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第2話 サヴォ王国

 フエナシエラの北勢に位置するサヴォ王国は、大陸でも歴史ある国の一つである。

 幾度となく王朝は交代したが、その主張するところは等しく同じである。

 即ち、『わが王家は、元をたどれば神聖王国に連なる。よってその支配権を所望する』というものだった。

 そんな屁理屈で自らを正当化するほどに、サヴォは国境を接するフエナシエラを欲した。

 その最大の理由は、フエナシエラが行っている東方貿易によってもたらされる利潤である。

 サヴォから海路で東方に出るには、フエナシエラの沿岸を通らねばならず、ここで高額の通行税をフエナシエラに払わねばならなかった。

 陸路で向かうにしても、険しい山脈や広大な砂漠を超えなければならなかった。

 ならば直接フエナシエラを手中に収めてしまえ、という乱暴な論理から、この二国は長きに渡りいがみ合いを続けていた。

 その宿敵とも言える関係のサヴォにフェルナンドは迎えられた。

 血筋をたどれば神聖王国の王室に連なりあまつさえ大将軍を父に持つ彼の行動の裏にある真意を、ヒューゴ五世及びサヴォの高官たちは測りかねていた。

 が、何分相手はまだ若く御しやすい。

 ここで恩を売っておけば、莫大な利益を生み出すフエナシエラの実権が労せずして手に入るだろう……。

 したたかな打算の末、ヒューゴ五世はこの若者の手を取ることを決意した。

 先だって兄王を廃立し、その嫡子アンリを幽閉し力づくで王位についたヒューゴ五世に、意見できる者は存在しなかった。

 そして、遂にフエナシエラはその手中に転がり込もうとしていた。

 そう、表面上は。

 一方のフェルナンドは、名ばかりのフエナシエラ王という称号を得ても別段何が変わるということはなかった。

 それどころか彼は本国から従ってきた配下達に対し、自分のことを陛下と呼ばぬよう固く命じた。

 その理由をヒューゴ五世に問われたとき、フェルナンドはわずかに頭を下げながらこう言った。


「ありがたくも陛下の支持を頂きましたが、私はまだフエナシエラ大司教より正式に戴冠を受けておりません。歴代国王の慣例を済ませていないこの身で自ら王を名乗るのは、恐れ多いかと存じまして」


 その言葉を聞き、ヒューゴ五世はきまり悪そうな笑みを浮かべるにとどまったという……。


      ※


 ベアトリスからの報告を受け、机の上に溜まった雑務の山がかなり小さくなった頃だった。

 前触れもなく、遠慮がちなノックの音が室内に響く。

 彼に付き従ってきた者の中には、このようにおとなしい扉の叩き方をする者はいない。

 けれどその主に心当たりがあったのだろうか、フェルナンドは執務の手を止めつとめて穏やかに呼びかけた。


「お入りください」


 しばらくしてから扉が開きおずおずという形容詞そのままに入ってきたのは、見事な金髪のまだ少女と言って良い年齢の女性だった。


「貴女からこちらにいらっしゃるとは一体何事でしょう、カトリーヌ殿?」


「あ、あの……ベアトリス様が戻られたと……うかがったので……」


 戸口で立ち尽くしたまま消え入りそうな声で話す少女に、フェルナンドは珍しく優しげな笑みを向ける。

 こちらにおかけになったらいかがですか、とのフェルナンドの言葉に、少女はやや迷った後に従った。

 執務机の斜め前にある長椅子に少女がちょこんと腰を下ろしたのを確認してから、フェルナンドは静かに切り出した。


「先ほど下がって休むよう命じたところです。姫君がお出でになるとわかっていましたら、もうしばらく引き留めたのですが……」


 申し訳ございませんと頭を下げるフェルナンドに、カトリーヌはあわてて首を横に振った。


「いいえ、わたくしの方こそ勝手に押しかけたりして……。フェルナンド様が謝られることは、何も……」


 必死になっているカトリーヌに再び笑みを向けてから、フェルナンドはゆっくりと立ち上がり背後の飾り棚から細工の施された瓶を手に取る。

 そしてわずかにカトリーヌに会釈をしてから、瓶の中の赤い液体で机上のグラスを満たした。


「……あの……例の、ことなのですが……」


 フェルナンドがそれに口を付け再び机の上に戻すと同時に、カトリーヌはためらいがちに切り出した。

 おそらくはこちらの方が本題だったのだろう。

 フェルナンドは一つ息をついてから、苦笑を浮かべる。


「婚礼の件でしたら、辞退させていただきました。私はまだ正式に戴冠を受けてはおりませんし……」


 驚いたように目を丸くするカトリーヌに、フェルナンドはいたずらめかして片目をつぶって見せる。


「何より想い人がいる女性に横恋慕するほど、私は野暮ではありませんよ」


 その言葉に、カトリーヌは真っ赤になってうつむいた。

 同時に膝の上できつく握りしめられた両手の甲に、涙の雫が落ちる。

 その様子に、フェルナンドはあわてて歩み寄り優しく言った。


「初めてお会いした時、お約束しませんでしたか? 必ず……」


「ごめんなさい……わたくし、フェルナンド様がお優しいので、甘えてばかりで……。でも、わたくし……アンリ様が……」


「泣いてばかりでは、アンリ殿をお助けできませんよ」


 先刻までとは異なる厳しい口調に、カトリーヌは涙に濡れた顔を上げる。

 フェルナンドの顔には、すでに笑みは無い。

 フエナシエラの海の色をした双眸そうぼうには、直視し難い光が宿っていた。


「貴女がお望みでしたら、私は喜んでお力になります。そうお約束したでしょう?」


 カトリーヌは、こっくりとうなずく。

 それを認めると、フェルナンドは再び柔らかい微笑を浮かべた。


「……そろそろお戻りになられた方が良いでしょう。よろしければ後でベアトリスをやりますので、お待ちになっていてください」


 優雅に立ち上がると、カトリーヌは腰を折りお手本通りのお辞儀をする。

 そして、儚げな笑みをフェルナンドに向けるとしずしずと部屋を出ていった。

 遺されたフェルナンドは言い難い表情を貼り付けたまま、机上のグラスを見つめていた。



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