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第4話 遺言

 全てが静寂の中に包まれていた。

 広大なプロイスヴェメ皇帝の夏の離宮は、夏の緑とはまた異なる美しさを持つ白銀の輝きに彩られていた。

 が、高い塔には『銀色の双頭の鷲』と畏れられるプロイスヴェメの皇帝旗と、見慣れた『フェナシエラの海に金色の獅子』と讃えられるパロマ侯旗、二つの半旗が掲げられていた。

 アルタ村でのフェルナンドと楽園の騎士団との争いが膠着状態になったところを見計らい、先に行ったバルを追ってプロイスハイムに向かっていた馬車に、カルロスの逝去が伝えられたのは二日前。

 凍てついた空気の中、ホセとシシィが目にしたのは、それこそ全てが死に絶えたような、だが目をそらすことができない異質な美しさを感じさせる、そんな風景だった。


「大丈夫なのか? お前、どうしていつも自分を大事にしないんだ。殿下はいつも……」


 出迎えたオルランドは、言いかけて慌てて口を閉ざす。

 馬車からシシィの肩を借りて降りてきたホセの顔は青ざめ、辺りを取り巻くような景色と同じく、凍り付いた様な表情を浮かべている。

 が、オルランドの姿を認めるや否や、ホセは開口一番言った。


「バルは……バルはどうでしたか? 今は一体どこに?」


「お前とシシィ殿のお陰で、どうにか間に合った。けど……あれ以来ずっと、殿下のお側に……霊廟れいびょうにこもったきり出てこようとしない」


「この寒い中、火の気のないところへ? どうして誰も何もしない?」


 自分なら首根っこを掴んででも引きずり出すぞ、と苛立ったように怒鳴るシシィ。

 そんな彼女をよそに、ホセは脇腹を押さえたまま霊廟のある聖堂の方へと、しっかりとした足取りで向かう。


「おい! 待て!」


 肩に手をかけ、止めようとするシシィに、ホセは振り向き、寂しげに笑って見せた。


「大丈夫です。……私も殿下にお別れのご挨拶に行くだけですから……」


 その言葉に、何ともも言われぬ感情を感じたのか、シシィはあっさりと手を引く。

 オルランドの方を顧みると、彼は僅かにうなずくだけだった。

 降り積もった雪の上に、足跡が聖堂の方へと向かい伸びていった。


      ※


 重い扉を開くと、黴臭い匂いが鼻を突いた。

 ホセは導かれるように霊廟のある地下へと続く階段を一歩一歩降りていった。

 その度、塞がりきっていない傷が鈍く痛む。

 それに顔をしかめながら進むことしばし。

 地下に掘られた回廊の中で一つ、半開きになっている扉があった。

 そこには獅子の紋章が彫り込まれており、扉の隙間からはほんのりと明かりが漏れていた。

 細長い部屋の中央には石造りの棺が安置され、その蓋にもやはり獅子が浮き彫りになっている。

 傍らには、ランプの光の中幽霊のように浮かび上がるバルの姿がある。

 涙で汚れた顔を拭おうともせず石畳の上に座り込み、虚ろな瞳でただ石棺を見つめていた。


「……ひと思いに殺してくれないか? 俺は……俺の不注意で、あんたの大切な人を殺してしまったんだから……」


 ホセが声をかける前に、バルの口から枯れた声が漏れる。

 やれやれとでも言うように一つ息をつくと、ホセはゆっくりと歩み寄る。

 そして痛みに顔をしかめながらバルのすぐ脇に腰を降ろす。


「失礼します」


 軽く頭を下げてみせるホセに驚いたようなバル。

 その視線を気にすることなく、ホセは改めて石棺を見つめた。


「オルランドから、聞きました。間に合われたようで、何よりでした」


「ごめん……俺が……俺が勝手なことをしなければ……あんたも……」


「この世にはどうしようもできない見えない力、という物があるんですよ。どうあがいても、恐らく結果は同じ事になっていたでしょう」


 穏やかな口調でホセは答える。

 それは既に何かを悟っているようでもあった。

 視線をもう一度石棺に向けてから、バルは自らの傍らに置いてあった剣を手に取った。


「知らなかったんだ、本当に……。これが一体どういう物なのか。顔も知らない親父が王様の兄さんで、しかも実の親じゃなくて……カルロスと従兄弟だったなんて……」


 言葉が終わると同時に、バルの目から涙が溢れる。

 一人きりここにこもり、何度も何度も自分を責めていたのだろう。

 そして泣いていたのだろう。

 無言でホセは自分のマントをバルの肩に羽織らせた。

 何事かと見つめ返してくるバルに、ホセは優しく言った。


「こんなに寒いところにいたら、冗談抜きで風邪をひきますよ。前に私に風邪をひくと行って火に当たるよう言ってくれたのをお忘れですか? そんな貴方に風邪をひかせてしまったら、立つ瀬がありません」


 寂しげな微笑を浮かべるホセに、居心地の悪さと妙な照れくささを感じて、バルはぷいとそっぽを向いた。


「殿下は薄々、ご自身の出生について御存知だったようです。パロマ侯に封ぜられた時に立太子を辞退されたのは、その為ではないかと……。そして常々、正統な玉座の継承者を見つけだすと……」


