カルロスとホセが村に落ち着いてから一週間が過ぎようとしていた。
心配されたカルロスの怪我も、化膿などすることなく快方に向かっているようだ。
また、テレーズ女侯の本国ヘの影響力の賜物なのか、追手がかけられるような気配もない。
こう平穏な日々が続くと、あの逃避行が夢のように思えてならない。
けれど、今いる場所は豪奢な屋敷が建ち並ぶ首都ラベナでも、カルロスの所領パロマでもない。
肩を寄せ合うようり建ち並ぶ質素で小さな家々を目にし、ホセは現実に引き戻され小さく吐息をついた。
元々市井で生まれ育った彼であるから、このような生活があることは知っている。
だからこそ彼は、気さくに声をかけてくる村人一人一人へ丁寧に会釈を返していた。
そんなホセは、単に散歩をしているわけではない。
傷の癒えないカルロスに代わり、カルロス四世の遺言に従い会いに来た『ある人』の手がかりを探しているのである。
都合三日、色々と探ってはいるのだが、未だその消息は不明と言って良かった。
ふと、ホセは前方を見上げた。
村全体を見下ろす小高い丘の上にぽつりと建つ家。
それは、彼ら主従が厄介になっているところである。
妙だ。
この風景を見るたび、ホセはこの思いを強くしていた。
それは彼らの住んでいた屋敷に比べれば、小さな家に過ぎない。
だが、村に建ち並ぶ他の家との違いは一目瞭然だった。
何故バルはこの『立派な』家に住んでいるのだろう。
疑問を抱えたまま、ホセは柱だけが残る門を通り過ぎた。
※
室内に一歩足を踏み入れる。
カルロスは、窓際に腰を降ろし外の様子を眺めていた。
「お加減はよろしいのですか、殿下?」
不安げな表情を浮かべながら歩み寄るホセにカルロスは微笑を浮かべながら振り向いた。
「いい加減、そろそろ動かないと根っこが生えてしまうよ。……バルは下の街へ買い出しに出ているよ」
「遅くなって申し訳ありません。今日は長老からお話をうかがって来たのですが……」
無言でうなずき座るようにうながすカルロスに従い、ホセは手近な椅子に腰を降ろす。
そして、一息ついてから彼は話を切り出した。
「確かに侯は、こちらにしばしば見えられたそうです。ですが……」
一旦ホセは言葉を切り、目を伏せた。
「もうこれ以上、正しき玉座に辺境のこの地とフェダル……バルを巻き込まないでいただきたい、とおっしゃられて……それ以上のことは」
「……フェダル?」
耳慣れぬ単語に、カルロスは眉根を寄せる
しかし、それにたいする返答はない。
見るとホセは鋭い視線を戸口へと向けていた。
直後扉が開き入ってきたのは他でもない、荷物を背負ったこの家の家主だった。
「……悪い、取り込み中か。じゃあ外した方がいいな」
苦笑を浮かべながら荷物を起きその場を離れようとするバルを、カルロスは神妙な面持ちで呼び止めた。
「いや、いいんだ。……丁度いい機会だから、バルにも話しておくよ」
「けど……」
戸惑うバルに、だがカルロスは珍しく有無を言わせなかった。
珍しく遠慮がちにしているバルと厳しい表情を浮かべるホセを交互に見やりながら、カルロスは静かな口調で切り出した。
「私達が探しているのは、フエナアプル侯。このアプル地方の領主で、
「この間女侯に言ってた『遺言の人』か? けど、俺は今まで領主なんて見たことも聞いたこともないぜ」
腕組みしながら壁に寄りかかり、バルは鹿爪らしい表情を浮かべてみせる。
「でも、王様の兄貴ってことは、あんたと同じ王族ってやつなんだろ? それがなんでこんな辺鄙な所を治めてるんだよ? それに、普通は兄貴のほうが偉いんじゃないか?」
当然とも言えるバルの疑問に、返ってきたカルロスの答えはなんとも奇妙なものだった。
「
「フエナシエラの、名前……?」
わからない、と言うようにバルは首を傾げる。
