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第7話 金色の鷲

 開け放たれた窓から、人馬のざわめきと軍楽隊の音合わせが聞こえてくる。

 それらを聞くでもなく耳を傾けていたフェルナンドであったが、扉を叩く音によってふと現実に引き戻された。


「フェルナンド様、皆既に集まっております。ヒューゴ陛下がお出ましになる前に、お早く……」


「……いい茶番劇だな」


 慌てふためいて駆け込んできたベアトリス。

 そちらにちらりと視線を向けてから、フェルナンドは窓の外に目を向ける。

 そして、おかしくて仕方がないとでも言うように声を立てて笑った。


「そのようなことをしている場合ではありません。お支度がお済みでしたら、お早く……」


 あくまでも忠実な部下たる態度を崩そうとしないベアトリス。

 そんな彼女にフェルナンドはようやく笑いを収め、視線を動かすことなく低い声でつぶやいた。


「……私がその立場に立つべきだったのだが、な」


「フェルナンド……様……?」


 主が何を言おうとしているのか咄嗟に理解できず、ベアトリスは戸惑ったように言い返す。

 けれど何か思い当たることがあったのか、後ろ手で扉を閉めながら、わずかに青ざめた顔で恐る恐る切り出した。


「……ご存知……だったのですか?」


 振り返ったフェルナンドの顔には、自嘲にも似た笑みが浮かんでいる。

 それが答えと言っても良かった。


「アラゴン侯は、あなたにとって怨んでも怨みきれない存在でしょう。都合の悪いことは全て、あなたの義父ちち上……カプア卿に押し付け、自身は傷付くこともなく……」


「フェルナンド様……!」


「その汚れた血と家柄を、私は一身に背負ってしまった。それでもなお、私に着いてきてくれますか? ……姉上」


「フェルナンド様、おやめ下さい‼」


 いつになく大きな、そして悲鳴にも似たベアトリスの声に、フェルナンドは驚いたように口をつぐむ。

 そんな主の視線を、ベアトリスは穏やかな笑みさえ浮かべながら真正面から受け止めた。


「私は、歴代のアラゴン侯に仕えるカプアの当主です。それ以外の何者でもありません。願わくば最期の瞬間まであなたと共に在りたい、そう思っております」


 あまりにも清々しいベアトリスの言葉に、フェルナンドは思わず目を伏せる。

 その言葉は、彼女の紛れもない本心だろう。

 のみならず、自分に従う多くの騎士や兵達も、フェルナンドを信じ同じような思いを抱いているのだろう。


 果たして、自分が成そうとしていることは、彼らの思いに相応しいものなのだろうか……。


 迷いにも似た感情は、この戦に身を置く中で幾度となくフェルナンドの心中にに去来した。

 そしてその度にそれを振り切って、ただひたすら前へと進んできた。

 けれど、今度は今までとは違う。

 ここで一歩踏み出してしまえば、後へ戻ることはできないのだ。

 事実を知らない、いや、知らせていない彼らを巻き込むことは果たして許されることなのだろうか……。


「……例えそれが、地の底に続く道であっても、です」


 そんな葛藤に答えるようなベアトリスの言葉が、心に痛い。

 しかしすでにフェルナンドは父親たる大将軍を屠り、長年の宿敵であるはずのサヴォと手を結んでいる。

 配下の者には、本気でフェルナンドの即位を望む者すらいる。

 自分が成そうとしていることは、彼らを裏切ることなのではないか。

 けれど、決めたのだ。

 あの方の即位のために、すべてを捧げると。

 迷いを断ち切るように、フェルナンドは再び窓の方へと視線を投げかけた。


「……自らの首を絞めようとしていることに、まだ気が付かないようだな」


 本気でフエナシエラ国民からの歓迎を受けられると思っているのか、そう言うフェルナンドは、いつもの冷静さを取り戻しているようだった。

 ようやくベアトリスの顔に、安堵の表情が浮かぶ。


「……大した自信ですね。この時期に全軍を上げてラベナに入城するとは」


「だから茶番と言ったのさ」


 皮肉な笑みを唇の端にひらめかせ、フェルナンドはうそぶく。

 そう、ヒューゴ五世は適当におだてて下手に出ていればすぐその気になる。

 だが、問題は……。


