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第6話 ザルツワルト

「あの時はすまなかった。奴に代わって礼を言う」


 ザルツワルトに向かう馬車の御者台で前触れもなく投げかけられた言葉に、バルは二、三度瞬きし首をかしげる。

 が、それがはじめてオルランドに会った時におきた戦闘の事をさしていると理解し、バルはぶんぶんと首を横に振った。


「そんな……助けてもらった俺の方が礼を言わなきゃならないのに……どうして?」


「あの黒豹を見た後でも、その手を取って変わらず接してくれただろ?」


 どこかとらえどころのないオルランドの言葉に、バルは再び首をかしげる。

 いつもは明るいオルランドの横顔には、何とも言い難い表情が貼り付いていた。

 バルの視線に気が付いたオルランドは、これは自分の憶測に過ぎないが、と前置きをしてからこう告げた。


「……黒豹は、はっきりとはわからないが心に深い傷を負っている。剣を手にすると理性はその傷の痛みに耐えかねて、」


 一旦言葉を切り、オルランドはバルを見据える。

 そして、身じろぎ一つしないバルに向かい噛み砕くようにして言った。


「己の死を、望む」


 周囲の温度が一気に下ったような、そんなに感覚にバルはとらわれた。

 独白にも似たオルランドの言葉が、続く。


「そんなあいつを辛うじて繋ぎ止めていたのが、殿下とフェルナンド殿、そしてその配下のベアトリス殿だ。それがこんなことに……」


 やり切れない。

 そう言うようにオルランドは目を伏せた。

 わだちのにぎやかな音だけが、両者の間に響く。

 が、しばしためらった後、バルは思い切って口を開いた。


「でも、なんでそんなことを? 俺はただの村人……」


 いたずらっぽい笑みを浮かべ、オルランドはバルに向かい人差し指を突き立てた。

 予測不能なオルランドの行動に閉口しながらも、だが『知りたい』という好奇心が勝りバルはおとなしく続きを待つ。


「君なら、奴を繋ぎ止めることができる。そう思った」


「俺が? どうして? あんたの方が……」


「残念ながら、自分はその器じゃない」


 きっぱりとオルランドは言い切った。

 再びバルは瞬きをする。

 そして、拗ねたように口をとがらせた。


「貴族様にできないことが、どうして俺にできるんだ?」


「さあ……なんと言うか、君には独特の何かを感じる。自分には無い何かを」


 そんな気がしたのさ、そう言いながらオルランドは照れ笑いを浮かべて見せる。

 じゃあ、後は頼んだ。

 言いながらオルランドはバルをザルツワルトへ送り出した。


      ※


 目の前には、冷たく閉ざされた門扉がある。

 彼がここにたどり着いてからただ一度だけ開かれたきり、それはぴったりと閉ざされ全く動く気配はない。

 それどころか、この門扉の向こう側には軍団……人の気配を感じることができなかった。

 一度この門扉が開かれた時、『ヴァルキューレ』ことシシィが彼の前に姿を現した。

 鋭く輝く青い隻眼で彼を一瞥するなり、彼女はこう言い放った。

 貴様らはいつも都合のいい時だけ私達を利用するのか、と。


「ここに居る者たちは、わたしと同様大なり小なり傷を負っている。わたしのように目に見える傷なら、痛みは時と共に癒える。けれど、目に見えない傷の痛みは、大きくなることはあっても消えることはない」