そんなバルの様子を見、ようやくカルロスはそれまでの気難しげな表情を崩し、いつもの穏やかな笑顔で言葉を継いだ。
「ごめん。まず、フエナシエラという名前の由来から話さないといけないね」
けれど、バルはまだ納得がいかない様子である。
むしろ馬鹿にするなとでも言うようにボソリとつぶやいた。
「『善き王の国』だろ? それくらい知ってるさ」
「その他にも、『正しき玉座の国』という意味もあるんですよ」
ホセの言葉に、バルはニ、三度瞬きをする。
カルロスは、先刻の笑みのままうなずきそれを肯定した。
そして、さらに質問を投げかける。
「じゃあ、『神聖王国』って呼ばれる理由を聞いたことは?」
『神聖王国』、それは幼い子どもでも知っているフエナシエラの二つ名である。
周辺にある国々の中で、そのように大仰な通称を持つのはフエナシエラだけである。
宗教国家でないにもかかわらず、だ。
バルの返答が無いのをどう受け取ったのだろうか。
カルロスはいつになく辛らつな口調でその由来を語り始めた。
「『正しき玉座』は今まで血塗られたことが無いらしい。継承争いが起こらない王家なんて、奇妙だろう? だから皆、畏怖の念をこめて『神聖王国』と呼ぶのさ」
いつもの温和なものとは程遠いその口調に、バルは目を丸くし、わずかに身震いした。
「なんだか……とんでもない名前なんだな」
「絶対的な権力を前にすれば、悲しいけれど争いが起きるほうが普通だろう? けれど、歴代の王族や重臣達はフエナシエラの名が傷つくことを異常なほど恐れたんだ」
一気に言ってしまってから、カルロスはあわてて口を閉した。
不安げなホセの視線に気が付いたからである。
妙なことを言ってごめん、そう謝るカルロスの顔にようやくいつもの穏やかさが戻った。
「名前の由来は、よくわかった。……けど、それと『遺言の人』との関係が……」
言いさして、バルはおもむろに口をつぐむ。
通りすがりの一介の村人がこれ以上は踏み込んではいけないと、直感的に判断したからである。
「いや、気にすることはないよ。……私も、立場的にはバルと似たようなものだから」
「……は?」
再びバルは首を傾げる。
目の前の王子様は、一体何を言い出すかわからないと言わんばかりにカルロスをみつめている。
その視線を真っ直ぐに受け止めて、カルロスは先を続けた。
「そう、陛下とロドルフォ殿下は、聞くところによるととても仲の良い兄妹だったらしい。けれど、それが悲劇の原因だった」
ようやくカルロスの話は核心に触れた。
すでにホセは止めるのをあきらめたらしく、注意深く外の様子をうかがっている。
一方のバルは、カルロスに魅入られたように身じろぎ一つせず聞き入っている。
「二人は互いに王位を譲り合って、それを察知した重臣達は分裂し始めた。ロドルフォ殿下はその状況に胸を痛め、自ら王宮を去った」
「だから、どうして兄貴の方が出ていったんだ?」
普通に考えれば。逆だろう。
もっともなバルの言葉に、先ほどからだんまりを決め込んでいたホセが申し訳無さそうに口をはさんだ。
「……ロドルフォ殿下は、カルロス四世陛下の異母兄にあたられるんです」
「え? じゃあ……」
不謹慎だ。
そうわかっていても、バルは身を乗り出さずにはいられなかった。
口ごもるカルロスに代わり、ホセは少々言いにくそうに続ける。
「つまり、その……ロドルフォ殿下は、先王陛下の正嫡ではなかったんです」
産まれた順番と血筋とが逆転する。
貴族の間でも希にある話だが、両者の間にどんな感情があったのかは想像にかたくない。
意図的に感情を抑えたようなホセの声は、バルの背を冷たく滑り落ちていった。
言葉を失い立ちつくすバルの耳に、カルロスの言葉が流れ込んできた。
「だから、王都陥落の折陛下は私に言ったんだ。音信不通になっているフエナアプル侯……真の王を探せ、と」