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第8話 それぞれの戦い

 王冠と盾と剣そして鷲の紋が縫い取られ、三方に金色のふさがあしらわれた自らの軍旗の前に、フェルナンドは立った。

 自分の前には、自分を信じてここまで付き従ってきた数万の人々がいる。

 その前で、フェルナンドは口を開いた。


「いよいよ戦端は開かれようとしている」


 しん、と静まり返り、人々は主の次の言葉を待つ。


「同胞同士が争う戦ではあるが、これは聖なる玉座を護るためのものである……即ち、先王カルロス四世陛下の兄君、ロドルフォ殿下の血縁と主張する者を担ぎ出し、玉座を我がが物にしようと計る愚か者どもを狩り出す為の戦である」


 人々の間にどよめきが走る。

 それが完全に収まるのを待ってから、フェルナンドは先を続けた。


「我が望みは玉座に非ず! これは正統なる王位継承者たるパロマ侯カルロス殿下を、安心してフエナシエラにお迎えするための戦である!」


 どよめきが、さらに大きな物へと変わっていく。

 それは今まで、大将軍アラゴン候がフエナアプル侯ロドルフォを暗殺したとだけ聞かされ、カルロス四世とパロマ侯が既にサヴォによって処刑されたと思い、唯一王家の血を引くフェルナンドを最後の望みと付き従ってきた者達にとっては、信じがたい物だった。

