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第4話 『楽園の騎士団』

 白い石造りの堅牢な建物を、バルは何をするでもなくただ見上げていた。

 自分は通りすがりの一介の村人のなのだから、城壁のうち側に入れた岳でも破格の処遇であるに違いない。

そうとはわかっていても、こうして一人外に取り残されてみると、嫌というほどその事実を思い知らされた。


 カルロスは無事に、同盟国にたどり着いた。

 もう自分の役目は終わった。

 帰ろう……でもどこへ? そして、どうやって?


 ぐるりとバルは周囲を見回した。

 外に出ようにも、どこになんと言えば跳ね橋を降ろしてもらえるのだろう。

 それ以前に、自分はプロイスヴェメの言葉はわからない。

 下手をすれば、くせ者として殺される。

 底まで考えが及んだとき、バルを呼び止める者がいた。


「フエナシエラ、アルタ村のバル殿ですな?」


 プロイスヴェメ独特の、少し硬い響きのフエナシエラ語に、バルは戸惑いながらもうなずく。

 口元に髭を湛えた壮年の武人は、それを認めると礼儀正しく一礼した。


「失礼、私はゲオルグ・フォン・プロイスハイムと申す者。……先程からパロマ侯が貴殿をお待ちです」


 武人……ゲオルグの言葉にバルは目を丸くする。

 用済みのはずの自分を、どうして。

 戸惑いながらもバルは、ゲオルグに導かれるまま城内へと足を踏み入れた。

 見たこともない調度に目を奪われながらも歩くことしばし。

案内された一室は、城内ではさほど広くない部類に入るのだろう。

 しかしその面積は、バルの暮らしていた家とあまり変わらない……下手をすれば広いかもしれなかった。

 借りてきた猫の様なバルの姿を認めると、カルロスはすぐさま立ち上がって迎え入れる。

 そして、遅くなってごめんと言いながら頭を下げた。


「もっと早く話をつけるつもりだったんだけれど、時間がかかってしまって……」


「話をつけるって……何を?」


「あんたを殿下お抱えの従者、って言うことで話をつけたのさ」


 これから頼んだぜ、とでも言うようにオルランドがバルに片目をつぶってみせる。

 自分がいないところで進んでいた話に唖然とするバルに、カルロスは心底すまなそうに言った。


「巻き込んでしまって、本当にごめん。……必ずどうにかするから……」


「そんな顔するなって……。俺は一介の村人なんだから、いくらでも顎で使ってくれよ」


 と、室内からはどっと笑い声が上がる。

 居並ぶ人々の顔を見やっていたバルは、だが見慣れたかおが足りないことに気が付いた。

 その疑問を口にしようとした時。背後の扉が前触れもなく開いた。


「すみません。伯にうかがうつもりが、逆に色々と質問を受けてしまって……」


 入ってくるなり頭を下げるホセに、オルランドはひらひらと手を振って見せた。


「悪いな。最近親父も話し相手がいなくて、退屈してたみたいだ」


「いえ……相変わらずピピン翁はお元気ですね。お怪我とうかかっていましたが、安心しました」


「気ばかり若いんだよ。……それがわかっているから、逆に辛いんだろうけど」


 両者のやり取りを、バルは無言のまま見つめる。

 ふと視線を移すと、カルロスの様子がおかしい。

 無事目的地に着いたはずなのに、その顔にはどこか深く沈んだような陰があった。


「どうしたんだ? 味方と合流できて嬉しくないのか?」


「……それはそうなんだけれど」


 苦笑いになりきらないどこか落ち着かない表情で、カルロスは決まり悪そうにバルから視線をそらす。

 その先を何気なく追うと、先程から一言も発さず衛兵よろしく扉の脇に立つゲオルグのそれとぶつかった。


「実は、我が国も現在、少々火種を抱えておりまして……侯に援軍をだせる状況に無いのです」


 落ち着いた、だが発音ということ以上に固い声が室内に響く。

 戸惑いながらもバルは再び室内に視線を巡らせる。

 すると、絶対の信頼関係で結ばれているはずのカルロスとホセが、意識的にか無意識にか目を合わせようとしないのを彼は見逃さなかった。


     ※


 『楽園の騎士団』。

 それは義賊的性格を持つプロイスヴェメを拠点とする傭兵団だった。

 率いているのは、『隻眼のヴァルキューレ』の異名を持つ女性で、名はシシィ。

 素性も明らかではない彼女は、名実ともに優れた武人であり指導者だった。

 同時に彼女は権力……騎士や貴族と言った存在を嫌悪しているという。

 そのシシィが先ごろ行ったのが北方の大国ルーソと国境を接する要地ザルツワルトを急襲したのである。

 予想だにしない攻撃にザルツワルトはもろくも陥落し、以後政府とも連絡は途絶えてしまったのである。


「悪いことに、ザルツワルト伯はいわゆる暴君の部類に入る人物でして……。領民達は喜んで楽園の騎士団を迎え入れたとか。お恥ずかしい限りですが……」


 わずかに苦渋の表情を浮かべながら、そうゲオルグは話を締めくくった。

 バル以外の面々は知らされていたのだろう、別段驚きのようなものは感じられない。


「皇帝陛下はこの状況を打開すべく、シシィなる者との会見を望んでいるのですが、未だかなわず……。いかに同盟国の危機とはいえ、後背の守りが手薄となった今、兵力を割くことは難しく……」


