「こちらが猊下のお部屋です。葬儀の日まで、おくつろぎいただければ幸いです」
第二王子に導かれて通されたのは、かつての彼の居室だった。
まるで昨日まで使われていたかのように、部屋の様子はあの時のままだった。
彼が驚きの表情を浮かべているのに気がついたのだろう、第二王子はやや誇らしげにこう告げる。
「父上の遺言です。ルーベル伯の記憶を頼りに、猊下がお使いの頃の様子に戻せ、と」
先ほどまみえた戦友からはそのような事は一言も聞かなかったのに。
どうやら銀髪の男は、まだまだその内にいたずら心を秘めているらしい。
苦笑を浮かべながら彼は部屋に足を踏み入れると、窓から外の様子を眺めやる。
眼下にはあの頃と同様、王都の街並みが広がっている。
隣国との戦いで一時は荒れ果てたこの街を、亡き王は必死に復興させたのだろう。
結果、今も変わらぬ人々の営みが続いているのだろう。
その時、視線を感じて彼は振り返る。
戸口では第二王子が何かを言いたげな顔をして彼をじっと見つめていた。
「いかがしましたか、殿下」
柔らかく笑いながら彼は問う。
と、第二王子はややためらいがちに口を開いた。
「……猊下はかつて、父上とともに戦った騎士だったと聞き及んでおります。その前は、父上の従弟殿に使えていたとも」
何ら間違ってはいないので、彼はうなずいて肯定する。
と、第二王子は彼の顔をまっすぐに見据えてこう言った。
「ならば猊下は、この国の玉座にまつわる呪いにも似た謂れをご存知かと思います。……跡目争いがない聖なる玉座の伝説を」
そう、この国は『聖なる玉座の国』との異名を持っている。
王位継承争いがない、つまりは血塗られたことのない玉座を持つ稀有な国と言われている。
だがその裏には、悲しい事象がいくつも積み重なっている。
彼の主と亡き王の関係も、聖なる玉座が起こしたがゆえの悲劇だった。
第二王子は、更に続ける。
「継承争いを起こしたくないのならば、どうして父上は僕をもうけたのでしょう。兄上さえいれば、充分なはずではありませんか? 僕は……」
「不必要な存在だ、そうおっしゃりたいのですか?」
彼の問いかけに、第二王子はこっくりとうなずく。
同時に海色の目からは涙がこぼれ落ちた。
「陛下にそのことを直接尋ねられたことはありますか?」
さらなる問いかけに、第二王子は再びうなずく。
そして、泣きじゃくりながらこう答えた。
「そんなことはない、お前も兄上も、自分にとっては大切な存在だ。父上はそうおっしゃいました。そして、お前はどうか兄上を支えてほしい、と」
その言葉に、彼の胸は痛んだ。
亡き王がそう言ったのは、自らを支えてくれる人間を欲していたからだ。
そう彼は理解した。
僅かに身を屈めると泣きじゃくる第二王子と視線を合わせ、彼は穏やかにこう告げた。
「陛下は、孤独だったのです。私が……周囲から大将軍になることを望まれた私が逃げてしまったので、陛下は誰一人頼れる人を持たなかったのかもしれません」
その言葉に、第二王子は涙に濡れた瞳を彼に向ける。
その視線を真正面から受け止めて、彼は更に続けた。
「ですから、世継ぎの王子を最もよく知って支える誰かが必要だと思ったのでしょう」
「けれど、兄上のお側には守役のイリージャ卿がいます。僕なんて……」
自らを卑下して再び泣き始める第二王子の頭を、彼は優しくなでた。
突然のことに、第二王子は泣くのを忘れて彼を見つめる。
「イリージャ卿よりもあなたのほうが、遥かに兄君に近しい存在でしょう? あなたしか知らない兄君がおられるはずですよ」
彼の言葉に、第二王子はしばし何かを思い起こしているようだった。
が、ややあってその顔にははにかんだような表情が浮かぶ。
「……ありがとうございます、猊下。難しいかもしれないけれど、僕なりに兄上をお助けできるよう尽力します」
そう言うと第二王子は勢い良く一礼し、挨拶もそこそこに走り出していた。
その様子を出会った直後の無邪気だった主と重ね、彼は微かに笑みを浮かべる。
と同時に、王家の血は確実に受け継がれているのだ、そう彼は悟った。
どうやら感傷にとらわれて、過去にすがっているのは自分だけのようだ。
何より自分が一番、現実から目を背けようとしているのではないか。
かつての仲間や次代を担う若者たちからその事実を教えられたような気がして、彼はようやく決意を固めた。
部屋を出て扉を後ろ手で閉めると、彼はある場所へと足を向けた。
そう、『約束の場所』へと。