「あとは、女侯からアプル通過の許可が頂けるかどうか、だな」


 未だ不安がぬぐい去れないように見つめてくるベアトリス。

 そんな彼女に心配するなと声をかけてから、フェルナンドは肩からマントを羽織った。


「我々も出陣だ。……今回は少々、厳しい戦いになるかもしれないな」


「アプルを通過するのですか? 一体どちらへ……」


 振り向きもせず歩み始めたフェルナンドをあわてて追いかけながらベアトリスは問う。

 長い回廊を進む間フェルナンドは無言のまま真正面を見据えていたが、中庭に差し掛かったところでおもむろに口を開く。


「フエナアプル……アルタを落とす」


 簡潔この上ない主の言葉に、ベアトリスは思わず足を止めた。

 フエナアプル、そこは消息不明となっているカルロス四世の異母兄ロドルフォが治める地である。

 けれどそこは所詮辺境の地で、戦略的に見てもさして価値があるようには思えない。

 そんなフエナシエラの外れの地を、何故。

 一体、フエナアプルに何があるのだろうか。

 その謎は、程なくして朧気ながらも輪郭を表すことになる。


     ※


 ヒューゴ五世のフエナシエラ出立を祝う式典は、仰々しくかつ滞りなく執り行われた。

 その間全く表情を動かすことなかったフェルナンドは、式典が終わるやいなや主役のもとへと歩み寄った。


「陛下、道中くれぐれもお気をつけて」


「おお、フェルナンド殿。留守中、そなたには色々……」


「そのことですが陛下、折り行ってお願いしたいことがございます」


 訝しげに首をひねるヒューゴ五世に、フェルナンドは臆することなく言い放った。


「何卒、出陣の許可を」


 その声はさして大きくは無かったが、浮かれた気分に浸っていたヒューゴ五世の気持ちを冷やすには充分なものであった。


「出陣とは、また急な……。火急なことでもあったのか?」


「は、陛下に仇なす者を、討ち果たしに参ります」


 ことの重大さに気付いたのか、女侯は鋭い視線をフェルナンドに投げかける。

 一方でヒューゴ五世は訳もわからず狼狽えたように声を上げる。


「余に仇なす者だと? それは何者だ?」


 深々と一礼してから、フェルナンドは女侯に向き直る。


「つきましては、我が配下がアプルを通過することを、お許し頂きたいのです」


 ぱちん、と女侯が手にしていた扇を鳴らす。

 対する至高の冠を頂く者は、落ち着き無く額の汗を拭った。


「それ程までのことをして討たねばならぬ者とは……一体……」


「私の目指す場所は、フエナアプルにございます」


 再び女侯が扇をならす音が響く。

 フエナアプルと聞いて、ヒューゴ五世の顔は目に見えて蒼白となった。


 そう、ロドルフォ殿下はお前が殺したんだろう?

 お前が王弟としてくすぶっていた頃、アラゴン侯をそそのかして……。


 頭を垂れたまま、心中でフェルナンドはヒューゴ五世をののしった。

 その顔に浮かぶ薄笑いに気付くものは、無論誰もいない。


「私が申し上げているのは、陛下、フエナシエラの嫡流にございます」


 そう、フエナアプル侯ロドルフォの子として育てられた、紛れもないカルロス四世の嫡子。

 長らく子に恵まれなかった異母弟にロドルフォが自らの子を差し出すことを約した後、王妃の懐妊が明らかとなり抹殺されそうになった王子。

 彼をこの世から消さぬ限り、唯一無二の血統を重んじるカルロスは進んで玉座につくことはない。

 おそらく不遇の従弟を探し出し、王位を譲ろうとさえするだろう。

 \一度ひとたび剣を捧げ忠誠を誓ったカルロスを、玉座につける。

 そのためには、いかなる汚名を着せられようとも厭わない。

 凍りついたような海色の瞳で、フェルナンドはヒューゴ五世を見据える。

 その威圧感に呑まれたのか、ヒューゴ五世はわずかに後ずさりしながらようやくのことで良きにはからえ、と口にした。


「では、早速に出陣の準備に取りかかりたく存じます」


 再びフェルナンドは深々と頭を下げる。

 そして踵を返しその場を後にする。


 鷲は再びその翼を広げた。

 自ら傷付くために。

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