蒼白となるホセの目の前で、扉は重々しい音を立てて開いた。
中から出てきたオルランドの表情は、やはり重く沈んでいた。
「殿下は……いかがですか?」
固い声で問いかけるホセに、オルランドはゆっくりと首を左右に振った。
「思わしくない。医者がなんて言っても、素人目に見てはっきりと解る」
その言葉にホセは、自ら恥じ入るように視線を落とした。
何故、常に身辺に控えていながら気が付かなかったのか……。
そして、肝心なときにお側にいられなかったのか……。
だがその内なる糾弾の声に、オルランドは答えを示した。
「たぶん……限界まで悟られまいと……お前に心配をかけまいとしていたんだろうな。殿下らしいと言えばそれまでだが……」
言い終えてから、オルランドは深々と溜息をつき、未だ立ちつくすホセについてくるよう促した。
中庭に出ると、厳しい現実とは裏腹に、柔らかい秋の終わりの光が二人を優しく包み込む。
「たった今、サヴォに入ってる配下から報告が入った」
その弱々しい光に見事な金髪を閃かせ、だが顔には重々しい表情をはり付かせたまま、オルランドは改めて口を開いた。
「先日、ヒューゴ五世が、大々的にラベナ凱旋入城の記念式を行ったんだが、それに前後してフェルナンド殿がサヴォを出陣したらしい」
その感情の欠片も含まれない言葉に、ホセはさらに色を失う。
「出陣……ですか? しかし、この時期に、一体どこへ……?」
「どうやら南西へ向かっているようだ。そうなると行き先はアプル山脈。目的地は恐らくフエナアプル……アルタの村だろう。困ったことに」
「フエナアプル……ですか? どうして……」
そんなところに、と言う言葉を、ホセは意識的に飲み込んだ。
遠回りになることを承知でプロイスヴェメに逃れる途中にカルロスが目指した場所。
元々はカルロスの『父王』であるカルロス四世の異父兄ロドルフォが領地としていた場所。
果たしてそこに、一体何があるのだろうか。
「時期が時期じゃなければ、俺もこんなには焦らない。よりにもよって……」
その時ホセの脳裏に浮かんだのは、他ならぬ……先日何の前触れもなく姿を消したバルだった。
恐らく彼は何か思うところがあってアルタ村に戻ってしまったのだろう。
剣を持ったエドワルドと共にその事実を告げたとき、カルロスはいつもは見せない物寂しげな微笑を浮かべていた。
その矢先である。
「殿下は……殿下には出陣のことは?」
「いや、まだだ。それをお伝えしようとして部屋に伺ったんだが……」
タイミングがいいというか悪いというか。
言いながらオルランドは唇を噛む。
恩人が義兄の起こす戦乱に巻き込まれてしまう。
そんなホセの思いに追い打ちをかけるように、オルランドはさらに続ける。
「けれど……知らないはずなんだが……半ば意識を失いながら、彼を呼んでいるんだ……」
「バルを……ですか?」
どうして。
言葉に出さず、ホセは不思議な光彩を放つ視線を向ける。
「それなんだが……フェダル。結局自分たちはこの言葉に惑わされていたのかも知れない」
まただ。
どこまでもこの言葉はバルにつきまとう。一体この言葉にどういう意味があるのだろうか。
「フェダル……確かに村の長老は彼をそう呼んでいたんだよな?」
オルランドの問いかけに、ホセは頷く。
「つかぬ事をきくが、その……アルタには方言とか、そういうものは無かったか?」
「方言……ですか? それは別に……」
確かにホセは、ロドルフォのことを尋ねて村のあちこちを回った。
けれど村人達はきわめて標準的なフエナシエラ語で自分に答えを返していた。
しかしそれはあくまで『自分に』対してであって、村人同士だったら果たしてどうだっただろうか。
「だいたい、人里離れた山里で、公用語がすらすらと出てくること自体、不自然とは思わないか? フェダル、と言うのが、彼らの方言と考えたらどうだろう。フェダルと言う人物が中央から来た人間で、何人かの配下を連れていたとする……そうすると」
「その人達から、公用語を学んだ、と考えても、おかしくは無い……」
うかつだった。
中央から殆ど出たことの無い自分は、自分が話している言葉が、この国全てで同じように使われていると、何の疑問も持たずに思いこんでいた。
けれど実際には、広大な国土の中ではオルランドの言うとおり、言葉というものは間に山や河など隔てるものがあって、交流がまれであればいとも簡単に変わる。
遠く離れたパロマとアルタで、同じ言葉が話されていること自体、奇妙なことだったのだ。
そして、『同じ言葉を知る人間』だから、奇異な目で見られることなく、親身になってくれたのかも知れない……。
次の瞬間、嫌な想像が、ホセの脳裏をよぎった。
焼かれるアルタの村。
逃げまどう人々。
世話になった彼らが、そしてバルが、義兄の率いる騎士達に素手同然で立ち向かい、そして容赦なく斬られていく……。
そんな最悪な状況が、ホセの目前に浮かぶ。
もしそんなことになってしまっては、カルロスに合わせる顔がない……。
「おい! 何処へ行くつもりだ!」
前触れもなく踵を返し走りかけたホセの背に、オルランドは大声で叫ぶ。
「アルタに行きます! バルを……バルを連れ戻します!」
「ってお前、傷は? まだ完全に塞がってないんだろ?」
けれど、その声は既に、ホセには届いてはいなかった。
先程は異なる種類の溜息をついてから、オルランドは背後の茂みに呼びかける。
「……そう言うことだ。少しついて行け。それと……」
早くも黄色く色づき始めた低木の植え込みの奥からくぐもった声が答える。
「承知いたしました。つなぎを早速……」
次の瞬間、その気配は完全に消える。
一人きりになったオルランドの顔に浮かんだのは、苦笑になりきらない複雑な表情だった。