目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第7話 女神と乙女

「……貴女が私達に対してどのような思いを抱いているか、少なからず理解しているつもりです。ですが、我々の中にもそのような輩を許せぬ者がいる。それをご理解いただきたいのです」


 言いながら女性騎士は自信に満ちた笑みを浮かべる。

 身にまとっているのは、わずかに細工の施された白銀色の甲冑である。

 けれどそれは王族の女性が象徴として陣頭に立つ時の為に作られた物ではない。

 自ら武器を持ち戦う者の為に作られた、実戦仕様の物だった。

 その時点でシシィは、自分の目の前に現れた人物が『戦女神ミネルヴァ』と呼ばれるフエナシエラの騎士、ベアトリス・デ・カプアであることを理解した。


「無論、このような行動に出たことは、心よりお詫びいたします。ですが……」


「……貴様らは、いつもそうだ。力ですべて事足りると思っている」


 容赦のないシシィの言葉に、ベアトリスは苦笑で応じた。


「お伺いする前に使者を建てたはずですが、受け入れてはいただけなかったようですので、致し方なく」


「ならば力づくで、ということか。……一介の傭兵団長相手に、名高き騎士殿がなぜそこまで?」


「……一介の傭兵団長などではないことを、貴女ご自身がもっともご存知ではありませんか?」


 にこやかに、だがベアトリスは確実に急所を突いてくる。

 口元には笑みを浮かべて入るが、その目は刺すような鋭さでシシィをみつめている。

 一番知られたくないことを、戦女神は掴んでいる。

 シシィはそう理解した。

 遂にその視線を受け止めかねて、シシィは足元に視線を落とす。


「……私は……楽園の騎士団の長。それ以外の何者でもない」


「認めるのが、そんなに恐ろしいのですか? 貴女ご自身が、お仲間がもっとも忌み嫌う者……憎悪の象徴であるということを……」


 しかし、ベアトリスの言葉は外堀を完全に埋めてしまう前に、突然の闖入者によって中断された。

 二人がいる天幕を取り巻く衛兵の間に、ざわめきともどよめきともつかない声が広がっていく。

 短く舌打ちするベアトリスの前に、伝令が転がり込むように姿を現した。


「何事だ?」


 いら立ったような声を上げ、ベアトリスは伝令に向き直る。

 気の弱い者であれば震え上がるであろうその声にも、だが駆け込んできた伝令には何ら反応を示さなかった。

 いや、それを上回る恐怖に彼はすでに囚われていたのである。


「て……敵襲……! すでに中堅まで突破されて射ます‼」


 その瞬間、それまで自信に満ち溢れていたベアトリスがわずかに揺らいだようだった。

 しかし、さすがは戦女神と謳われる女性である。

 ひと呼吸おいてからすぐに冷静さを取り戻すと、落ち着き払った声で彼女は言った。


「黄金の鷲直属の精鋭部隊に盾突く愚か者か……。女帝の配下か? それとも楽園の騎士団がヴァルキューレを取り戻しに来たのか?」


 だが、伝令は凍りついた表情のまま首を左右に振る。

 不審げに身を乗り出すベアトリスに、伝令は掠れた声で告げた。


「いえ……そのどちらでもありません……ですが……」


「はっきり言え!」


「敵はわずか一人……あれは……」


 彼が言い終わる前に、至近距離で声が上がる。

 それは、次の瞬間断末魔の絶叫に変わった。

 一瞬の静寂。

 そして、周囲を覆う天幕が外側から血に染まる。

 固唾を飲む彼女達の前に、全身を真紅に染めた来訪者が遂に姿を現した。

 肩で息をしながらも獲物を見据えるような鋭い支線を投げかけてくる突然の招かれざる客を、ベアトリスはやや強張った笑みで迎え入れる。


「相変わらず剣を手にすると狂気に飲み込まれてしまうようだな、アラゴンの黒豹殿は……」


「そんなことを議論するために個々に来たのではない」


 かつては同じ旗の元に集い戦った両者の間には、再会を喜び合う言葉は無い。

 戦場の一騎打ちに似た、張り詰めた空気だけが流れる。

 幾度となく死線を乗り越えてきたシシィでさえも言葉を発することすらできずに、雷に打たれたように立ち尽くしている。

 その痛いくらいの緊張感の中、先に均衡を破ったのはホセの方だった。


「何故、貴女ともあろう方が……。貴女ならばフェルナンド様を……兄上を止めることができたでしょう。それを……」


「私はフェルナンド様にお仕えする一騎士に過ぎない。主命に従うのは騎士として当然のことだ。それに……」


 一度言葉を切り、ベアトリスはわずかに視線を落とした。

 そして、辛うじて聞き取れる程度の低い声でつぶやく。


「あの方が蜂起を決意された理由なら、君の方がよくわかっているはずだ」


 果たしてその声が届いているのだろうか、無言のままホセはベアトリスを睨みつけている。

 両者を代わる代わる見やっていたシシィの視線が、ふとある一点で止まった。

 鬼神のごとく立ち尽くしているホセの右手には、赤黒い血糊の付いた剣が握られている。

 一方でその左手は、脇腹の辺りを抑えている。

 その部分を染める朱は、明らかに他の部分とは異なっていた。

 鮮やかな朱の色は、次第にその面積を広げているようだった。


「さすがの勇将も、どうやら無謀なことをしたようだな」


 どうやらベアトリスもその異変に気が付いたらしい。

 その顔には、やんちゃな弟を見守る姉にも似た表情が浮かんでいた。

 その間にもホセの息は荒く、そして早くなっていく。

 このままでは危険だ。

 そう思った瞬間、咄嗟にシシィは叫んでいた。


「戦女神殿、私はあなたとは行けない。彼に……彼にまだ聞きたいことがある。それが先程の答えだ!」


 苦しげなホセの顔に、だがわずかに驚きの表情がうかぶ。

 対するベアトリスは、何故か声を立てて笑った。

 が、すぐさまそれをおさめると、彼女は全軍撤退を告げた。

 そして、唖然とするシシィと干せに向かいこう言った。


「とりあえず今日のところは失礼する。……またいずれ、戦場でお会いするとしよう」


 その言葉が終わるか終わらぬかのうちに、ホセの手から剣が滑り落ちた。

 急速にバランスを失い崩れ落ちるホセに、あわててシシィは駆け寄る。

 その様子を寂しげな笑みを浮かべて見届けると、ベアトリスはその場を後にした。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?