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第2話 襲撃

 オルランドと呼ばれた騎士は、多くが淡い茶色の髪のフエナシエラの民としては珍しく、見事な金髪の持ち主だった。

 透き通るような水色の瞳を巡らせて、その人はカルロス一行をぐるりと眺めやる。

 その視線は、ようやく立ち上がったバルの面白くなさそうなそれとぶつかった。


「彼はバル。アルタの村からずっとお世話になりっぱなしなんだ」


「アプル山麓の、ですか?……それでご到着が遅れたんですね」


 言いながらも、オルランドはまじまじとバルをみつめている。

 そのいかにも珍しい物を見るような視線を嫌って、バルはぷいと横を向いた。

 その様子にオルランドは数度瞬きをしたが、やがて何かに納得したようにぽんと手を打つ。

 そしてそのままバルに歩み寄り、先刻までとは打って変わって屈託のない笑みを浮かべながらその手を取る。

 今度は唖然とするバルをよそに、オルランドはその手をぶんぶんと上下に振った。


「いや、失礼。そういうことなら申し訳なかった。以後、よろしく頼む」


 何が起きているのかわからずに、言葉を失い立ちつくすバル。

 するとオルランドは手を離すと一歩後ろへ下がり、今度は恭しくひざまずき頭を垂れた。


「申し遅れました。パロマ侯配下の騎士、オルランド・デ・イリージャと申す者。主に代わりこの度のこと、心より御礼申し上げます」


 まったく予想のつかないオルランドの行動に、バルはただただ呆然とするだけだ。

 そんな二人の様子を微笑を浮かべながら見やっていたカルロスが、ようやく助け舟を出す。


「オルランド、それくらいにするんだ。……ごめん、バル。オルランドはいつもこうなんだ」


 けれど悪気があるわけじゃないから、と言うカルロスに一つうなずくと、バルは再びそっぽを向いた。

 やれやれと吐息をつくと、カルロスは微笑を収めオルランドに問う。


「ところで今さらだけど、どうしてこんな所に?」


 頭を上げたオルランドは、もう一度バルに笑みを向けてから、改めてカルロスに向き直った。


「失礼いたしました。我々は本国離脱後、殿下のお言葉に従いプロイスヴェメの夏の都プロイスハイムに逗留しておりましたが、日々交代で殿下をお迎えするためこの辺りで詰めておりました」


「皆は……皆は無事なのか?」


「全員、という訳には参りませんでした。集結できたのは配下のおよそ三分の二といったところでしょうか。……加えてほとんどが、大なり小なり傷を負っています」


「そうか……」


 深刻な戦況の報告に、さすがにオルランドの顔から笑みは消えている。

 だが、現実を目の当たりにして言葉を失うカルロスを元気づけるかのように、つとめてあかるく切り返した。


「しかし、生き残った奴らはそれなりに悪運が強いということになりましょう。王都奪還の戦、貰ったも同然です」


 そう言うオルランドにつられて、ようやくカルロスの顔に穏やかな表情が戻る。

 しかし、少し離れた所では、沈痛な面持ちで立ちつくしている人物がいた。

 オルランドはそれを見逃さなかった。


「お前の姿が見えなかったから、縁起でもないことを言い出す輩もいたが、まあこれで一安心だな」


 けれど、話を振られた側はそれに乗っては来なかった。

 わずかな沈黙の後、ホセはためらいながらもようやく口を開いた。


「先程も言っていましたが……何が……いえ、何を……」


 考えをうまく形にできず、切り出しては見たもののホセはすぐに言葉に詰まった。

 だが、一旦大きく息をつくと、彼は意を決したかのように再び口を開いた。


「フェルナンド様……兄上が、一体何を……?」


「俺も見たわけじゃないから詳しくは知らないんだが、けれど老ピピンが言うには」


 歴戦の猛者である重臣の名に、ホセの表情は硬さを増す。

 オルランドはひと度カルロスを見やり、主がうなずくのを確認してから言葉を継いだ。


「黒豹、お前も知っての通り、老ピピンは大将軍閣下やフェルナンド殿と共に遠征に出られていた。それが、あのサヴォ急襲の前夜、フェルナンド殿が突然……」


 オルランドは再び言葉を切り、ホセを正面から見据えた。


「大将軍閣下を、手にかけた」


「閣下を? そんな……」


「俺も最初聞いたときは、流石の老ピピンも耄碌もうろくしたのかと思った。だが、その一件で遠征軍が混乱するのを見計らうようにサヴォ軍はこちらを総攻撃しているし、それに呼応してラベナもナポから攻められている」


