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第3話 アプル女侯

 暗闇は嫌いだ。

 子どもじみているとはわかっているのだが、真っ暗な闇はあの夜のことを思い出させる。

 目の前で、手が、首が飛ぶ。

 悲鳴が上がる。

 周囲では自分の盾となって、ばたばたと人が倒れていく。

 所々で火の手が上がる。

 そして……。


「いかがなさいました、殿下?」


 震える背後でホセの声がするところまで一緒だ。

 カルロスは大きく息をつき、額に浮かぶ汗を拭った。

 そして、ようやく目が慣れてきた闇の中で微笑を浮かべた。


「もう、だいぶ昔のことのような気がする」


 その視界の先に、一振りの剣が有った。

 傍から見ても一介の村人であるバルには不似合いなそれをカルロスはしばしみつめていたが、背後からのホセの視線に気づき振り向いた。


「……彼は、何者なのでしょうか? あれは、剣ですよね?」


 「さあ……戻ってきたら聞くことにしよう。少なくとも、今は信用するしかないよ」


 ホセの困惑を感じ取って、カルロスは苦笑を浮かべる。

 そして、低い声でつぶやいた。


「まだ、貴方のところへ行くわけにはいきませんよ。陛下ちちうえ……」


 それをかき消すかのように、荒っぽく入口の扉が明け放たれ、何人か踏み込んできた足音が響きわたった。


      ※


 中央広場に集められた人々の間に、ざわめきが広がった。

 なぜなら、村の長老やサヴォの騎士を従えて彼らの前に現れたのは、自らも甲冑に身を固めた壮年の女性だったからである。

 威厳と高貴さを感じさせるこの美しい女性こそ、アプル女侯である。


「わざわざ、ご苦労」


 第一声が発せられると、人々は命令されるまでもなく口をつぐみ姿勢を正す。

 広場は水を打ったように静まりかえり、女侯の言葉を待つ。


「私はアプル地方を預かるテレーズ・ド・サヴィナ。サヴォ王ヒューゴ陛下の命により、この地に参った」


 良く通る、凛とした声だった。

 初めて見る『本物の支配者』に、人々の顔には不安と緊張が走る。

 けれど、女侯は穏やかで慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「案ずるな。陛下が私を遣わした理由はともかく、来た以上支配者としてそなたらを護る。そなたらは変わらず日々の生活を送るがよい。配下には理不尽な行為をせぬよう、きつく申し渡しておる」


