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第7話 春、そして……

 そして、プロイスヴェメは深い雪に閉ざされる長い冬を迎えた。

 その完全に閉ざされた世界の中で、『黒豹』は自らの傷を癒し、『若き獅子』は己の爪を研ぐべく鍛錬を始めた。

 オルランドの配下からもたらされた報告によると、幸いにもアルタの村は壊滅を免れ、後背の退路を断たれたフェルナンドの軍は、大きく迂回しながらラベナのヒューゴ五世と合流するべくフエナアプルを後にしたという。

 やがて傷が完全に癒えたホセは、バルのたっての願いにより自ら剣を取りその稽古をつけるようになった。

 だが、バルのために剣を取るホセは、今までのように狂気に飲み込まれることは無かった。

 無論バルも驚いていたが、一番当惑していたのはホセ自身であった。

 その様子にオルランドはバルに向かって笑って言った。

 君なら黒豹を受け止めてくれると、最初に話したはずだろう、と。


      ※


 そして、待ちわびた春が訪れた。

 夏の宮を覆う雪が溶け、川となった。

 それこそ山麓を下る雪崩のごとく、かつてのパロマ侯配下の騎士団……フエナシエラの本流は、プロイスヴェメ領を抜けフエナシエラ王都ラベナへと向かった。

 始め一万にも満たなかったそれは、しかしフエナシエラヘ近づくにつれその数を増した。

 街道を抜け、国境へと向かい、最初の戦闘に勝利したとき、ある知らせが届けられた。

 それはサヴォにおいて先王の嫡子であったアンリ・ド・サヴォが王位につき、フエナシエラに侵攻を行ったヒューゴ五世を廃すると共に、その手引きをしたフェルナンドを追放するとの声明だった。

 アプル女侯を後見人としたアンリは、正式にプロイスヴェメを支持したのである。

 それをきっかけとして、かつてサヴォに与していた諸侯達もヒューゴ五世の元を離れていった。

 そして雨が降り止まぬ中行われようとしていたラベナ攻防戦では、ヒューゴ五世に仕えるのは直属の近衛軍とフェルナンド配下の軍勢約二万のみとなっていた。

 彼らはラベナの城壁を固く閉ざし抵抗を続けたものの、勝敗は誰が見ていても明らかだった。

 そして、夜明けと共に全てを終わらせる戦いが始まった。


       ※


「フェルナンド殿! どこにおる?」


 いらだったように叫びながら、ヒューゴ五世は静まり返った王城を走り回る。

 半開きになっているひと際豪奢な扉に気づき、彼はそれに手をかけた。

 そこは他でもなく、玉座の間だった。

 空っぽの玉座を前に、ひざまずく人の姿が見える。

 一人は白銀色の甲冑を身に着けた女性騎士。

 そして、もう一人は……。


「フェルナンド殿! 何をしている! すでにこの城は囲まれているのだぞ?」


 声を荒らげるヒューゴ五世。

 その時ようやくフェルナンドは立ち上がり、振り向いた。


「早くエルナシオンへ戻らねば……。当然そなたはこの城の抜け道は知り尽くしているのだろうな?」


 あまりにもおめでたいヒューゴ五世の言葉に、フェルナンドは唇の端に皮肉な笑みを閃かせた。

 その様子に、ヒューゴ五世は怒りに満ちた視線をフェルナンドに投げかける。


「何がおかしい? 一刻も早く……」


「我々には最早、戻る場所は無い。まだわからないのか?」


 そう言って、フェルナンドは低く笑った。

 脇に控えるベアトリスは、不安げな表情で主を見つめている。

 それまで下手に出ていたフェルナンドに突然この様な物言いをされ、ヒューゴ五世が平静を保てるはずもない。

 激高したヒューゴ五世は腰の剣を抜き、切っ先をフェルナンドに突き付けた。

 けれど、フェルナンドは薄笑いを浮かべたまま微動だにしない。

 その静かな圧力に気圧されて、ヒューゴ五世はわずかに後ずさった。

 二人の間に割って入ろうとするベアトリスを手で制すると、フェルナンドはヒューゴ五世を海色の瞳で見据えた。


「愚かな。ただ座していれば道は開けるとでも? 上に立つものとして、今何をすべきか言われずともわかるだろう?」


 言いながらフェルナンドは剣を抜く。

 銀色の閃きに、情けなくもヒューゴ五世は剣を取り落とす。

 更に情けなくも腰を抜かし、その場にへたり込んだ。


「決まっている……。一刻も早く落ち延びて……再戦を……」


「今はもう、その段ではない」


「では……では、なんとする?」


 剣を構えたまま、フェルナンドはヒューゴ五世に向かい一歩踏み出す。

 そして、凄惨な笑みで応じる。


「上に立つものとして、付き従ってきてくれた者に責任を持たねばなりません。……その生命をもって」


 フェルナンドが何を言っているのか、ヒューゴ五世は理解できないようだった。

 口を無駄に開閉させてこちらを見やるヒューゴ五世に、フェルナンドは剣を向ける。


「終わりにしましょう、」 


 言うが早いが、フェルナンドはその剣を一閃させる。

 同時に真っ赤な血飛沫が、フェルナンドの頬や石造りの床を染める。

 首から血を吹き上げながら、バランスを失ったヒューゴ五世はゆっくりと崩れ落ちた。


「……フェルナンド様?」


 不安げに歩み寄ろうとするベアトリスに一瞥もくれず、フェルナンドは固い声で告げた。


「……カプア卿、最後の命令だ。塔に白旗を掲げよ」


「ですが……フェルナンド様は……」


 その時、ようやくフェルナンドはベアトリスをかえりみた。

 その顔には、透き通った微笑が浮かんでいる。


「俺は、自分が何をすべきか知っている。心配するな」


 その時、ベアトリスは全てを悟った。

 両の目から涙がこぼれ落ちる。

 だが、それをすぐに拭うとベアトリスはフェルナンドに一礼してから玉座の間を出ていった。

 足音が、次第に遠くなる。

 それが完全に聞こえなくなった時、フェルナンドはすでに血で染まった剣を自らの首筋にあてる。


「殿下……俺が行くのは地の底……。お供できずに申し訳ありません」


 言い終えて、フェルナンドは剣を勢い良く引いた。


     ※


 塔の上に白旗が掲げられると同時に、内側から城門が開かれる。

 周囲を固めていたフエナシエラ軍から、歓喜の声が上がる。

 この時、長きに渡って蹂躙されていた王都ラベナは解放されたのである。

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