カルロスは人気のない部屋の中で一人、大きく溜息をついた。
そしてふと、あることを思い返す。
あれはパロマ侯となる直前のことだった。
宮廷内にはある暗い噂が渦巻いていた。
そして何より、自分が誰よりも強く抱いていたいた違和感。
その真偽を確かめるべく、カルロスは王城内のとある一室の前である人物を待っていた。
待ち人の規則正しい足音が聞こえてくる。
廊下の突き当たりから姿を現した大将軍アラゴン侯は、自らの執務室の前に立つカルロスの姿を認め、僅かにその顔色を変えた。
「で、殿下……このようなところで、一体……」
「無礼を承知で聞きたいことがある」
うろたえるようなアラゴン侯フェリペの目を、カルロスは正面から見据える。
「あの噂は……。私は本当に、陛下の……父上の子なのか?」
予想されていた問いかけに、だがアラゴン侯は言葉を失い、視線をそらす。
だがカルロスは一歩も引かない。
「陛下は文武に秀でたお方だ。それに引き替え、私は見ての通りひ弱で武では遠く及ばない。私は、私は本当に父上の血をひいているのか?」
「そのようなことを……。殿下は立派な騎士であらせられます。それを御存知無いのは、殿下ご自身だけかと……」
「けれど、何かが……根本的な何かが、陛下と違うんだ。私は、一体……」
重苦しい沈黙。
切羽詰まったようなカルロスの視線を背中に受けて、アラゴン侯は執務室の扉を押し開いた。
「侯は陛下の忠臣であると同時に、無二の親友でもある。何かを知っているのならば、教えて欲しい。他ならぬ、私のために……」
その言葉に、アラゴン侯は諦めたように息を吐き出した。
振り向きざま、彼は低い声でカルロスに告げた。
「殿下は真っ直ぐで……お優しいお方で有らせられます。本当に外見だけでなく内面までも父君に似ておられる……」
そこまで聞いたところで、カルロスはあっと息をのむ。
何かを思いだしたのだろうか。
次の瞬間、アラゴン侯に対して突然押し掛けた非礼を詫びることも、ようやく重い口を割り真実を語ってくれたことに対する謝意を述べることも忘れ、カルロスは城のある場所を目指していた。
※
長い回廊の左右にずらりと並ぶのは、歴代の王族の肖像画である。
その回廊の一角で、カルロスは息を切らしながら足を止めた。
どうにか呼吸を整えてから、彼は自らの左右にかかげられている絵をかわるがわる見比べた。
右手にあるのは彼の『父』。
現国王カルロス・デ・フエナシエラ四世が腰に剣をはき、左手に弓を持った狩装束でこちらを鋭く見つめている。
そして、左に架けられているのが、物心付いてからは一度も会ったことのない彼の『伯父』。
フエナアプル侯ロドルフォ・デ・フエナシエラが、文机を前に足を組んで座し、書物を手に穏やかな面差しをこちらに向けている。
カルロス四世が『動』だとすれば、フエナアプル侯は『静』。
性格の全く異なるこの腹違いの兄弟は、自他共に認める仲の良さであったという。
淡い茶色の髪に、海の色の瞳。
典型的なフエナシエラ人の容姿をしている二人の顔立ちは、兄弟と言うだけあってどこか似通っている。
改めてこの二枚の絵を見比べるカルロス。
この二人のどちらに、自分はより似ているだろうか……。
ある結論を導き出した彼は、その足で父王のもとにおもむき、立太子の辞退を申し入れた。
その時、カルロス四世は深々と溜息をつきながらこう言った。
――もし今後五年のうちに自分に何かあったならば、自ら即位することなく、一度フエナアプル侯に王位について貰うように――
あの時は陛下はまだ『フエナシエラの名』を気にしておられるのだろうと、単純にカルロスは思った。
だが、今冷静に考えてみれば、あの言葉はカルロス自身の即位を名実ともに正当化するためだったのではないだろうか、と。
けれど。
カルロスにしてみれば、フエナアプル侯の子である自分ではなくて、『本当の』陛下の子こそが王位につくべきではないか。そう思う。
フエナアプル侯が即位した後は、その子として育てられた真の陛下の嫡子こそが王位につくのが正しいことではないだろうか。
だからこそあの混乱の最中、カルロスは自らの危険を省みずフエナアプルのアルタへと赴いた。
ロドルフォを、そして万一ロドルフォが他界していた場合は父王の『本当の子』を王位に付けるために。
そして、予想通り侯は既に亡く、残されていたのは『その子』……カルロス四世の実の息子。
それが解ったからこそ、今まで無理矢理に引き止めていたのではないだろうか。
自分と共にいる方がまだ安心だ、そんな考えが働いたからこそ……。
けれど、彼は自分に何も告げずに去った。
今、彼はもうここにはいない。
しかも剣を置いていった。
もう戻ってくる意志は、無いのだろう。
そしてフェルナンド。
彼がどうして、あんな行動をとらなければならなかったのだろうか。
もしかして、自分の心の内を、そして事実を知っていたのではないだろうか。
だからこそあってはならないはずの事実を知る大将軍と、国王とを消しにかかったのだろうか。
だとすれば、その真意は……。
自らの考えに、カルロスは身震いした。
あのフェルナンドだ。
自分の即位を誰よりも望んでいる彼ならば、そのための手段を選ばないと言っても過言ではない。
自分の存在こそが、今回の惨劇の元凶だったのだろうか……。
カルロスは薄暗がりの中、鏡に映る自らの姿をぼんやりと眺めた。
そしてまた再び、机上を何というわけでもなく見つめる。
まてよ、と、カルロスは思い直す。
今までの仮定がすべて正しいとすれば、フェルナンドの最終目標は自らの名誉と引き替えてもカルロスを即位させることだ。
そして、フェルナンドはすべてを知っている。
今のとなっては、『過去』を知る者……その障害になり得る者は存在しない。
後に残るのは『真の王の血』を受け継ぐ者。
そうすると……。
「バル……!」
叫びながら立ち上がるカルロス。
が、次の瞬間、自分の周囲が休息に色を失っていくのを感じる。天井が、すべてが、遠く離れていく。
そして……。
「殿下! 如何なさいました?」
異変を感じたオルランドが、部屋に駆け込む。
彼の目にまず飛び込んできたのは、豪奢な絨毯の上に倒れ伏すカルロスの姿だった。
「誰か! 誰か、医師を!」
珍しく取り乱したオルランドの声に、人が集まってくる。
果たしてその騒ぎがカルロスの耳に届いているかどうか、定かでは無かった……。