 加えてこの即位宣言だ、疑いようもない。

 そうオルランドは締めくくった。

 ホセの目が、僅かに細められる。


「こう言っちゃ何だが……何か遠征前に、それらしいことはなかったか?」


「いいえ……ご自身の考えを口にされるような方ではありませんし……ただ……」


「ただ?」


「遠征に出られる前に一度お会いしたのですが、一言、殿下をお守せよ、と。それだけ言って……」


 そこでホセの言葉は途切れた。

 鋭い表情を浮かべたまま、その手は腰にはいている剣に伸びる。

 カルロスはバルを守るようにその前に立ち、一方のバルは使い慣れた弓を構える。

 瞬間、周囲の空気は一変した。

 騎士達が剣を抜くよりも一瞬速く、バルは木立に向けてつがえていた矢を放った。

 と、遥か彼方で一頭の馬が騎手を振り落としながら走り去っていくのが見えた。

 二本目の矢を手にする前に、周囲からは鬨の声が上がり軍勢が押し寄せて来る。


「やるじゃないか。援護は頼んだぜ」


 弓を構えるバルに笑みを向けてから、オルランドは敵の輪の中へと斬り込んでいく。

 遅れること数秒、ホセもそれに続く。

 けれど。

 白刃を手にしたホセの表情を初めて見たバルは、思わず弓を取り落としそうになった。

 そこには、カルロスに勝るとも劣らないいつもの穏やかさはない。

 東方民族特有の不思議な光彩を放つその瞳は、獲物を狙う獣の鋭さで敵を見据えている。

 そして、ついにその右手が閃いた。

 細い光の帯が空間を切り裂くと同時に確実に立ちふさがるものは姿を消し、自身は返り血でその身を真紅に染める。

 にもかかわらず、口元にはわずかに冷笑を浮かべているようにも見えた。


「危ない!」


 カルロスの声に、バルは咄嗟に我にかえる。

 振り返ると、背後から迫っていた賊をカルロスが切り伏せるところだった。

 至近距離で飛び散る血しぶきに、バルは思わず顔を背ける。


「……戦場でのホセは、ホセじゃない」


 背中合わせで立ちながら、小声でカルロスがささやく。

 その言葉に、改めてバルはホセを見やった。

 先ほどとまったく表情を変えることなくホセはさながら鬼神の如く剣を振るっている。

 けれどバルは、あることに気が付いた。


「自分から危ないところに突っ込んでるみたいだ……」


「だから、フェルナンドもいつも心配心配していた。死に急ぐな、と忠告もしてたんだ」


 驚いたようにバルは振り返る。

 フェルナンド・デ・アラゴン。

 それは、サヴォと手を結びこの度の侵攻のきっかけを作った人物のはずである。

 けれど、今のカルロスの言葉から感じられる印象は、主君を裏切るような人物とはほど遠い。

 それが何故……。

 堂々巡りを始めようとしていたバルの思考は、現実の前に中断された。

 耳元で再び、鈍い嫌な音がする。

 カルロスが二人目を切り倒したのだ。

 しかし、一向に状況は好転しない。

 さすがに至近距離からは矢を放つこともできず、バルは背負っていた剣に手をかけると鞘ごと敵を殴り倒した。

 そしてふと周囲に視線を巡らせた彼は、あることに気が付いた。


「どうしたんだ?」


「……いない」


 そう、オルランドの姿がいつの間にか見えなくなっている。

 圧倒的多数の敵の中に紛れてしまったのではなくて、消え失せてしまったのだ。

 そうこうする間にも、確実にバルはカルロスから引き離されていく。

 既に援護するどころではなく、自分の身を守るだけで精一杯だ。


「まさか、あいつ……」


 良からぬことを考え、バルは低くつぶやく。

 怒りに任せ叫ぼうとした、まさにその時だった。


「おらおら、邪魔だ! 退けぇ‼」


 突然前触れもなく乱入する一台の馬車。

 御者台で手綱を握っているのは他でもなく、先程まで姿の見えなかったオルランドその人である。


「殿下、お早く!」


 乱戦を蹴散らし、オルランドは乱暴に馬車を停めた。

 カルロスは走りよって駆け込むなり、身を乗り出して叫んだ。


「ホセ! バル! 早く‼」


「俺に構うな! 早く行け!」


 思わず叫び返すバル。

 カルロスが何かを言う前に、バルはさらに続ける。


「あんたには、待ってる人がいるんじゃないのか? いいから行けよ!」


 ふと御者台のオルランドと目が合い、バルは照れ笑いを浮かべてみせる。

 オルランドはやや沈んだ表情で一つうなずくと、手綱を振るった。

 走り去る馬車を見やりながら、どうか無事でと祈る。

 自分はほんの通りすがりに過ぎないのに、らしくない。

 バルは思わず苦笑を浮かべる。

 それに応じるかのように、馬車は遠く小さくなっていく。

 あとは少しでも時間を稼げれば、ふとそんな考えが脳裏をよぎった時だった。


 「バル! 手を‼」


 鋭い声と馬の蹄の音に、耳を疑いながらもバルは振り向く。

 敵から奪ったと思しき馬上から、全身を返り血で染めたホセが手を差し伸べながらこちらへ向かってくる。

 一瞬迷った後、バルはその手を取る。

 と、いっきにその身体は馬上へと引き上げられる。


「舌を噛むので、口は開けないで!」


 今まで聞いたことが無い鋭いホセの声に、バルは無言でうなずく。

 同時に二人を乗せた馬は戦場を一気に駆け抜け、馬車が消えた方向へ走る。

 あとに残されたのは折り重なる死体の群れと、呆然とする生き残ったサヴォの追手達だった。

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