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第5話 真意

……お前は、そこまでして王家に……カルロス殿下に忠誠を誓うか……


 致命傷を負い荒くなる息の下、アラゴン侯フェリペは自らの血で濡れた剣を構えたフェルナンドに凄惨なえみを向ける。


……これも宿業か……親子二代に渡り、王家に捧げた剣を、王族の血でそめねばならぬとは……


 どういう意味だ。

 言い返すフェルナンドの声は、わずかに震えている。

 すでに何も見えていないであろう父親の目を、フェルナンドは正視できずにいた。


……カルロス殿下は、陛下以上に『フエナシエラ』……神聖王国の名を大事と思っておられる……お前の計画通りに事が進んでも、殿下は玉座につくことはあるまい……


 だから、どういうことだ。

 いらだちながらも、フェルナンドは再び問う。


……そう、儂はあの時、陛下の世の安寧のためロドルフォ殿下を……。だが、それだけでは……。


 バランスを失ったフェリペの身体は、自ら作り出した真紅の池の中に音を立てて崩れ落ちる。

 虫の息のその声を聞きもらすまいとして、フェルナンドはひざまずいた。


……フェルナンドよ……あの噂は、紛れもない事実……。殿下は、ご成婚後なかなかお子に恵まれなかった陛下に……気を使われた……ロドルフォ殿下が……


「フェルナンド殿、如何された?」


 不意に声をかけられ回想から現実に引き戻されたフェルナンドは、身体ごと振り返った。

 果たしてそこには、扇を手にし貴婦人の装いに身を包んだアプル女侯テレーズ・ド・サヴィナの姿があった。


「陛下がお運びになったとのことぞ。皆、宴の間に戻り始めておる」


 何ぞお加減でも悪いのかと問う女侯に対し、これは大変失礼を、とフェルナンドは頭を下げる。

 だが、表情とその声の固さは隠しようもなかった。

 そんな若き武将の姿に、女侯は扇をぱちんと鳴らす。


「……失礼ですが、何か……」


 不審げに首をかしげるフェルナンドの様子に、女侯は優雅に笑ってみせた。


「いや、氷の如き御仁と専らの評判のフェルナンド殿にも、人のお心があったようで安心したまで。お気に障られたなら申し訳ない」


「……滅相もない。傍から見れば、そのように思われても当然ですので」


 わずかに肩をすくめて見せるフェルナンドに、だが女侯は鋭い眼差しを投げかけていた。

 では、そなたの本心は如何、とでも言うように。

 内心を見透かされることを恐れたのだろうか、一瞬フェルナンドの表情が硬くなる。

 その時、歩み寄ってきた侍従が宴の間に戻るよう両者に声をかけた。

 そっと安堵のため息を漏らすフェルナンドに、女侯は再び笑いかけた。


「されど陛下も暇なこと。一体何度戦勝の宴を催せば気が済むことやら」


 その言葉に、フェルナンドは絶句する。

 対する女侯は面白くて仕方がないとでも言うように小さく笑ってから、宴の間の人波へと消えていった。


      ※


 賓客としてサヴォ王室に迎えられてはいるものの、フェルナンド・デ・アラゴンの立場は極めて美妙なものだった。

 サヴォ王国建国以来の悲願であったフエナシエラ併合の最大の功労者にして、その王族に連なる者。

 抱え込んで傀儡とするにはあまりに危険なこの若者をそのまま野に放つわけにもいかず、かと言って始末することもできず、ヒューゴ五世はいささか持て余していた。

