会議が終わり人気の無くなった室内を一人黙々と片付けるバルだったが、ふと人の気配を感じて顔を上げる。
そこにはいつの間にかプロイスハイム公ゲオルグが、こちらを見つめ佇んでいた。
あわてて頭を下げるバルに、ゲオルグは穏やかに微笑んだ。
「言って貰えれば人手を手配しますよ。この広さを一人じゃあ大変でしょうに」
流ちょうなフエナシエラ語での申し出に、バルはぶんぶんと首を横に振る。
「でも……言葉もわからないから……。一人でやってる方が気が楽で……。何より、何かしてないと申し訳ないから」
不器用なバルの言葉に再び微笑むと、ゲオルグは手近な椅子に腰を下ろす。
そして、少々厄介なことになっているのでこちらに匿って欲しい、と言う。
訳がわからないもののバルはとりあえず一つうなずくと、再び作業を再開した。
そんなバルの様子をゲオルグはしばらく眺めていたが、ふと思い出したように切り出した。
「失礼ですが、貴方はアプル地方の出身なのですか?」
まったく脈絡のない問いかけに一瞬戸惑ったような表情を浮かべたバルは、ややあってから再び首を横に振る。
「いや……育ったのはアルタ……アプルの村だけど、生まれたのはどこかわからない」
けれど何故そんなことを、と言いたげなバルに、ゲオルグは軽く手を降って見せる。
「いえ、たいした意味は無いのですが……。パロマ侯配下の方にしては珍しく、フエナシエラ人と見てわかる方だったので……」
なるほど、言われてみれば確かにそうである。
カルロスに従う人々は、フエナシエラ人特有の淡い茶色の髪に『フエナシエラの海の色』と言われる深い青色の瞳を持つ人物は少ない。
それはカルロスが外見にはこだわらないからだ、とプロイスハイムにたどり着いたときオルランドから聞いた。
それをゲオルグに告げると、なるほどと納得したようにうなずいた。
再びの沈黙の中、バルは作業を再開する。
けれどそれは、第三者の乱入により突如として中断された。
「父上! どうして自分に同席を許可していただけないのですか?」
非難の言葉と同時に、扉は勢い良く開け放たれた。
怒りで頬を紅潮させた若者を、ゲオルグは有無を言わさぬ静かな圧力のある口調でたしなめる。
「私は皇帝陛下のご命令に従っているだけだ。お前は私の名代を勤めるよう命を賜ったのだろう、エドワルド?」
だが、エドワルドと呼ばれた若者は憮然とした表情で立ち尽くす。
そんな若者に、ゲオルグは諭すように続ける。
「お前がパロマ侯に心酔しているのはよくわかる。だが、こればかりは私の一存では……」
「ならば直接、侯にうかがって参ります!」
怒声にも似た口調で捨て台詞を残し、若者は部屋を出ていった。
その刹那、殺意を含んだような鋭い視線をバルに突き刺して。
何事かと呆然とするバルに、ゲオルグは申し訳なさそうに頭を下げる。
「お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません。……不肖、私の後嗣なのですが、まだまだ血気ばかり盛んで……」
けれど、その脳裏には先程の刺すような視線が焼き付いて離れなかった。
※
「だから言ったろ? おとなしく寝てろって」
ぐったりと寝台に横たわるホセに言いながら、オルランドは行儀悪くテーブルに腰を掛ける。
そして、その上に積んであったりんごを一つ手に取るなり、断りもせずにそれをかじった。
その様子をホセは咎めることもせず苦笑を浮かべ見つめていたが、ややあってから大きく息をつく。
「それにしても、何故……。そんな様子は、おくびにも感じられなかったのに……」
「もし計画を打ち明ければ、お前は止めにかかるだろうと踏んだんたろうな。そうなれば、お前を手に掛けなきゃならなくなる。それは避けたかったんじゃないか」
まあ、本当のところはあの人にしかわからないさ。
そう言いながら、オルランドは芯だけになってしまったりんごを屑篭へと投げやった。
それが見事な放物線を描いて吸い込まれていくのを目で追ってから、オルランドはテーブルから飛び降り窓際へと足を向ける。
光を受けてきらきらと輝く金髪に、眩しさからホセはわずかに目を細めた。
そんなホセに向き直り、オルランドは独白のように切り出す。
「実の父親を殺して、敵国と手を結ぶ、か。フェルナンド殿は殿下の守役を務められたくらいの人だ。それが王家に弓を引く。……殿下のご心痛もさることながら、何故……」
「大将軍閣下のみならず、フエナシエラ王家に恨みを抱いている。そうは思えませんか?」
「……そうだな。だとしたら、あの方は自分達が知らない何かを知っている」
低くつぶやくオルランドの顔には、いつもの陽気さは無い。
冷たい間者の長の表情を張り付かせたまま、オルランドは更に続ける。
「申し訳ないが、一つ聞きたいことがある。『フェダル』、この単語に聞き覚えはないか?」
記憶をさかのぼることしばし。
沈黙のあと、ホセは口を開いた。
「確か……アルタ村の長老殿は、バルをそう呼んでいたような気がします」
何故そんなことを、と問うような視線を向けられて、オルランドは吐息をもらす。
「お前を見送っていた時な、親父が彼に言ったんだ。『フェダルは息災か』と」
思案するように腕を組み、オルランドは更に続ける。
「それに対する彼の答えはこうだ。『どうやら亡くなられたようです。剣を置いていくことは、そういうことだと』」
「では、フェダルというのは。元々はバルのお父上ということになりますね」
「そして、そのフェダルという人は親父の知り合い、ということになる」
何がなんだか訳がわからない。
言いながら大きくため息をつくオルランドを見やりながら、ホセは微笑を浮かべる。
「……実のところ、私に聞くまでもなく答を知っているんじゃないですか?」
「さあな。推測はできるが、確証はない。その材料を探してるってところかな?」
生真面目な表情を浮かべ、オルランドは答える。
一瞬の沈黙のあと、理由もなく両者は笑いあっていた。