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第1話 再会、そして

     ──序──


 そして、終戦と共に雨はやんだ。


 高台から見下ろすラベナの街には、まだ所々に戦闘の名残である黒い煙が立ち上っている。


 あの夜、突如としてこの国を蹂躙じゅうりんしたサヴォ兵の姿は、もはやどこにもない。

 フエナシエラの民が夢に見たラベナ奪還の一報が、つい先程届いたばかりだった。


「……ようやく、終わりましたね」


 ホセは、自分の前に立つ新たな王に話しかける。

 けれど、彼はわずかに苦笑を浮かべるだけだった。


「どうだか。まだ俺は認められたわけじゃない。……みんな、カルロスが帰ってくるのを、信じて疑っていないんだ。それなのに……」


「こんな所にいたのか。姿が見えないから、逃げたかやられたかと思った」


 沈痛な独白は、第三者の言葉によって遮られた。

 現れたのは、細身の肢体を飾り気のない甲冑で覆った女性だった。


「そっちこそ、とっくの昔に離脱したのかと思ってた。まだいたのか、シシィ?」


 シシィと呼ばれた女性は、わずかに笑みを浮かべながら歩み寄る。

 そしてホセたちと並び立ちながら、てらいもなく言った。


「私の居場所は、私が決める。そう言わなかったか?」


 言い終えると、彼女は顔半面を覆い隠していた長い前髪をうるさげにかき上げた。

 と、左目の上に残る傷跡があらわになる。

 元々が端正な顔立ちのため、知ってはいるがその痛々しさに二人は言葉を失う。


「そうだ、マルガレーテ陛下への使いは、もう出している。じきにお前の即位を承認する使者が着くだろう」


 それをまったく気にすることなく、シシィは肝心なことを口にした。

 大国の一つに数えられるプロイスヴェメの皇帝からの承認を取り付ければ、それに異議を唱えるような命知らずはいないだろう。

 だが、この知らせを受けても当の本人はあまり浮かない顔だった。


「どうした? 何が不服なんだ?」


「いや……俺の即位なんかよりも先に、あいつを……」


 彼は、ホセとシシィ、両者の顔を見やりながら言った。


「一刻も早く、カルロスをここに返してやりたいんだ」


「……バル」


 思わす言葉に詰まるホセの肩を、シシィは軽く叩く。


「なんて顔してる? それもさっきの使いと一緒にヴェメへおくった」


 私がそんなに人でなしに見えるか? そう言いながら笑うシシィに、ようやくバルの顔に笑みが浮かぶ。

 やがて、遥か彼方から光がさす。

 新たなる夜明けが、訪れた。


     ※


 周囲を埋め尽くす木々の高さは、次第に身長よりも低くなる。

 そして、ついに草が生い茂る尾根道にたどり着いた。

 吹き上げて来る冷たい風が、上気した頬を冷やす。


「……どうした? 気分でも悪いのか?」


 急に足を止めたカルロスを心配して、先を行くバルは振り返りその様子をうかがう。

 カルロスの視線は、ある一点をみつめていた。


「いや。随分遠くへ来たんだ、と思って……」


 言いながらも、カルロスは動こうとはしない。

 相変わらず視線は一点に固定されたままだ。

 バルもそちらを見てみるが、目を凝らしてみても彼方に街並みらしきものが辛うじて見えるだけである。


「あちらは、パロマの方角ですね」


 最後尾から来ていたホセが。振り向きながら静かに言う。

 驚いたように数度瞬くバルに、カルロスはうなずいた。


「いつも窓から眺めていた山頂にいるわけだから……何だか少し、おかしな気がして」


 そんなものかな、とつぶやきながらバルは肩の荷を背負い直した。

 同時に担がれていた剣が、がちゃりと高い音を立てる。


「背負っていないで、腰にはいたらどうですか?」


 歩み寄るホセに、バルは苦笑を浮かべながらひらひらと手を降ってみせる。


「まさか。俺は騎士じゃないし。置きっぱなしにするわけにもいかないから持ってきただけだから」


 しかも、そう簡単に抜くなって念をおされてると言いながらバルは剣を降ろし、改めてまじまじとそれを見つめた。

 装飾が禿げている上に、言葉の通り封印が施され容易く抜くことはできない。


「では、一体……?」


「『誰かを護る時以外は抜くな』ってさ」


 思いもよらない剣の謂れと圧に押され姿勢を正すホセの肩を、バルは軽く叩いた。


「そんなに改まるなよ。騎士様は剣なんて見慣れているんだろ?」


 茶化すバルに、言葉に詰まるホセ。

 そんな二人の様子に、カルロスは珍しく声を立てて笑った。

 普段見せることのない表情に、両者は思わず顔を見合わせる。


「ごめん……でも、その剣はそれなりの由緒あるものだと思うよ。何だか、凄い威圧を感じる」


 ところでこの剣は一体どうしたんだい? と何気ない口調でカルロスは尋ねる。