 折しも季節は夏から秋。

 不凍結港を喉から手が出るほど欲している北方の大国ルーソが動くのは、今をおいて他にはない。

 確かに時期が悪すぎるということは、何となくではあるがバルにも理解できた。

 けれど、ゲオルグの言葉はさらに続く。


「されど、これはあくまでも我が国の問題です。アラゴン卿、あなたがわざわざ出向くことは無いのでは……」


      ※


先刻から無言のまま、ホセは旅装を整えている。

 あの時、戦場で目にしたものとはまた異なる種類の近りがたさを感じ、バルは手伝おうにも手を出せずにいる。

 そんなバルに気が付いたのか、ホセは準備の手を止めふと顔を上げる。

 そこには、いつもと変わらぬ武人らしからぬ穏やかな笑みが浮かんでいた。


「……こちらにお出で頂くのですから、相手に対して礼を尽くさなければなりません。殿下の名代となると、私が行くのが当然のことでしょう」


 バルが何かを言うより先に、ホセは静かに告げる。

 そしてふと、その表情に影がさす。


「……それに、私の勘が当たっているとすれば、やはり私が適任だと思うんです」


「それは、カルロスもわかってるのか?」


 その言葉に、先程の主従の気まずい雰囲気の理由を問いかけるような響きを感じたのか、ホセは苦笑いを浮かべうなずいた。


「ええ、ですから殿下はあまり快く思われていないのではないかと……」


 どうやら両者の間には、納得済みの『何か』があるらしい。

 だが、その背景が見えてこないバルは、顔をしかめつつ首をかしげる。

 その様子を見、ホセの顔に今度は微笑が浮かぶ。


「では、しばらく留守にしますが……殿下をお願いいたします」


 でも、自分ではあんたの代わりにはなれない。

 口には出さず、バルは視線で訴える。

 そんなバルに向かい、ホセは独白のような口調でつぶやいた。


「皆、殿下のご即位を心から願っているんです。私も、恐らく、フェルナンド様も……」


      ※


 翌朝、まだ日も昇りきらぬうちに単騎旅立つホセを見送るカルロスに、バルはかけるべき言葉を持たなかった。

 必死に威厳を保ちながらも、泣き出しそうになるのを堪えているような背を、少し離れた場所で無言で見つめていた。


「どうやらもう出てしまったようですな」


 聞き覚えのないしわがれた声に、バルは思わずそちらを見る。

 と、オルランドに支えられながら一人の老騎士が狭い階段を登ってくるところだった。


「起きても宜しいのですか、ルーベル伯?」


 その声に応じるカルロスの顔には、泣き笑いのような表情が浮かんでいる。

 が、それを意に介すことなく老騎士……ルーベル伯は大声で笑った。


「なんの、あの藪医者が寝ていろと言うからその通りにしているまでのこと。ご命令とあれば、すぐにでも……」


「無理するなよ、いい歳なんだから」


 そのあまりの大声に、肩を貸すオルランドは閉口するようにため息をつく。

 その様子を興味深く興味津々で見つめるバルの視線と、ルーベル伯ピピン・デ・イリージャのそれとが不意にぶつかった。

 あわてて頭を下げようとするバルに向かい、伯は軽く手を挙げて見せた。


「いや、結構。ことの成り行きはこやつと黒豹殿から聞いておる。……時にバル殿」


 前触れもなく名を呼ばれ、バルは反射的に姿勢を正す。

 それを見て、気難しげな老騎士はわずかに笑ったようだった。


「儂は以前、あの辺りでよく狩りをした。その折、アルタにも立ち寄って皆に世話になったのだが……時にフェダルは息災かな?」


 瞬間、バルの表情がわずかにこわばる。


「……戻ってくるものだと、ずっと待っていたんだけれど、亡くなられたようです。剣を手放すのは、そういうことだって……」


 一瞬、ルーベル伯の目が大きく見開かれる。

 やがて、心底落胆したように肩を落とすと低くつぶやいた。


「……そうか。やはり、鷲殿の言ったことは嘘ではなかったか……」


 一同の視線が、老騎士に集中する。

 カルロスが何かを尋ねようとする前に、ルーベル伯は何事もなかったかのように再び大声で笑った。


「ご心配めさるな殿下。アラゴンの黒豹は、必ずや戻りましょう。我々と、氷の女帝へのよい土産を持って」


 その言葉に、カルロスはうなずく。

 ルーベル伯の言葉には、何か深い意味があるらしい。

 それが一体何であるのかわからないバルは、取り残されたような気分を感じずにはいられなかった。

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