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第6話 決断

……どうして……何故私を差し置いて、お前のような粗野な平民が侯に同席を許されるんだ‼……


 プロイスハイム公の嫡子エドワルドの鋭い視線は、思い返すたびバルに対してそう問いかけてくる。

 あふれ出る感情を抑えようともせず、エドワルドはこうも言っているようだった。


……私は、お前のような下賤な輩を栄光あるパロマ侯の同行者として認めることはない!……


 だが、鋭い視線を投げかけるその目には、わずかに涙が光っているのをバルは見逃さなかった。

 しかし、それにしても。

 どこの馬の骨ともしれない自分が、どうしてこんなところにいるんだろうか。

 まるで、居並ぶ配下の騎士達と同様、カルロスから必用とされているかのように。

 一度湧き上がった疑問は大きくなる一方で、頭から振り落とそうとしてもこびりついて離れない。

 確かに、エドワルドの主張することは正しい。

 バルはたまたま居合わせた一介の村人……平民に過ぎず、本来であればこのような所に足を踏み入れられようもない。

 それがどこでどう間違ったのか、ずるずるとカルロスの好意に甘えるような形で、恐れ多くも偉大なる氷の女帝の夏の離宮に厄介になっている。


「……俺が、必要とされて……る?」


 今度はその言葉を口に出してみる。

 けれど、やはりどこかしっくり来ない。

 最終的に行き着く先はいつも同じである。


……自分は果たしてここに居る資格はあるのだろうか……


 質素だが、村とは比べ物にならないくらい立派な寝台に横たわったまま、バルはあてがわれた部屋の中をぐるりと見回す。

 その片隅には、重いと思いながらも手放せずにいたあの剣が、無造作に立てかけられていた。


      ※


 突然の扉を叩く音に、カルロスはあわてて顔を上げた。

 最近、どうもおかしい。

 眠いというわけではないのだが、ふと意識が飛んでしまうことが度々ある。

 やはりあの逃避行の疲れが出ているのかもしれない。

 そんなことを考えながら、カルロスはわずかに姿勢を正す。


「殿下、お邪魔してもよろしいでしょうか?」


 聞こえてきたのは他でもない、オルランドの声である。

 構わないよ、と声をかけると、オルランドは静かに扉を開ける。

 そして、生真面目にカルロスに向かい深々と一礼した。


「そう改まらなくてもいいよ。……ヴァルキューレ殿は、もう出立されたのかな?」


「ええ、先程。シシィ殿にも今後情報を提供していただく手はずになりました。……それにしても黒豹は、一体どんな魔法を使ったんだか……」


 首をかしげ腕を組むオルランドに曖昧な笑みをむけてから、カルロスはふと机上に目を落とした。

 その上には、何通かの書状が無秩序に散らばっている。

 目ざとくそれに気付いたオルランドは、表情を改める。


「……正直、いかがですか?」


「予想通り、かな。それなりの見返りを露骨に要求してきたり、何か思うところがあるのが見え見えだったり……」


 カルロスが差し出す書状を受け取ったオルランドは、それらにざっと目を通してから皮肉な笑みを浮かべてみせた。


「……ま、人間よほどの聖人君子でもない限り、タダでは動かないものですからね」


「……じゃあ、そう言うオルランドはどうなのかな?」


 冗談めかしたカルロスの言葉にオルランドは一つ咳払いをすると、手にしていた書状を机上に戻す。

 その一連の動作を見つめていたカルロスは、おもむろに切り出した。


「ところで、突然なんだけれど……」


 いつになく固い表情のカルロスに、オルランドは姿勢を正し、主の言葉を待った。


「……バルを、どう思う?」


「……バルを、ですか?」


 予想だにしない主君の問いかけに、オルランドは数度瞬きを返す。

 腕を組み思案してから、オルランドは言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。


「最初、あの森で会った時は粗野な印象を受けました。正直、何でこんな奴が殿下とご一緒に、と」


「今は?」


「不思議な奴、と言ったところでしょうか。何よりあの黒豹が懐いてる。それだけでも信用に足りるかと」


 それに、あの時あれだけの敵に襲われても自分だけ逃げようとはしなかった、それだけでも賞賛に値します。

 照れ臭そうに笑いながら、オルランドはそう締めくくった。

 でも何故急にこんなことを、と言いたげなオルランドに、カルロスは無言で微笑むだけだった。


      ※


 やはり城の中というのは勝手が違う。

 人目に付きたくないという心理が働くせいもあってか、ただでさえ迷う城内でバルは完全なまでに方向を見失っていた。


「そんな格好で、どこへ行く気だ?」


 険のある声が、背後から投げかけられる。

 よりにもよって、一番遭遇したくない人物に見つかってしまったようだ。

 観念してバルが振り向くと、果たしてそこには不機嫌そうなエドワルドが立っていた。

 バルは一つ息をつくと、バルはおもむろに切り出した。


「あんたの言うとおり、俺は偉い人に対する口の効き方も知らないただの村人だ」


 まったく臆することなく見返してくるバルの視線に気圧され、エドワルドは一歩後ろに後ずさる。

 たが、バルはそれを気にするでもなくいつものぶっきらぼうな口調で続けた。


「俺だって、そのことは良くわかってる。だから、ここを出て行く」


「な……‼」


 エドワルドの顔に、様々な感情が入り混じって浮かぶ。

 その中に歓喜のそれを見て取って、バルはややほっとしたような奇妙な気分に陥った。

 そしてふと、ある事を思い立つ。

 がちゃり、という重い音が廊下に響いた。

 何事かと目を丸くするエドワルドに、バルは背負っていた剣を差し出した。


「これを、あんたにやる」


「やる……って、どういうことだ?」


 戸惑いながらもそれを受け取ったエドワルドは、訝しげにバルを見やる。


「元々は、親父の形見だ。親父は騎士だったらしいけど、俺は違う。だったらちゃんと使える人の所にあった方が良いだろ?」


 唖然とするエドワルドに、じゃあなと告げると、バルはくるりと背を向ける。

 そして、一度も振り返ることなく去って行った。


      ※


「いかがなさいました?」


 テラスに立ち、ぼんやりと彼方を眺めるエドワルドに、カルロスは声をかけた。

 かけられた側は心ここにあらずと言ったような顔で振り返る。

 その手に握られていた物を認め、カルロスはわずかに色を失った。


「それは……バルの……」


「私にやる、と言い残して……先程……」


 何ということだ、と小さくつぶやくと、カルロスはそれまでエドワルドが見つめていた方向に視線を巡らせる。

 だが、目に映るのは緑の森林のみだ。


「私達にとって剣が何を意味するか、ご存知ですよね?」


 いつになく鋭い口調で言うカルロスに、エドワルドは数度うなずく。


「それを置いていく、ということも何を意味するか……。もちろん知っておられますよね?」


 どこまでも続く森林を見つめるカルロスの顔を、弱々しい夕暮れの光が悲しく染めていた。



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