 熟考をかさねた上で導き出された結論は、娘カトリーヌと縁談を結ばせ形だけでもサヴォ王室と繋がりを持たせるというものだった。

 しかし、その思惑を知ってか知らずか、フェルナンドは正式の戴冠を受けていないこの身ではあまりにも不相応、とやんわりと拒絶した。

 後ろ盾を持たぬにもかかわらず、何を考えているの理解できぬ不気味な奴。

 それがヒューゴ五世の、フェルナンドに対しての印象だった。

 そんなヒューゴ五世の内心はいざ知らず、当のフェルナンドは今日も着飾った人々の輪から離れた所で一人たたずんでいた。

 かと言ってサヴォの権力者の勢力相関図に全く興味が無い訳でもないらしく、その瞳は常に隙なく居並ぶ人々の動きを見つめているようである。


「いかがした? 相変わらずお一人でおられるとは」


 作り笑いを浮かべながら、ヒューゴ五世はフェルナンドに歩み寄る。

 と、それまで無機質な彫像のように身動き一つしなかったフェルナンドは、衆人環視の中で優雅に礼を返す。


「私は粗野な武人ですので……。このような華やかな場所は不慣れですので……」


 非の打ち所のない、完璧なサヴォ語である。

 いや、フェルナンドは言葉だけでなく所作振る舞い全てにおいてサヴォ宮廷で通用するものを身に付けていた。

 王族であるが故、と言ってしまえばそれまでであるが、ヒューゴ五世はそんなところにも空恐ろしさを感じていた。

 だがそれをおくびにも出さず、やや皮肉な作り笑いを貼り付かせたまま言った。


「不似合いと申すが。よほどそなたはその言葉が好きなようだな。我が娘もその一言で振られたか」


 一見完璧に見える若者を少し困らせてやろうという気持ちでも働いたのだろうか。

 底意地の悪いヒューゴ五世の言葉に、だがフェルナンドは深々と頭を垂れた。


「そのような……不肖この私には、あまりにも過ぎたるお話でしたので……」


「では、正式に戴冠を済ませた暁には、考えてくれるな?」


「名実ともに姫君に相応しいと認められますれば、必ず」


 それまでの間は、せいぜい我が世の春を楽しむがいいさ……。


 言葉と態度ではヒューゴ五世を立てつつも、内心ではフェルナンドは毒づいていた。

 フェルナンドの真の目的は、国を手にすることでは無い。

 ただ単に、個人的な復讐と忠誠を形にすること、それだけである。

 それを口にしたところで、権力という汚物にまみれたヒューゴ五世は到底理解できないとだろう。

 もっとも、内に秘めたその想いを話す気など、フェルナンドには微塵も無かった。

 高笑いを残して、ヒューゴ五世は次の人の輪に移動する。

 ようやく頭を上げたフェルナンドの視界に入ってきたのは、意味有りげな表情でこちらを見つめるアプル女侯その人だった。


     ※


「……では、こちらがご注文のお品でございます」


 慇懃な笑みを浮かべ金色の小さなケースをフェルナンドに手渡すと、サヴォ王室出入りの薬草商は小走りに去っていく。

 その後ろ姿を忌々しげに見送りながら、フェルナンドは大きく息をついた。

 完全なまでに人の手によって作り上げられた庭園が、彼の周囲を取り囲んでいる。

 人工的に組み合わされた木々は木漏れ日や木の葉のざわめきを演出することはできても、自然と同様の安らぎを与えることができるのかと問われたら返答に困る、フェルナンドはそう思った。