 人々が抱いていた恐怖や不安が次第に和らぎ、ややもすれば信頼に変化しているように感じられて、最後尾にいたバルは思わず目を丸くする。

 ほんの僅かな時間で、この女性は敵意を好感に変えてしまったようだ。

 そんなバルの脳裏に、あの主従の顔が浮かぶ。

 妙な胸騒ぎを感じながら、バルはそっと広場を後にした。


      ※


 暗がりの中に、再び静寂が流れる。

 もうどれ程、息を殺してここにこうしているのだろう。

 ついに耐えきれなくなり、カルロスは大きく息をつく。

 それと同時に、頭上から光が射し込んだ。

 思わず身構える主従の耳に入ってきたのは、他でもないバルの声だった。


「悪いな、こんな所に押し込めて。大丈夫だったか?」


 床板が完全に外され、はしごが降ろされる。

 次いでバルは二人に向かい手を差し伸べた。


「お陰様で、大丈夫でした。ただ、数人室内に踏み込んできたようですが……」


 カルロスを支えながら登ってくるホセの言うとおり、室内の調度は若干乱れていた。

 侵入者が主従が身を隠していた床下の収納庫に気が付かなかったのか、或いは故意に見落としたのか定かではない。


「そちらは、何かあったのかな?」


 尋ねてくるカルロスに、バルは重い口を開いた。


「こんな辺鄙な所に、まさか偉い人が来るなんて思わなかった」


「テレーズ殿が? それは……」


 バルの言葉に、カルロスは僅かに顔をしかめる。


「なんだ、知り合いなのか?」


「ああ、民を思う素晴らしい方だ。私なんか、足元にも及ばない」


 中央広場で何が起きたのかを察したのだろう。

 カルロスは深々と吐息をつき、辛うじて聞こえるくらいの小さな声で囁くように言った。


「私がしようとしていることは、皆にとって正しいことなのだろうか……」


 おおよそ貴族様らしからぬ言葉に、バルは図らずも二、三度瞬いた。

 が、ふと顔を上げると、ホセはじっと外の様子をうかがっている。


「……どうしたんだ?」


 声をかけられたホセは、戦場さながらの緊張間を貼り付けた顔でこちらを向いた。


「……囲まれています」


 ホセの短いがはっきりとした返答が、室内の空気を打つ。

 何が言おうとするバルを手で制して、カルロスは続きを促した。


「数まではわかりませんが、完全にこの家は取り囲まれていると言って良いでしょう」


「……付けられたんだ……俺のせいで……」


 けれど、カルロスは目を閉じ首を左右に振った。


「バルは戦士じゃないんだ。わかるはずがない」


 一度うなずいて、ホセは主の言葉を肯定する。

 その顔には、僅かに微笑すら浮かんでいた。


「できるところまで、私が引きつけます。殿下は退避を……」


「俺も援護する」


 突然の言葉に、ホセは目を丸くする。


「剣は使えないけれど、弓なら自信がある。ここから撃てば、多少ならあんたの役に立てると思う」


 真摯な表情で見つめてくるバルに、ホセはもう一度うなずいた。


「助かります。では……」


「待て! あれは……」


 カルロスの叫びにも似た声が、両者の会話をさえぎった。

 何事かとホセは、主をかえりみる。


「いかがなさいました?」


「誰かが、来る」


 カルロスは一点を指さした。

 その言葉通り、狭めつつある包囲の輪から一人、こちらに歩み寄る人の姿が見えた。

 見まがいようもない。

 サヴォのアプル女侯テレーズが、平服姿でこちらに近づいてくる。


「……パロマ侯、こちらにおいでか? ぜひとも、話がしたい」


      ※


 単身室内へ迎えられた女侯は、バルとホセに軽く会釈をしてから、真っ直ぐにカルロスの元に歩み寄る。

 そして、当惑するカルロスの前で彼女はひざまずき、完璧な所作で王族に対する礼を取った。


「……この度サヴォのなしたる行為、この場にてお詫び申し上げます」


 思いもかけない言葉に顔を見合わせるバルとホセに対して、カルロスは寂しげに微笑むといつもと変わらぬ穏やかな口調で答えた。


「お手をお上げください。侯がそのようにされては、年少者の私はどうしょうもない無礼者になってしまいます」


「……王太子殿下?」


 顔を上げ戸惑ったような表情を浮かべる女侯に、カルロスは苦笑混じりに告げた。


「私は、ただのパロマ侯です。まだ立太子はされていおりませんので……」


 驚いたように見つめてくるバルに、ホセは苦渋の表情を浮かべながら小さくうなずいてみせた。


      ※


 卓に付いているのは、亡国の王子とその腹心、そして侵略した側の王族。

 部屋の戸口には、偶然巻き込まれた自称一介の村人が面白くなさそうに立っている。

 当初、ホセとバルは辞去を申し出たのだが、何故かカルロスが強く望んだため同席することになった。

 しかしさすがに同じ席に付くわけにはいかないと、バルは少し離れた場所で居心地が悪そうにしていた。


「先刻、配下の者が質内を荒らしてしまったようそうで。申し訳ない」


 おもむろに女侯から声をかけられて、バルは僅かに姿勢を正すと無言のまま首を左右に振った。

 そんなバルに笑いかけてから、女侯は改めてカルロスに向き直った。


「しかし、良くこの地まで辿り着かれた。侯は良い臣をお持ちのようじゃ」


「はい。皆が助けてくれたお陰です。ともすれば今頃、野辺に屍を晒していたでしょう」


 言葉こそ穏やかだが、その心中には計り知れないものがあるのだろう。

 僅かにカルロスの目に光るものが見えた。

 自らの弱さを隠すことなくあらわにできるカルロスは、ある意味どんな勇将よりも強いかもしれない。

 ふとそんなことを考えていたバルを現実に引き戻したのは、女侯の何気ない一言だった。


「されど、何ゆえこのような危険な地に? 街道こそサヴォの兵が溢れているが、プロイスヴェメへ出るであれば、いくらでもあろうに……」


 当然と言えば当然の疑問だった。

 落ち延びて同盟国プロイスヴェメへ行くのに、わざわざ敵国に近いアプル山脈寄りの道を辿る意味はあるのか。

 なにがしかの理由があるのを裏付けるかのように、一瞬カルロスの表情が強張った。


「ある方にお会いせよと、陛下の御遺言がありました。そのため殿下におかれましては、この地を目指されたのです」


 とっさにホセが助け船をだす。

 女侯はしばし思案していたようであったが、やがて納得したように大きくうなずいた。


「それで……お会いできたのか?」


 再びの問いに、カルロスは曖昧な微笑を浮かべるのみだった。


「その方が今どこにおられるのか、詳しいことは何一つ陛下からお伺いできませんでした。無論お会いしたこともありません。おそらくこの地におられるだろうと思ってはいたのですが……」


 その答えもやはりこの上なく曖昧なものだった。

 女侯はしばらくカルロスを無言でみつめていたが、一つため息をつくとこれまた謎かけのような言葉を口にする。


「……そう、真実とは常に身近なところにある。それを忘れなければ、道を誤ることは無かろう」


 不思議な女侯の言葉に顔を見合わせるバルとホセ。

 それとは対象的に、カルロスは当を得たように大きくうなずいた。

 帰り際、女侯は自領に保護しているフエナシエラの負傷兵がカルロスへ合流を望むのであればそれを妨げない、と告げた。

 整然と撤退していく女侯の配下を見やりながら、カルロスはぽつりとつぶやいた。

 やはり自分は、あの方にはかなわない、と。

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