規則正しい
「
声をかけられて、彼はあわてて顔を上げる。
見ると、斜め前に座っている侍従役の修道士が、不安げに彼の顔をのぞき込んでいた。
かつては馬上に何日も揺られていても平気だったのに、と、彼はと吐息をもらし苦笑を浮かべる。
これも年齢を重ねたせいなのか、あるいは緊張を忘れるほどこの国が平和になったせいなのだろうか。
はかりかねて、彼は修道士に向かいゆっくりと首を左右に振った。
「お疲れなのではないですか? 猊下にもし何かあったら、わたしたちはどうしたらいいか……」
「その時は、私よりも優れた若い人材がその位に就くだけですよ」
「猊下……」
予想外の言葉だったのだろうか、不安の色を濃くする修道士に向かい、彼は穏やかに笑ってみせた。
かつて、この国は隣国に攻められ滅亡の危機に瀕していた。
その時、王家の血を引く一人の若者が立ち上がり、敵兵を押し戻しその独立を取り戻した。
そして王位に即位した若者は善政を行い三十余年が過ぎた頃、静かにその生涯を終えた。
常ならば国の最高位の司祭がその葬儀を執り行うのが慣例なのだが、王は遺言を残していた。
曰く、神の代理人と全大陸の人々から尊敬を集めている聖都の法王に葬儀を一任してほしい、というものであった。
当代の法王という人は、変わった経歴の持ち主だった。
もとは異教徒である東方移民の末裔で、先代王の重臣という人物の養い子となったことで騎士の位を得、長じて世継ぎの王子の腹心の部下となった。
先の争いで王子が他界すると、その従兄である青年……後に王となる人物を助け王都奪還の戦いに見を投じた。
その後、王の右腕となるものと期待されていた彼は、多くを語ることなく突如として王都から去り、聖職者となるため『聖都』へ向かった。
彼がどうして聖職者への道を選んだのかは、一切語ることなかった。
元来穏やかで人格者でもあった彼は次第にその地位を上げ、東方系初の法王へと推挙されたのである。
前方に、王都に入る門が見えた。
車窓からは、昔と変わらぬ人々の日々の営みが見て取れる。
思わず目を細める彼に、修道士は微笑を浮かべながらこう声をかけた。
「猊下は王都のご出身とうかがっております。やは常ならば国の最高位の司祭がその葬儀を執り行うのが慣例なのだが、王は遺言を残していた。
曰く、神の代理人と全大陸の人々から尊敬を集めている聖都の法王に葬儀を一任してほしい、というものであった。
当代の法王という人は、変わった経歴の持ち主だった。
もとは異教徒である東方移民の末裔で、先代王の重臣という人物の養い子となったことで騎士の位を得、長じて世継ぎの王子の腹心の部下となった。
先の争いで王子が他界すると、その従兄である青年……後に王となる人物を助け王都奪還の戦いに見を投じた。
その後、王の右腕となるものと期待されていた彼は、多くを語ることなく突如として王都から去り、聖職者となるため『聖都』へ向かった。
彼がどうして聖職者への道を選んだのかは、一切語ることなかった。
元来穏やかで人格者でもあった彼は次第にその地位を上げ、東方系初の法王へと推挙されたのである。
前方に、王都に入る門が見えた。
車窓からは、昔と変わらぬ人々の日々の営みが見て取れる。
思わず目を細める彼に、修道士は微笑を浮かべながらこう声をかけた。
「猊下は王都のご出身とうかがっております。やはり故郷は懐かしいですか?」り故郷は懐かしいですか?」
修道士からそう尋ねられ、微笑で応じてから彼は逆にこう問いかけた。
「こういった風景を見るのは、初めてですか?」
雲の上の人物から声をかけられ、修道士は感動のあまり灰色の瞳をきらきらと輝かせる。
「わたしはとある貴族の、妾腹のしかも末子でしたが、子どもの頃は父の離宮で母やきょうだい達と暮らしていました。市井のことはまったくわかりません」
そう答えると、修道士は物珍しそうに窓の外を眺めやる。
その姿を彼はある人物と重ね合わせていた。
かつて彼が仕えた主、つまりは彼を地獄のような日々から救ってくれた恩人……他界した世継ぎの王子である。
言葉にするのもおぞましい養い親からの虐待を知りながら、ありのままの彼を見てくれた人だった。
だから、彼は主のためならば命を賭してもいい、そう思っていたにもかかわらず、主の臨終の場に立ち会うことは叶わなかった。
主が死の淵を彷徨いながらその名を呼んでいた従兄の青年を探すために、傷ついた身体をおして主の元を離れ、国境の村へ向かっていたからである。
けれどそのお陰で、青年は自らの運命に向き合い、悲しみに押しつぶされることなく国のため立つ決意をした。
主を失った彼は青年のために剣を取り、王都奪還の戦いに身を投じる。
だが、青年が国の復興を成し遂げ王位に就いたとき、彼は剣を置く決心をした。
国の復興で、主への忠義は尽くした。
残された人生で、その恩義に報いなければならない。
彼なりに散々考えた結果導き出されたのが、聖職者になるという選択だった。
「……そういえば、猊下はもともとは騎士だったとうかがいましたが、どうして聖なるものに仕える道を選ばれたのですか?」
過去へと想いをはせていた彼を、不意にかけられた修道士の言葉が現実へと引き戻す。
苦い思い出を噛みしめるように、彼は目を伏せ僅かに頭を揺らし、穏やかな口調で答えた。
「その役目は、終わったと思ったからです」
「役目、ですか?」
きょとんとした表情を浮かべる修道士に、彼は寂しげな微笑を浮かべうなずいた。
気付けば前方には王城が見える。
あそこに、彼を待つ人がいる。
別れ際、彼ととある約束を交わしたあの青年……いや、この国の王が。
「騎士というものは、人の生命を奪うことしかできません。少なくとも、私はそうでした」
そう言うと、彼はすいとその手を目の前にかざした。
「この手は、血塗られています。洗っても洗っても、決して落ちることはありません」
突如として始まった懺悔にも似た彼の独白に、修道士は固唾を飲む。
それを意に介することなく、彼は更に続けた。
「王都を奪還し、争いが終わったとき、私はふと考えました。これからどうするべきなのか、と」
「……猊下?」
「このままでは、私の罪はあがなえない。恩人に報いることもできない。ならばどうすればいいのか、と。」
「……猊下ほどの方でも、悩まれることがあるのですね」
あまりにも正直な修道士の言葉に、彼は小さく声を立てて笑った。
「悩みは、誰にでもあります。もちろん私にも。ですが、悩み苦しむことは、成長につながります」
そう締めくくると、彼は前方に視線を向ける。
豆粒ほどの大きさだった王城は、いつしか目前に迫っていた。
果たしてどのような顔をしてかつての仲間と会えばいいのだろう。
かつての仲間は、今の自分を見て一体何と言うだろう。
別れの挨拶もそこそこに、理由も告げず王都を離れた自分に、どんな感情を持っているのだろう。
様々な思いが、彼の胸のうちに去来する。
そして馬車は王城の周りにめぐらされた堀を渡り、その中へと吸い込まれるように入っていった。