「解らない。何がそこまでさせたのか……。親父……フェダルがどうしてアルタなんて辺鄙なところに来たのか……それに、それが全部本当なら……」


 一度言葉を切ってから、バルは再び石棺を見つめる。


「フェダルは何故、俺を助けたのか……。俺が生きている限り、同じことが起こるのは解るはずなのに……」


「私はもちろん直接お会いしたことはありませんが、ロドルフォ殿下は大変慈悲深く、お優しい方だったそうです。恐らく殿下の御性質は、お父君譲りの物だったのでしょう」


 だからカルロスは、自分が『フエナシエラ王の子』であることに疑問を持ったのだろう。

 猛将として隣国に畏れられる、あの偉大な王の子どもであることに。

 確かに共に行動しているときも、カルロスは文武に遜色無かったが、どちらかと言えば人格者として優れている、という印象が色濃くバルの中には残っていた。

 どんな状況に置かれても、カルロスが穏やかさを失ったところは見たことが無い。


「殿下は喜んでいらっしゃると思いますよ。結果的にこんな事になってしまいましたが、バルが戻ってきてくれたんですから……」


 石棺を見つめたままホセはつぶやく。

 その言葉に打たれたかのように、バルはその方向を省みた。

 自分とは縁もゆかりもない、命を賭した騎士の主従関係。

 その強い絆で結ばれた両者。

 本来であれば、自分が主の盾とならなければいけないにも関わらず、その瞬間にも立ち会うことができなかったホセの心境は、一体どんな物なのだろうか……。


「これから、どうするんだ……?」


 うわごとのようにつぶやくバル。

 視線を動かすことなくホセは答える。


「私たちの願いは、あくまでもフエナシエラの再興です。最後までそれを諦めるつもりはありません。ですが……」


 この状況で、バルをフエナシエラの後継者として……即ち反撃の旗印として立てられるのだろうか。

 根拠となるのは古びた王家の宝剣のみ。

 それだけで一度サヴォになびいた諸侯を引き戻すことができるのだろうか……。

 むしろ、確実に王家の血をひいていると解るフェルナンドを、より強く支持してしまうかもしれない。


「そういえば……」


 突然思い出したように切り出したバルに、ホセは慌てて振り向く。

 バルの表情は心なしか落ち着きを取り戻しているようだった。


「カルロスの、遺書があるんだ。あんたが帰ってくるまで待とうということになって、まだ開いていないんだった」


「解りました。私は、どちらにせよ最後まで殿下のご命令に従うつもりです。では、行きましょうか?」


「でも……」


 ためらうバルの手をホセは取り、いつもの笑みを浮かべて見せた。


「肩を貸していただきたいんです。まだ傷が完全に治っていませんし……それに開封の場に、貴方と宝剣があるのと無いのでは、意味合いが違ってきますから……」


 穏やかなホセの言葉に、だがバルは抗うことが出来ず、ランプと剣を取り立ち上がった。


     ※


 長い机の上座には、古ぼけた剣が置かれている。 

 今や物言わぬそれこそが、彼らを烏合の衆ではなく騎士団として統率していると言っても良かった。

 かつてパロマ侯の元でその名をとどろかせていた猛者達は言葉もなく、ある者は自らの手元を見つめ、またある者は涙を堪えるように目を閉じている。

 そして、当の剣の持ち主はと言えば、相変わらず仏頂面で末席にも座ろうとせず、扉に寄りかかりながら腕を組み、『屈強な騎士』達を見つめている。

