シュンレイは立ち上がり席を離れると、バーカウンターの向こう側へと行ってしまう。ファイリングした契約書をカウンター下の棚に仕舞ったようだ。そして、棚を施錠した後、スマートフォンを取り出し電話をかけ始めた。
「こんばんは。少しbarの方へ来てもらえますカ」
電話の相手の声は聞こえなかった。シュンレイは短くそう伝えると、直ぐに通話を切ったようだ。シュンレイはテーブル席まで戻ってくると、再びユミの正面の席に座った。
それから1分も経たないうちに、店の出入り口の扉の近くに新たな気配を感じた。ユミはそちらへ視線を向ける。ガチャッとドアノブをひねる音に続き、キィイィ……とゆっくり扉が開く音がした。
そして、そこに現れたのは1人の女性だった。
「シュンレイなに~? 急ぎ?」
焦げ茶色の長い髪を高い位置で1つに結んだ、元気そうな女性だ。ニコニコしながらこちらへ来て、座っているシュンレイの隣に立った。ユミの事を興味深そうに観察している。
その女性はTシャツにジーパン、スニーカーと、とてもラフな格好をしており、纏う空気も明るく活発な印象だった。自分よりは遥かに年上の女性ではあるが、20代だろうと予測が付いた。
身長はあまり高くなく小柄で、ぱっちり二重の釣り目にヘーゼル色の瞳を持ち、とても印象的だった。首元にはネックレスを付けているが、飾りがあると思われる部分はTシャツの内側に入ってしまっていたため、チェーン部分だけが見える状態だった。
「アヤメさん。こちら、ユミさんでス。アナタの弟子ニと思いましタ」
「え!? 嘘!! 弟子! 良いの!? 嬉しい!!」
女性はキャッキャッと喜びを素直に表現する。
「可愛い女の子の弟子が欲しイとずっと言ってましたかラ」
「そう! そうなの! わーい! ユミちゃんよろしくね! 私はアヤメ! 24歳! 好きな食べ物はパンケーキ!」
怒涛の勢いでのアヤメと名乗った女性の自己紹介。ユミは圧に押される。
その勢いのまま両手を握られてブンブン振るわれる。自分は握られた手を含め血まみれの状態だが、アヤメは全く気にした様子は無い。嬉しそうな笑顔はそのままだ。
とてもフレンドリーな印象を抱く。しかしながらこの時、ユミは気が付いてしまった。
この人。すごく強い……。
手を握られた時に伝わってきた、底知れぬオーラ。隙だらけに見えるへにゃっとした笑顔ではあっても、ちゃんと見ればどこにも隙など存在しない。
今自分が不意打ちで攻撃しても一切届かないだろうと容易に想像できてしまう。途端に自然と体が強張った。
「わっ! 警戒しないで。取って食ったりしないよぉ~」
アヤメは一転してしおしおと元気をなくし、しょんぼりする。とても感情表現が豊かな人なのだろうか。
手から伝わる異常なほどの脅威とのギャップ、その歪さを警戒せずにいるのは難しい。また、そんな様子を表情一つ変えずに静観しているシュンレイとのギャップもなかなかのものだ。
「では後は頼みましタ」
シュンレイはそう言って立ち上がる。
「任せて!!」
アヤメは元気に答えると敬礼のポーズをとっていた。どこまでも元気な人だなと思う。
「さぁ! ユミちゃん! 行くよ~!」
「あ、はい」
ユミは返事をして立ち上がる。初対面とは思えないほどの距離感だ。
だが、自然と嫌な気持ちは全くしない。
アヤメがこっちだよ! と向かう方へ、手を引かれるまま、付いて行く形でユミはbarを後にした。