 だが、最後の生き残りと思われていたフェルナンドは、パロマ侯はまだ生きているという。

 それだけではなく、暗殺されたというロドルフォの血を継ぐ者さえいるという。

 つまりフェルナンドは、かつて水面下で起きた玉座を巡る闘いに今終止符を打とうとしている、言うのだ


「我が意と同じく、パロマ候の安泰を望む者は、この盾に集え! 『王の盾』たるアラゴンの血を、不届きな者に思い知らせてやれ!」


 地鳴りのような歓声が、やがて鬨の声へと変わっていく。

 人々は抜剣し、それを高々と振り上げる。


「金色の鷲に栄え有れ!」


「戦の女神の恩恵よ、我らの鷲の元に!」


 口々に叫ぶ騎士達とフェルナンドとを、ベアトリスは複雑な面持ちで見やる。

 無言のまま手を挙げて応えるフェルナンドの海色の瞳は、無感動にその様を見つめていた。


      ※


 闇の中、いくつもの光が浮かび上がる。

 東には、希望と共に村を離れた避難民が心細く囲んでいるであろう焚き火の炎。

 もう一つは、今にも攻め込もうと手ぐすね引いているフェルナンドの本陣。

 物見櫓の上で、バルはそれを見つめる。

 あの炎の中に、僅かな期間行動を共にした人物のかけがえのない友人、そして兄がいる。

 まだ見ぬその人は、一体何を思っているのか。

 単に玉座を狙っているのなら、自分が投降すれば話は終わる。

 だが、護るべき人々はそれを許さない。

 この戦いは何を生み出すのか。

 否、奪おうとしているのか、バルにはまだ解らなかった。


      ※


 エルナシオンの城中は水を打ったかのように静かだった。

 フエナシエラ攻略のため出兵したサヴォの主力軍はラベナに未だ駐留し、王の親衛隊はヒューゴ五世と共にそのラベナへ赴くためエルナシオンを出立した。

 今、城に残っているのは侍女と文官、そして王都を守備する近衛隊だけである。

 自室に籠もり、静けさの中でサヴォ王女カトリーヌはその重圧に耐えていた。

 今は自分が国王の代理人として、この国の権力を一身に背負っているという重荷に。

 人の上に立つものはこの重さに堪えて、さらに適正な判断を下すことを常に求められているのだ。

 こと、戦場であれば重さは権力のみならず、自分に預けられた将兵の命の重さも加わる。

 その重さに常に晒されているのだ。

 伯母であるアプル女侯も、そしてフェルナンド様も……。

 あの時、最後にフェルナンドと二人で話をしたときのことがまざまざと思い出される。


――全てを決めるのは、貴女次第です――


 あの時、フェルナンドははっきりと言った。

 今にして思えば、こうなることを事前に知っていたのだろうか。

 それともこうなるよう、意図的に仕向けたのだろうか。

 固く握られた拳に、涙がこぼれ落ちる。

 今自分が行動を起こせば、難なく事は運ぶだろう。

 ここには誰もそれをとがめられる者はいないのだから。

 しかし、その行為はフェルナンドを、そして唯一の父親を裏切ることになる。

 だが今を逃せば、思いを寄せるあの方をお救いすることは出来ない。

 あの方はこれまでと変わらず、邪魔者として生きながら死ぬことを強制される。

 けれど……。

 美しい金髪の頭を抱えカトリーヌは左右に振る。

 その脳裏に浮かんだのは、何故か寂しげな笑みを浮かべこちらを見つめるフェルナンドの顔だった。

 貴女は自ら歩む道を、自分で選ぶ権利がある。

 微笑むフェルナンドはそう言っているようだった。

 きっと顔を上げるカトリーヌの顔には、強い決意の色があった。

 彼女は立ち上がると文机に向かい、素早くペンを走らせた。

 書き上がったそれを数度読み返し、何度か破ろうととして踏みとどまり、丁寧にそれを折り畳むと封筒に納め、しっかりと百合の封蝋を押した。


「誰か? 誰かおりませぬか?」


 数度呼ぶと、すぐに数人の侍女が現れる。

 恐らくこの時のカトリーヌは、蒼白になっていただろう。

 驚いたような表情を浮かべる侍女に、カトリーヌは告げた。


「この文を、伯母上に届けなさい。くれぐれも内密に、且つ、至急に」


 何時にないカトリーヌの固い声に、侍女の一人がかしこまってその封筒を受け取る。

 足早に走り去るその靴音を背にし、自分の前に控える侍女達へカトリーヌは迷うことなく告げた。


「\玉璽ぎょくじをここへ」


 突然の言葉に、侍女達は戸惑ったように顔を見合わせる。

 と、今まで見たこともない鋭い表情でカトリーヌは再び言った。


「玉爾をここへ! サヴォ国王代理人の名において、不当に軟禁されておられるアンリ殿下の解放文書をしたためます!」


 予想外の言葉に、けれど侍女達はその命令を果たすべく走り去る。

 後に残されたカトリーヌは、気力を使い果たしたのかその場に座りこんでいた。


「……父上……フェルナンド様……申し訳ございません……でも、わたくしは、アンリ様を……」


 低い嗚咽が、室内に響いた。


     ※


「伝令! エルナシオンより急使でございます!」


 フェルナンドの軍勢と離れてから二日。

 転がり込むようにアプル女侯の隊列にやって来た使者によりもたらされたカトリーヌの書は、速やかに女侯の手に渡った。

 けげんな表情でそれを受け取った女侯だったが、封を開け震える文字を目で追うに連れ、その表情は軟らかい笑みに変わっていく。


「ようやっと大人になられたか……あの可愛らしい姫君も……」


 小さくつぶやいてから、女侯は良く通る声で侍女に問うた。


「私の武具は、全て整っておるな?」


「は……はい、お召し替えと共に……」


「急ぎそれを!」


「は、はい!」


 数分後、淑女から見慣れた女性騎士となった女侯は、愛馬にまたがり集結する配下の者に向かい言った。


「アプルの勇士達よ、これより我が軍は、王都エルナシオンへと向かう!」


 ざわめく兵士達に女侯は続けた。


「目的は帰還に非ず! 簒奪者たるヒューゴより王権を取り戻し、正統なる王位継承者たる先の陛下の王子アンリ殿下をお助けするためである!」


 兵士達のざわめきはさらに大きくなる。

 それは、とまどいと歓喜とに二分されているようでもあった。

 女候は抜剣し、ついに高らかに宣言した。


「これは我が独断に非ず! 王の代理人たるカトリーヌ殿下よりのご要請である! ヒューゴを王と信じる者は、我が前から去れ! 真の王権を守らんとする者は、我が後に続け!」


 振り上げられる兵士の拳と、忠義を誓う彼らに、女侯は満足げな笑みを浮かべ、うなずいた。

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