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第7話 決戦の時

 不規則な揺れに、意識が次第にはっきりしてくる。

 自分を取り囲む視線。

 そして誰かが立ち上がり人を呼んでいる気がする。

 額の汗を拭う冷たい布の感覚に、ホセは目を開け、慌てて起きあがろうとした。


「まだ止めた方が良い。もうしばらく休んでろ」


 自分を見下ろす蒼い隻眼に、聞き覚えのある声。

 すべての記憶が結びつきホセは小さくその女性の名を呼んだ。


「……シシィ……?」


「相変わらず無茶をする奴だな。今まで良くあの情けない王子様を守れたものだ」


 小さな笑い声があちらこちらから聞こえる。

 恐らく馬車の中なのだろう。

 しかし何故。


「さすがにあの金髪は抜け目無いな。後で会えたら、良く礼を言っておくといい」


 成る程、そう言う訳か。

 彼の持っている情報網は、余程の広さと密度とを併せ持っているらしい。

 納得してホセは吐息をつく。

 一方で、当のシシィは御者に聞く。


「おい、後どの位かかる?」


「一日半ってとこですか? 恐らく戦が始まるかどうかの頃合いかと」


 そんなに自分は気を失っていたのか。

 色を失うホセに、シシィが再び笑う。


「安心しろ。お前が知らない近道くらいいくらでもある。……ぶっ倒れてたのはせいぜい数時間だ」


 胸をなで下ろすホセをよそに、御者台から新たな声が聞こえてくる。


「シシィ、前方に掲げる旗は、楽園の旗で宜しいですか?」


 僅かな沈黙の後、シシィの顔にいたずらっぽい笑みが浮かぶ。


「あれはできあがっているか?」


「はい、つい先程届きました」


「……どうせなら一泡ふかせてやろうじゃないか。そう思わないか? 黒豹殿」


 訳が分からず言葉を失うホセ。

 そんな彼を全く無視してシシィは言った。


「ならば両方だ。面白いことになるぞ」


      ※


 眼下に見下ろすアルタの村は、彼らが知る王都やその近隣の街とは比べ物にならないくらいちっぽけな物だった。

 だが、それを見つめるフェルナンドの表情に笑みはなかった。


「いや、今度の戦いは楽が出来そうですな」


「馬鹿を言うな」


 軽口を叩く参謀役に、フェルナンドはぴしゃりと言った。


「……村全体が、一つの山城のようですね」


 両者の後ろに控えたベアトリスが遠慮がちに口を挟む。

 その言葉を、フェルナンドは硬い表情で頷き肯定した。


「両脇には山。背後に回るにしても、山道を通らねばならない。こちらから攻める道は、谷間の一本道だ」


 フェルナンドの言葉通り、アプル山脈に貼り付くように集落が身を寄せ合っているアルタの村は、天然の要塞と言うに相応しい条件をすべて持ち合わせていた。

 他国から……フェルナンド達が陣を構える方向から村を攻めるとすると、切り通しになっている細い道しか入口はない。

 ぐるりと回ってフェナシエラ本国側から攻めるとなると、街道から別れる山道同然の側道を通るしかない。

 人の足ならまだしも、騎馬の大軍を率いて進むことは困難だ。


「……だから大将軍はロドルフォ殿を畏れたのさ。ここを拠点に独立を宣言されたら、手も足も出ないからな」


 興味を失ったかのように、フェルナンドは馬首を返し、本陣へと戻っていく。

 慌ててベアトリスと参謀はその後を追った。


「それでも落とさねばならぬのさ」


 うそぶくフェルナンドに、ベアトリスは心を痛める。

 だが、何も事情を知らされていない参謀は調子よく賛同する。


「仰せの通り。閣下に仇なす愚か者どもに、後悔させてやりましょう」


 お調子者の参謀のあまりに白々しい言葉に閉口しながらベアトリスは静かに続けた。


「すべて、フェルナンド様の御心のままに……」 


      ※


「非戦闘民の避難は完了です。皆、東の森に逃れました」


 その報告に、長老は大きくうなずいた。

 東の森は特に斜面が急で、馬が攻め入ることは不可能だ。

 最悪自分たちが全員玉砕したとしても、村その物が無くなる可能性はこれで消えた。


「どうやらフェルナンド殿は待ってくれたようですな。では……」


「俺は、物見櫓の上に行く。みんなを矢で援護する」


 前触れのないバルの言葉に、一同の視線が集中した。


「みんなだけを危険にさらしたくない。親父がみんなを思っていたように、俺もみんなのことを大切に思っている。俺の所為でこうなったんだ。俺が責任をとってみんなを護る」


 一同が言葉を失う中、長老が静かに切り出した。


「フェダル、貴方は我々の象徴……総大将であると言うことは、ご理解いただいてますか?」


 長老の落ち着き払った声に、バルは少々むくれながらも頷く。

 その様子に苦笑を浮かべつつ、長老はだだをこねる子どもをたしなめるような口調で続けた。


「我々武人にとって、総大将は最後の砦です。すなわち総大将が直接最前線に立つ、と言うことは戦の最後と言うことなのです」


 ふてくされたようにバルは視線をそらす。穏やかな口調のまま、長老は続けた。


「つまり、貴方が先頭に立つ、と宣言するのは、戦う前から敗北を前提としている、ということになるんですよ」


 しかし、バルはぷいとそっぽを向いたままぶっきらぼうに答える。


「悪いけれど、俺は貴族でも騎士でも武人でもない。ただの村人だ。難しいことはわからない」


 吐き出すようにバルは言う。

 長老をはじめとする年長者達は一様に顔を見合わせた。


「だから俺はやりたいようにやる。自分の村……故郷は、自分で護る」


 言い捨てるとバルは使い慣れた長弓を手に、部屋を出ていく。

 その後ろ姿を見やりながら、長老は深々と溜息をついた。


「やれやれ、頑固で不器用な所がお父上にそっくりだ。血というのは奇妙な物だの」


 目を閉じ、頭を揺らしてから、長老は切り出した。


「さて、皆の衆。いよいよ決戦だが、覚悟は宜しいか?」


 長老の言葉に、居合わせた者は各々うなずく。

 かくして同じ国民同士の泥沼の戦いが、はじまろうとしていた。

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