 瞬間、ホセの表情はわずかに強張る。

 一方バルはわずかに肩をすくめると、剣を担ぎ直しながら言った。


「長老が言うには、フェダル……親父の置土産らしい。けど、詳しいことは、何も」


 そして、おもむろに前方を指さす。


「ここじゃ身を隠せないし、とりあえず少し下ってまた森に入ったら一息つかないか? それと……」


 次にバルはホセに向き直り、呆れたように吐息をつく。


「頼むから、俺にまで敬語を使うのはやめてくれないか? 何だかくすぐったくなってくる」


 言われた側は、訳がわからずきょとんとした表情です首をかしげる。

 再びカルロスは楽しげに笑っていた。


     ※


 足元に落ちているのは、針のような木の葉。

 彼らが見慣れているものではなかった。

 遠くに来てしまった。

 カルロスではないが、その思いは一層強いものとなる。

 腰を下ろすやいなや、バルはやはり床下から出てきたという古びた地図を広げた。


「今いるのは、多分ここら辺り。サヴォからはかなり離れたとは思う。そろそろ山を降りて街道へ出てもいい頃合いだけど……」


 一旦言葉を切ってから、バルは主従の顔を見やる。

 それから言いにくそうに言葉を継いだ。


「どの程度サヴォが勢力を拡大しているか、と……」


「プロイスヴェメがどちらに付いたか、ですね?」


 二人の言葉に、カルロスはうなずいて同意を示した。

 いかに同盟関係にあるとはいえ、利害関係が働かないはずがない。

 ラベナ陥落で、大国プロイスヴェメはどう動いたか。

 これまですれ違う人もおらず、その動向に関する情報は皆無に等しかった。

 無言で地図を見つめるバルに、カルロスは穏やかに切り出した。


「……氷の女帝がサヴォと手を組んだとなれば、どの道を通っても一緒だね。なら早い方がいい。それに、これ以上バルに迷惑かけるわけにも……」


「悪いけど、俺はもう少し突き合わせてもらう」


 話の先を読まれて、カルロスは目を丸くする。

 対するバルは、不敵な笑みでそれに応じた。


「今さら戻っても、下手すりゃ途中で捕まる。あいにく、俺は申し開きができるほど器用じゃない」


 あんた達が無事に目的地に着くためにも、一緒にいた方が得策だ。

 言いながらバルは地図を懐にしまうと、弓を手に立ち上がる。


「早く行こうぜ。日が暮れる前に街道へ出ておいたほうがいいと思う」


 言いながら歩き出すバルの背を、カルロスはしばし無言で見つめる。

 けれど、吐息をつきながら苦笑を浮かべると、ホセに肩をすくめて見せてからその後を追った。


      ※


 サヴォの一件が既に伝わったのだろうか、プロイスヴェメとフエナシエラを繋ぐ街道を行く人の姿はない。

 もっとも、隠密行動であるから\人気ひとけが無いのは有り難いのだが、ここまですれ違う人がいないとなるとどこかで検問でも行われているのではないかと不安にもなってくる。

 その時、不意にホセがその足を止めた。

 平時は温和なその表情が、鋭さを帯びる。

 同じく異変を感じたカルロスは、あわててバルを呼び止める。

 右手全方の草群かざわざわと揺れると同時に、ホセは主の前に立ちふさがる。

 しかし……。


「殿下? よくぞご無事で!」


 聞こえてきたのは鬨の声ではなく歓喜の声だった。

 と、茂みの中から一人の騎士が姿を現した。


「オルランドか? どうしてここに?」


 どうやらその人は、カルロスの配下であるらしい。

 安堵の息をつくホセの脇で、緊張が解けたバルは思わずしゃがみこむ。

 一方オルランドど呼ばれた騎士はひとしきり主との再会を喜び合っていたが、ふとホセに向き直る。


「黒豹、お前も無事だったか。まあ、殿下と一緒ならば大丈夫とは思ってはいたが……」


「思ってはいた、とは……どうかしたんですか?」


 オルランドの言葉の裏に何かを感じ取ったホセは、怪訝な表情を浮かべ尋ねる。

 その様子に、オルランドはようやく安堵したようだった。


「いや、例の侵攻だが……内側から手を引いた奴がいた」


「その様子だと、誰だかわかっているのか?」


 厳しい表情を浮かべるカルロスに、オルランドは一つうなずく。

 そして、至極言いにくそうに重い口を開いた。


「先頃、ヒューゴ五世はある人物のフエナシエラ王即位を支持しました。事実上の傀儡政権と言えると思いますが……」


「だから、それは誰なんだ?」


 更に問うカルロスから、オルランドは視線をそらす。

 そして……。


「大将軍の……困ったことに黒豹、お前の兄君、フェルナンド・デ・アラゴン殿だ」


「……な!」


 カルロスとホセは、言葉を失い立ちつくす。

 訳のわからぬバルは、そんな二人をただただ見つめていた。

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