱えるようにしたり、握力を鍛えたり。出来る事は沢山ありそうだ。


「うわっ! チェーンソーって結構重いんだねー」


 アヤメはユミが落としたチェーンソーを拾い上げ、右手で持って振り回している。


「重心も持ってかれるし、一朝一夕で扱えるものじゃないや。でも、これ使いこなしたら確実に強いね! 重さによる重量級の攻撃ができるし、あらゆるものをゴリ押しで切断するパワーもある。何より、触れるだけで致命傷を与えられるのがおっきい。他に扱うプレイヤーも今居ないから対策もされにくい。ユミちゃんの武器は凄くかっこいいね!」


 アヤメはそう言ってユミにチェーンソーを返す。


「ねぇ、ユミちゃん。提案なんだけど、残り10分はさ、歌いながらやってみて」

「え……」


 ユミは困惑する。

 何故歌を?


 確かに、歌うことで何か頭がスッキリし体が軽くなるような感覚になるため、戦闘において有利になるのかもしれない。

 だが、同時に歯止めが利かなくなる様な、止まれなくなるような不安があり、歌うことを辞めていた。


「大丈夫! 私が全部受け止めるから!」

「分かりました」


 アヤメを信じよう。どうなるのか正直分からないが、アヤメなら何があっても何とかしてくれる。そんな気がした。

 ユミはアヤメから少し距離を取り、集中する。そして、鼻歌を歌い始めた。


「♪〜♪♪〜♪〜〜♪〜♪♪♪〜」


 すぅーっと頭が冴えてくる。

 今なら思い通りに体を動かせそうだ。

 まるで、周囲の空気すら味方につけて、全体を俯瞰して見ているような気分。

 あぁ、最高に気分がいい。


「あははははっ!」


 ユミは高らかに笑い思うまま、一気に地を蹴りアヤメに向かって行った。


***


「あはははっ! イイ! すごくイイ! ゾクゾクするっ! ユミちゃん最っ高ーー!!」


 アヤメが歓喜の声を上げた。


「この感じたまんない!! その鋭すぎる殺気、溢れる狂気、絶対に使いこなすんだよっ!」


 アヤメはそう言って、ユミの攻撃をひらりと躱す。先ほどまでの動きとは明らかに異なるユミの動きに、アヤメは楽しくてニヤニヤが止まらないといった状態だった。

 先ほど指導した事が、すでに動きに出始めている。隙は減り、狙いも洗練されていく。早すぎる成長。本当に異常が過ぎる。見ていて楽しさしかない。


 ユミが歌い始めた瞬間、明らかに場の空気が変わった。アヤメの予想通りではあったが、予想をはるかに上回るレベルだった。

 アヤメは、突き刺さるような鋭い殺気を浴びて心臓が高鳴った。思わず戦闘狂の血が騒いでしまう。また、ユミの溢れんばかりの狂気にも心奪われる。

 あんなに気遣いができて、大人しく、可愛らしい子が、相手を本気で殺すつもりで楽しそうにチェーンソーを振り回しているのだ。こんなものを見せられたら、こちらだって狂わずにはいられない。


「もっと! もっと踏み込んで!」


 自分の声がユミに聞こえているかはわからない。だが、できる限りの指導を行った。時折、楽しすぎて正気を失いそうになる。

 いつかもっと本気でやりあえるかもしれないと思うと、アヤメはユミの将来が楽しみになった。


***


「はい! おしまい! 30分経過!」


 アヤメの声が背後から聞こえたかと思えば、ユミはアヤメにがっしり抱え込まれ、右腕をつかまれた状態だった。


「あれ、もう……?」


 体が動けなくなって、ユミはハッとする。あっという間の10分間だった。なんだかとても楽しかった気がする。


「ユミちゃん、とりあえず鼻歌は仕事では一旦禁止ね。私との手合わせの時だけにしよう」

「はい」


 ユミの回答にアヤメは満足げに頷くと、静止したユミを開放した。


「手、大丈夫?」


 アヤメに問われて、ユミはチェーンソーのエンジンを止め床に置き、自分の両手を確認する。閉じたり開いたりと動くには動くが、感覚がおかしい。

 ちょっとこれはだめかもしれないと思った。しばらく休める必要がありそうだ。


「無理せず、休憩しながらだね! 私はちょっとワイヤーの基礎練あっちの方でしてくるね!」


 アヤメはそう言うと、ユミとは距離を取った位置でワイヤーを展開し練習を始めた。そんなアヤメを見て、ユミは自分も頑張りたいなと感じ、手に負荷がかからないような練習を再開する。

 少しでも早く強くなりたいと、真剣に訓練するアヤメの姿を見て思わずにはいられない。憧れてしまう。素敵だなと感じる。

 追いつくことなんて現実的に不可能かもしれないが、少しでも近づきたくて、ユミは目の前の課題から少しずつ取り組んでいこうと決意した。

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