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第5話 暗い過去

 ホセを送り出したカルロスにも、やるべきことはあった。

 すなわち、自らの生存を諸侯に知らしめ。侵略者であるサヴォと共に戦うよう仕向けることである。

 が、言葉にするのは簡単だが、なかなか容易なことではない。

 直接出向くのが一番なのだろうが、先方が既に懐柔されて入る危険性もある。

 だからといって、無為に時間を過ごすわけにもいかない。

 かくして書状の物量作戦を決行するため、カルロスは城の一室に篭もることとなった。


「そんなに心配するなよ。あいつの実力は、あんたが一番知ってるんだろ?」


 不意に声をかけられ、カルロスは勢い良く顔を上げる。

 そこには、水差しとグラスの載った盆を手にしたバルが呆れたような表情を浮かべて立っている。

 二、三度瞬きしてから、カルロスはバルの視線の先を見やると、果たしてそこにはペン先からインクを吸い取り真っ黒に染まった便箋があった。

 気まずそうな表情を浮かべると、カルロスはそれを丸め半ば一杯になった屑籠の中へと放り投げる。


「……言いたいことははっきりしているんだけど、いざ書こうとするとどう書き出せば良いのかわからないんだ」


 情けないね、と言いながらカルロスは笑い、バルからグラスを受け取る。

 バルはしばしその様子を見つめていたが、ややあって思いもかけない言葉を口にした。


「……俺が、様子を見に行ってくる」


 一旦手にしたグラスを、カルロスは机の上に置く。

 ごとり、と重い音がした。


「そんな危険な目に遭わせるわけにはいかない」


 いささか強い口調で言い換えし勢い良く立ち上がるカルロスに、バルは僅かに首をかしげる。


「だって、相手が恨んでるのは偉い人なんだろ? 俺はただの村人じゃないか」


 なら俺が恨みを買うはずないだろう。

 そう言いながらバルは屈託なく笑う。

 けれどまだ納得がいかないよと言うようなカルロスに、バルはふと本音をもらした。


「……実のところ、城の中なんて慣れないから息が詰まりそうで……少し外に出たいんだ」


 どこか決まり悪そうな表情を浮かべるバル。

 その視線が、カルロスのそれとぶつかる。

 と、どちらからともなく二人は声をたてて笑い始めた。

 ようやくそれがおさまったカルロスは、いたずらめかして片目をつぶってみせる。


「じゃあ、途中までオルランドに送ってもらうといい。それでなければ許すわけにはいかないよ」


 その言葉にうなずきつつも、バルは気付かれないように安堵の息をついた。

 ようやくそれまで……プロイスヴェメに入ってから、二人の間に流れていた重苦しい空気が溶けたように感じられたからだ。


「そう言えば……」


 この機会に、とばかりにバルはおもむろに話題を変える。


「どうして皇帝陛下は、ヴァルキューレっていう人にこだわるんだろう」


 当然と言えば当然のバルの疑問に、カルロスは謎めいた言葉を返す。


「……ここはフエナシエラじゃないから、かもしれない」


「……え?」


「マルガレーテ陛下には、弟君と、母君が違う妹君がおられた」


 目を伏せ、バルの視線から逃れるようにカルロスは静かに切り出した。


      ※


 先のプロイスヴェメ皇帝ハインリヒには、先妻エリザベトとの間にマルガレーテとヨーゼフ、エリザベト没後に娶った後妻アンネ・マリアとの間にセシリアと、三人の子どもがいた。

 プロイスヴェメの法では男子か優先的に継承権を有するため、セシリアの誕生は皇太子ヨーゼフの立場に何ら影響は無かった。

 だが、事態は思わぬ方向へと急転する。

 もともと身体が弱かったヨーゼフが、幼くして病没したのだ。

 その後はお約束通り、跡継ぎを巡る重臣達の争いである。

 そして、争い続ける重臣達に先帝は残酷とも言える方法で自らの意思を示したのだった。


「あそこに、塔が見えるだろう?」


 不意にカルロスは、窓の外に見える塔を指さした。

 周囲の建物とは明らかに異なる造りのその塔は、壁面に絡まる蔦も手伝ってどことなく暗く不気味にバルの目に映った。


「先帝陛下は、アンネ・マリア妃とセシリア皇女をあそこに幽閉したんだ」


「じゃあ、今も二人はあそこに?」


 バルの問いに、カルロスはゆっくりと首を左右に振る。


「それからしばらくして先帝陛下がお隠れになった時、暴走したマルガレーテ陛下派の一部が塔の中になだれ込んだ。もちろん目的はわかるだろう?」


 神妙な面持ちで、バルはうなずく。

 それを確認してから、カルロスは塔を見つめ低い声出続ける。


「アンネ・マリア妃は賊の手に掛かることを嫌って自ら位の命を絶たれた。けれど、セシリア皇女の姿はどこにも無かった、らしい」


「らしい、って……」


 拍子ぬけしたようなバルに、カルロスは困ったような表情を浮かべる。

 空のままのグラスを弄びながら、独白のようにカルロスは言葉を継いだ。


「誰も真実を知らないんだ。妃が道連れにしたとか、賊の手に掛かったとか。最初から皇女はそこにはいなかったなんて説もあるんだ」


 しばらくバルは反芻するように黙り込んでいたが、やがて合点がいったのか小さく声を上げた。


「じゃあ、陛下は妹を探して……? もしかしたら、ヴァルキューレが……?」


 その言葉に、カルロスはうなずいた。

 小さく吐息をもらしてから、バルは面白くなさそうにつぶやいた。


「それにしても、なんで偉い人はそんなに家にこだわるんだろう……。あいつの兄貴も、そうなのかな?」


 言いながらバルは、グラスに水を注ぐ。

 その様子を見つめていたカルロスの表情が、ふと厳しくなる。


「いや……。フェルナンドが何故あんなことをしたのか、わかるような気がする。何より彼は、正しくない行いをこの上なく嫌っていたからね……」


 謎掛けのようなその言葉に、バルは首をかしげる。

 そしてわずかに肩をすくめてみせた。

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