 下草一本生えていない石畳を進むと、楽しげな笑い声が聞こえてくる。

 その方向を見やると、噴水脇のベンチで何やら談笑している女性達の姿が見えた。

 向こうもこちらに気が付いたのだろう。

 見事な金髪を日の光にきらめかせてカトリーヌは立ち上がり、頭を垂れる。

 その姿に、フェルナンドの厳しい表情がふっと緩んだ。

 知らぬふりをして行き過ぎるわけにもいかず、フェルナンドは固く握りしめていた金色のケースをポケットにしまいながら歩み寄る。

 姿勢を改めようとするベアトリスを軽く制してから、フェルナンドははにかんだように微笑むカトリーヌと女侯にそれぞれ会釈をする。

 その視界に飛び込んできたのは、彼女たちが囲んでいたゲーム盤だった。

 それは、戦の無い時に騎士達の間で行われているものである。


「少しだけ、ベアトリス様に教えていただいたんですが……。二人がかりでも伯母様にはかないません」


 わずかに肩をすくめながらカトリーヌは言う。

 その言葉通り、状況は女侯の圧勝だった。

 無言のままそれを見つめるフェルナンドに、勝者はころころと笑う。


「所詮は戦と同じ。婦人の誉れとは言えぬ」


 カトリーヌ殿には無用の物ぞ、とたしなめる女侯に、ベアトリスは苦笑を浮かべながらも同意を示した。


「……逆に、私の方が姫君に宮中での立ち居振る舞いを教えていただけなければなりません」


 けれど、カトリーヌは目を伏せる。


「わたくしは……伯母様やベアトリス様がうらやましゅうございます。殿方と肩を並べられて、戦場に立たれて……」


「武芸に秀でることだけが強さではありませんよ」


 フェルナンドの言葉に、カトリーヌははっとしたような表情を浮かべる。

 フェルナンドの顔には、穏やかな表情は既になかった。


「では、今日はここまでとして……後日再戦を受けましょうぞ」


 女侯の言葉に、ベアトリスは手早く盤を片付ける。

 そして、城へと下がって行く両者を見やるフェルナンドに、カトリーヌはためらいがちに尋ねた。


「では、フェルナンド様は何が強さだと思われます?」


 そんなカトリーヌに優しく笑いかけてから、フェルナンドは彼女が座るベンチの反対側に腰を下ろす。

 足を組み背もたれに頬杖を付きながら、フェルナンドは独白のようにつぶやいた。


「他国との戦で勝つのはもちろん、逆境にあって自ら道を切り開くことも何事にも代え難い強さです。ですが……」


 深い海の色にも似た瞳を一瞬カトリーヌに向けてから、フェルナンドはさらに続けた。


「その状況に耐え忍んでいるだけで足掻くことを忘れてしまうのは、敗北……弱さであると私は思います」


 自分は、敗北者になりたくはない。

 そして、あの方を敗北者としてこのまま埋もれさせたくはない。

 しかし……。


「では……わたくしは立派な弱者……敗北者ですね」


 深い思考の海に沈んでいこうとするフェルナンドを、カトリーヌの泣きそうな声が現実へと引き戻した。

 気まずい沈黙が、微風と共に両者の間を吹き抜ける。


「まだ正式には決まっていませんが、近々私は出陣することになると思います」


 それを嫌ってか、フェルナンドは思い出したように切り出した。

 驚いたようにカトリーヌが振り向くと、フェルナンドはやや厳しい表情で真正面を見据えていた。


「時期的には……陛下のラベナ入城前後になるかと思います。主だったサヴォの軍は皆陛下と共にフエナシエラへと向かい、私は未だ陛下に仇なす者を掃討するという名目で全配下と共にエルナシオンを離れます」


 これが何を意味するかわかりますか?

 そう問いかけるかのように、再びフェルナンドは海色の双眸をカトリーヌに向ける。

 しばらくの間カトリーヌはその言葉を反芻しているようだったが、ややあってからおもむろに口もとへ手を当てる。

 その様子に、フェルナンドは微かに笑った。


「いいですか姫君、あなたはまだ敗北者ではありません。その時は、必ず訪れます。動くか動かぬかは、あくまでもあなたが決めること。……もっとも私は言う立場にはありませんが」


「でも……でも、もしわたくしが……。お父様や、フェルナンド様は……」


「ですから、それを決めるのはあなたご自身です」


 実の父親を手に掛けた私が言うのもおかしなことですが。

 言いながらフェルナンドは立ち上がった。

 ふと、カトリーヌの視線がそれまでフェルナンドが腰掛けていたところに留まる。


「あの……フェルナンド様? 何かが落ちたようですわ」


 カトリーヌがそれを手にするよりも早く、フェルナンドは金色のケースを拾い上げた。

 そのあまりの素早さに驚きの表情を浮かべるカトリーヌに、フェルナンドは告げる。


「このような汚れた物に、姫君を触れさせるわけにはいきませんから……。これは香の一種で、長時間嗅がされると一種媚薬のような作用を及ぼすのです」


「何故そんなものを?」


 こっくりと首をかしげるカトリーヌ。

 あまりにも無邪気なその仕草に、フェルナンドは毒気を抜かれたように吐息をつく。


「……この香のせいで狂わされた者を、私は知っています。奴に、伝えたいのです。お前があのようになったのは、けっしてお前の咎ではないと」


 けれど、その場所は間違いなく戦場になる。

 必ず敵として向き合うことになるだろう。

 そう、もう矢は放たれてしまったのだから。

 言葉もなくうつむき立ち尽くすフェルナンドを、カトリーヌはただ見つめることしかできなかった。

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