 が、近づいてくる足音に気が付いて、あわてて上体を起こした。

 扉は音もなく開き、家臣団で最も年長であり人望も厚いルーベル伯ピピン・デ・イリージャが、封印が施された油紙の束を手に室内に入ってきた。

 そして空席となっていた剣に最も近い席に立つと剣に向かい深々と一礼し、一同をぐるりと見回した。


「殿下は、ご自分の寿命を悟っておられたようだ。ここに、有り難くも我々にあてられた殿下のお言葉がある」


 そして恭しく自らの剣を取ると、すらりと抜き放ち、その白刃で油紙に施された封印をといた。

 中から現れたのは、フェナシエラの象徴である獅子の透かしが入った、公文書用の便箋の束だった。

 わずかに部屋を包む空気に緊張が走る。再び一同を見やると、ルーベル伯はややしわがれた、だが重々しい声でそれを読み始めた。


──親愛なる者たちへ


 これが無駄な物になることを祈るが、それが不可避であることを私自身が理解している。

 かくなる上は、私の願いを書き付けておくとする。

 まず、フェルナンドを裏切者と蔑まないで欲しい。

 彼は私の即位を願ってこの行動にでたのだから。

 知っての通り、私は先の陛下の実子ではない。

 けれど私は、玉座には陛下の実子こそふさわしいと思っている。

 その私を玉座につけるため、フェルナンドはサヴォと結び、すべてを知る大将軍閣下を手にかけた。

 そして、恐らく次にはフエナアプルにて生活している陛下の実子を狙うだろう。

 だが、私はそれを望まない。

 これ以上玉座の名を守るために血が流れて欲しくはない。

 最期のわがままを聞いてくれるというのであれば、陛下の実子……バルトロメオを守って欲しい。

 彼は何も告げられることなく、この私が巻き込んだだけなのだから。

 彼を玉座につけて欲しいとは言わない。

 以後他国へ仕えることも、フェルナンドの元に駆け付けるのも止めはしない。

 私は、私の死後までも皆がフエナシエラの名に縛られるのを望まない。

 そして、これ以上の無為な流血は望まない。

 言うまでもなく私のあとを追うなど、もっての外だ。

 けれども、もし皆が海色の旗を再び掲げようとするならば、それを見守る。

 願わくは、人智を超えた全能の存在の加護が、皆の上に有らんことを祈る。


  パロマ侯カルロス・デ・フェナシエラ 記す──


 部屋のあちらこちらから、すすり泣く声が聞こえる。

 カルロスは、最後までその優しさを失うことは無かった。

 誰も言葉を発することができぬ中、ルーベル伯はやや充血した瞳でその手にした遺書を改めて見やると、恭しく卓の上に置き、深々と一礼した。

 そして、何故かバルの方へと歩み寄った。


「今までは我々に向けられた殿下のお言葉だ。そしてこれが、貴殿個人に送られた物だ」


 言いながらルーベル伯はもう一通の書状をバルへ手渡した。

 半ば青ざめた顔でそれを開いたバルは、中身を一瞥するなり低くつぶやいた。


「……そんな……あんたがそれを言う必要はないのに……全部、俺のせいで……」


 放り出すように遺書を卓に置くなり、バルは部屋を飛び出していった。

 いぶかしげな表情を浮かべながらその姿を見送る面々の中、ルーベル伯は改めて置き去りにされたバル個人にあてられた遺書に目をやった。

 そこには一言、こう書かれていた。


──巻き込んでしまって、ごめん。

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