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第5話 告白

「やはりこちらにおられたか」


 耳慣れぬ女性の声に、バルは慌てて顔を拭い振り向いた。

 目の前には、カルロスの棺がある。

 そして背後に立っていたのは紛れもなく、このプロイスヴェメの『氷の女帝』マルガレーテ・フォン・モナートヴェメ……シシィの異母姉だった。

 おそらくカルロス薨去の報せを受け、この夏の離宮に急ぎ戻ってきたのだろう。

 慌てて姿勢を正そうとするバルを手で制すると、女帝は棺に向かい深々と一礼し祈りの言葉をつぶやいた。


「申し訳……俺は……カルロスに……」


「そなたにはここに来る資格がある。誰もとがめぬのがその証拠ぞ」


 その通りである。

 歴代プロイスヴェメ皇帝ゆかりの霊廟に、自称『何処の馬の骨とも解らない』バルが何度も立ち入っても誰も何も言う者は今までいなかった。

 この時初めて、バルは誰のお陰でそれができていたのかを知り、慌てて石畳に額をこすりつけた。


「本当に……わがままばかり言って……陛下には……」


「余の妹を助けた恩人に我が儘も何も詮無きことぞ。そのようなことは気にせずとも良い。されど……」


 顔をあげるバルの視線が、初めてマルガレーテとぶつかった。

 微笑すら浮かべたこともないと言われる女帝のそれと。


「獅子の御子よ。そなたはこれからいかがする所存じゃ? このままここで友人のために泣き暮らすか? それとも悲しみから立ち上がった兵を率い、玉座を奪還するか? 全てはそなたが決めることぞ」


 突然の女帝の言葉に、バルは思わず首をかしげた。


「……玉座を奪還って……俺が……? だって俺はただの……」


 だが、女帝は目を伏せ悲しげに首を左右に振る。 


「村人で通すのはもう無理ぞ。剣に遺訓。証拠はそろいすぎておる。あの勇猛な黒豹殿を始め、パロマの軍勢の行く末を握っているのは紛れもなくそなた自身じゃ」


 その通りだった。

 このところ重臣達の視線から、バルは張り詰めた物を感じ取っている。

 それはカルロス亡き後、彼らに残された唯一の旗印がバル……バルトロメオ他ならないからである。

 恐らく今バルが死ねと命じれば、皆それに従うだろう。

 そして、王都奪還の戦を起こすと決意すれば、皆は進んでその戦に身を投じるだろう。

 そんな重臣達の命の重さに耐えかねて、バルは逃げだしてここにこもっているのだ。 

 それを悟ってか、マルガレーテは静かに目を伏せた。


「余は、望まれて皇帝になったわけではない……。先帝陛下ちちうえのご決断が遅かったばっかりに押し上げられてしまったまでのこと。心構えが無かったという点で、そなたと同じじゃな」


 思いもかけないその言葉に、バルは涙を拭うのも忘れて非礼と知りつつもマルガレーテの顔を見つめた。

 皇帝の漆黒の瞳は、遥か遠くを見つめているようだった。


「余には、セシリアの他に弟もいた。弟が生まれた時、余はこの国を背負うことから解放されたと、ひととき安堵した。……今だからこそ言える事ではあるが……」


 だが、皇太子は幼くしてこの世を去った。

 残されたのはマルガレーテとセシリア、母親の異なる二人の皇女だけだった。

 あとは、カルロスやシシィに聞いた通りである。


「先帝陛下は周りからの世継ぎを定めよとの重圧に負けたのじゃ。それゆえ……」 


「シシィを幽閉してしまった……?」


 バルの問いかけに、マルガレーテは頭を垂れた。

 そこにいたのは『氷の女帝』と呼ばれるその人ではない。

 ただの妹の不幸を嘆く一人の姉がいるに過ぎなかった。


「夏の宮にある塔はこの通り、冬になれば雪に埋もれる。同じ血を分けた妹がそのような所でどんな暮らしをしているのかと思うても、余は陛下に何も言うことができず、そしてついには見殺しにしてしまった……」


「でもシシィは生きて……ちゃんと今陛下の側にいるじゃないか……。俺は逃げ出して……こんなことに……」


「じゃが、間に合った。違うか?」


 その問いかけに、バルは答えを返すことができなかった。

 確かにバルは戻ってきた。

 そして、ただ一人の『従兄弟』の死に際に間に合い、全てを聞くこともできた。

 けれどそれは、今まで何も知らずフエナシエラの片隅で暮らしていたバルにとっては、余りにも重い宿命でもあった。


「決めるのはそなたじゃ。余でも、ましてやフエナシエラの騎士達でもない」


 再び女帝の声が黙りこくるバルの耳朶を打つ。


「じゃあ……何で陛下は俺にそんなことを……」


 生まれ持っての粗野な言葉遣いにあわてて口をつぐむバルに、マルガレーテは柔らかく微笑んだ。

 『氷の女帝』と言われている人が。


「余は何もできなかった。抗うことができずただ目の前に作られた道を歩むことしかできなかった。そなたと似ていると思った。だからかもしれんな」


 独白のようなマルガレーテの言葉に、バルは引き込まれていた。

 そんなバルの視線を受けて、女帝は更に続ける。


「同じ立場に立たされた者としての……いや、そなたの方が過酷やもしれんな。今まで何も知らず、穏やかに暮らしていたにもかかわらず、いきなり権力の荒波の中へ放り出されて……」


 言葉の後半は飲み込まれバルには届かなかった。

 女帝とカルロスの棺とを、バルは再び交互に見やる。

 そんなバルを見て、再び女帝は笑った。


「ようやく正気を取り戻したと見える。黒豹殿をはじめとする皆がそなたを心配しておるぞ」


 そう言いマルガレーテは踵を返す。

 そして肩越しにバルに告げた。


「そなたが使っていた部屋は、そのままにしてあるとのこと。無理かもしれんが、少しでも休むと良い」


 再びバルは石畳に額を擦り付ける。

 御身を大事に、そう言い残して女帝はその場を後にした。

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