『そこ』が近付くにつれ、彼の足取りは重くなり、その表情は暗くなる。
けれど、あの時王と約束したのだ。
──あんたに俺の葬儀を取り仕切ってもらいたい。俺が死ぬ前に死ぬな──
聖都へ立つその日、王は彼にこう言った。
それに対し、彼は常のごとく穏やかな微笑みを浮かべ、賜りました、と答えた。
それは命令であり、約束でもあった。
彼が亡き主を追ってあの世へ逝ってしまわないようにこの世に縛り付けるための、精一杯の気持ちの現れだった。
王の葬儀を執り行うには、最低でも司祭にはならなくてはいけない。
場合によっては、法王の位を得なければならないであろうことを、彼は知っていた。
不可能かもしれないその約束を果たすため、彼は外界とは遮断された聖都で不断の努力を続けた。
時は流れ、いつしか彼は修道士から司祭となり、推挙され法王となった。
そのタイミングを見計らうかのように届いたのが、かつての戦友である王の崩御の報せだったのだ。
自分が間に合ったのか、それとも王が待ってくれたのか、彼にはわからない。
けれど、葬儀を執り行ってほしいとの依頼を彼は二つ返事で了承したのである。
石造りの階段を降りることしばし、たどり着いたのは地下聖堂だった。
壁の燭台には炎が灯り、堂内をぼんやりと照らしている。
薄暗い聖堂の最も奥まったところに祭壇がしつらえられ、その前には大きな棺が安置されていた。
あの中に、王はいる。
彼をこの地に再び呼び寄せた張本人が。
ゆっくりと、だがしっかりとした足取りで、彼は棺に歩み寄る。
そして、ついにその傍らに立った。
棺の蓋は固く閉ざされており、その人の姿を見ることはできない。
彼は棺に向かい深々と一礼すると、懐かしそうにその蓋に手を置いた。
「お待たせして、申し訳ありません。随分と長い時間がかかってしまいました」
もちろん、返答はない。
しかし彼は何かを感じたのだろう、穏やかな微笑みを浮かべる。
「間に合って良かった。いえ、あなたのことですから、きっと待っていてくださったのでしょう?」
やはり返答はない。
わかりきっていることにもかかわらず、彼の頬を涙が伝い落ちた。
「私のような者を待っていてくださって、ありがとうございました。おかげでこうして、あなたの元に戻ってくることができました」
棺の蓋に、ひと粒ふた粒と彼の涙がこぼれ落ちた。
こらえきれなくなって、ついに彼の口からは嗚咽が漏れる。
ひざまずくと、彼は蓋に両の手をつきうなだれ声を上げて泣いた。
天井の高い聖堂の中に、彼の泣き声だけが響く。
「申し訳ありませんでした……。私は、あなたから逃げたのです……」
言いようのない後悔の念に囚われて、彼は泣き続けた。
その時だった。
かすかな足音を耳にして、彼はあわてて涙を拭く。
立ち上がり振り向くと、扉が重い音を立てて開くところだった。
「殿下? どうしてこちらに?」
戸口で驚いたような表情を浮かべているのは、他でもなく第一王子だった。
聡明そうではあるがどこか儚げな印象を与える第一王子は、彼の姿を認めるとこちらに近付きながらこう答える。
「儀式ではゆっくりと父に挨拶ができませんので、今お別れを告げに参りました」
父子水入らずの時間を邪魔するわけにはいかない。
彼は丁寧にに一礼すると、その場を辞去しようとする。
そんな彼に向かい、第一王子はためらいがちに口を開いた。
「あ、あの……。父は、常々申しておりました。あなたは、信念を貫いた強い人だと」
その言葉に、彼は足を止めた。
第一王子は頬を紅潮させながら更にこう続ける。
「あなたは、わたしの大叔父への忠誠を貫いた強い方だと。この地を去ったのは、不義理などではなく忠義のためだと」
そう言う第一王子は、緊張からか僅かに震えているようだった。
「皆で待っている。急ぐことなく、ゆっくり来い。それが、父からの言伝です」
ありったけの勇気を振り絞ったのだろう、第一王子は腰を抜かしへたり込みそうになる。
彼はあわてて駆け寄ると、第一王子の身体を支えた。
「猊下?」
驚いたようにこちらを見上げてくる海色の瞳に、彼は笑いかける。
東方系特有の不思議な光彩を放つ双眸は、どこまでも慈悲深くそして優しかった。
「心より御礼申し上げます、殿下。陛下のお言葉、しかと受け取りました」
第一王子が姿勢を正すのを待って、彼は深々と頭を垂れると踵を返し、振り向くことなくその場を後にした。
数日後、王城で王の葬儀及び埋葬の儀式は厳かに執り行われた。
その裏には王と法王との硬い約束があったことを知る人は、ほとんどいない。
──終──