 激しい怒りを孕んだ言葉を、彼は無言のまま受け止めた。

 一瞬シシィの顔に意外そうな表情が浮かんだが、再び彼女はきつい口調で言い切った。

 例え女帝本人がここまで出向いてきても、会ってやるつもりはない、と。

 そして扉は閉ざされ、彼だけか外に取り残された。

 彼は自らの予想が正しかったことを痛感すると同時に、読みが甘過ぎたことを悟った。

 けれど、このまま手ぶらで戻るわけにもいかない。

 そう途方にくれていた時、背後で人の人の気配がした。

 反射的に剣を抜き、振り返る。

 しかし……。


「何だよ、ぶっそうだな……」


 そこにいたのは、喉元に剣を突き立てられ両手を肩の高さに挙げるバルだった。

 大きくため息をついてからホセは抜き身を鞘に戻し、再び門扉に視線を戻す。


「すみません……少しいらだっていたようです……。それよりも……」


「ちゃんとカルロスの許しは貰ってるさ。途中まで金髪の兄さんに連れてきてもらった」


 そうですか、と答えるものの、ホセはどこか上の空である。

 そんなホセと並び立ちながら、バルもまじまじと強固な門扉を眺めやった。


「ヴァルキューレは中にいるのか?」


「ええ、恐らく。ですがこのところ、中から人の気配を感じることができないんです」


「そう言えば……見張りもいないな」


 言われてみれば。たしかに妙だ。

 門扉自体は強固だが、それを守る人の姿がない、


「あんたの後ろに軍勢が潜んでるとでも思われたんじゃないか?」


 戦えない人間はどこかに避難したのかも。

 そう言いたげなバルに、ホセはわずかに首をかしげる。

 そうすると、あの時シシィは時間稼ぎに出てきたということなのか。

 だが、一軍の将とも言える立場の彼女が、危険を犯してまでまで一人敵前に身を晒すようなことをするだろうか。

 しかし、ホセの疑問をよそに、バルはどんどん門扉へと近付いて行く。

 そして、ホセが止めるよりも早く扉に手をかける。

 刷ると……。


「……開いてるじゃないか」


「え……?」


 手をかけ押しただけで、重々しい音と共に巨大な門はわずかな抵抗と共に動き出す。

 唖然としながらもホセは歩み寄り、できた隙間から内部をうかがう。

 予想通り、ザルツワルトの中央を貫く大通りには、人影は見当たらない。

 ふと横を向くと、どうする? と言わんばかりのバルと目があった。


「行ってみましょう。武器は……?」


 その問いかけに、バルは背中の弓を指し示した。

 一つうなずくと、ホセは内部へと足を踏み入れた。


      ※


 街の中は、人っ子一人猫の子一匹見あたらない。

 だが、そこかしこにはためく洗濯物などから、人々はつい最近せき立てられるように退避したであろうことが理解できた。


「街ってどこもあまり変わらないんだな。真ん中に広場と聖堂があって、四方に大通りがあって……」


 周囲を見回しながら、バルはそうつぶやく。

 中央広場にたどり着いた二人は、四方にぐるりと視線を巡らせるが、やはり動くものは何もない。


「街の入り口は、あそこだけなのかな?」


「いえ……それでは攻められた時に退路が無くなります。他にも何ヶ所かあるはずです」


 言いながらホセは、やはり街の人々はどこかから脱出したのだと確信した。

 自らの失策にホセが大きく肩を落とした、その時だった。


 わずかに蹄の音がする。

 二人の間に、緊張が走る。

 ホセが剣の柄を握る手に力を込めた時に姿を見せたのは、裸馬とそれにしがみつく女性だった。

 よく見ると、馬も乗り手も傷を負っている。

 ようやく広場にたどり着いた馬は、乗り手を放り投げるると力尽き崩れ落ちるように倒れた。


「どうしました? しっかりしてください!」


 あわてて駆け寄り、ホセは女性を抱き起こそうとする。

 だが、女性は悲痛な声で叫んだ。


「あたしなんか、どうでもいい! それよりも、シシィを助けて! あいつらに……」


 言葉がわからず立ち尽くすバルに内容を通訳すると、改めてホセは女性に向き直った。


「あいつら、とは、ルーソの襲撃ですか?」


「違う……あの青い旗は、ルーソの旗じゃない。攻めてきた方角も……」


 青い旗、と聞いて、ホセの顔色が変わった。

 剣を手にした時とはまた異なる厳しい表情に、バルは何も言えずにいる。

 一瞬のためらいの後、ホセは女性に尋ねた。


「青い旗と言いましたね。何か模様は?」


「十字と……王冠と、盾と剣と……金色の鷲」


「旗の他には、何か気になるものは?」


「旗の上に……あんたの目の色と似た布が……」


 女性の言葉に、ホセは目を閉じ首を左右に振った。

 心配そうにのぞき込むバルに向かい、ホセは絞り出すように告げた。


「王冠と盾と剣は、アラゴン侯旗です。その中でも金鷲旗はフェルナンド様の物で……紫の旗印は直属の精鋭部隊の物なんです」


「けど……なんでこんなことを?」


「恐らく殿下と同じことを考えられたんでしょう。でも、同盟を結ぼうとした相手が殿下と違っていた……」


 言いながら、ホセは女性の傷の状態を確認する。

 命に別状なしと判断すると、バルに手当を頼み立ち上がった。

 どこへ行く、と呼び止めるバルに、ホセは沈痛な面持ちで告げた。


「ヴァルキューレ殿を、取り戻しに行ってきます。方角はどちらですか?」


 信じられない、と言うような表情を浮かべながらも、女性は一点を指さした。

 止めようとするバルに、ホセはわずかに笑いかけた。


「大丈夫、必ず戻ります。しばらく待っていてください」

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