雨が降る。
灰色の空から降り注ぐ雨が、建ち並ぶ天幕を激しく打ち付ける。
その谷間を縫うように、甲冑姿の人の群れが右往左往している。
突然の隣国サヴォの侵攻から約一年。
いよいよ王都ラベナ奪還の戦を目前にして、士気は否応なく高まっている。
その甲冑の群れからわずかに外れ、一人の年若い騎士が陣の中央ヘ向かって歩を進めていた。
無骨な兵士達も、その姿を認めると改まって等しく礼をする。
彼らに一目おかれたその騎士の名は、ホセ・デ・アラゴン。
今は亡きフエナシエラ神聖王国の大将軍の名を継ぐ者であり、王位継承者パロマ侯の筆頭騎士でもある彼は、その漆黒の髪から『黒豹』の異名で恐れられている。
そんな厳つい役職とは対象的に、ホセは整った顔に柔和な微笑を浮かべながら丁寧に兵士達に会釈を返す。
そうこうするうちに、彼は本陣の一際大きな天幕にたどり着いた。
足を止めひと息つき、雨に濡れた長い髪を煩げにかき上げてから姿勢を正し、声をかけた。
「……お邪魔しても宜しいでしょうか?」
「構わない」
短いが、はっきりとした返答を確認してから、ホセは中に足を踏み入れる。
そこには、彼とさして変わらぬ年代の、やはり甲冑に身を固めた青年が虚空をみつめたたずんでいた。
「……さすがの貴方でも、決戦を前にすると緊張するんですね」
ホセに声をかけられると、青年はわずかに顔を上げ苦笑を浮かべながら浮かべた。
青い瞳にはいたずらっぽい光が宿り、短く切りそろえられた淡い色の髪が揺れる。
「戦うことは、怖くない。負ければすべてが終わるだけだ。けど……」
「けれど?」
わずかに首をかしげるホセ。
対して青年は、再び虚空をみつめる。
そして、ためらいがちに口を開いた。
「俺が王都に入っても、皆は俺を認めてくれるだろうか。皆が待ってるのは、カルロスだ。でも……」
ひと度、青年は言葉を切り目を閉じた。
「あいつは、もういない……」
両者の間に、重苦しい空気が流れる。
だが、ホセは常と変わらぬ穏やかな口調でそれを遮った。
「皆を守り助けたいと願う気持ちは、殿下も貴方も一緒でしょう? だからこそ殿下は貴方にすべてを託した。違いますか、バル?」
バルと呼ばれた青年は、持っていた剣の束を強く握りしめた。
天幕を打つ雨の音が、やや強くなる。
「これでケリをつける。……力を貸してくれるか?」
「今更バルらしくもない。貴方の流儀デやってください」
その言葉を待っていたかのように、バルは勢い良く立ち上がった。
「……日没と同時に出る。雨がやむまでに、できる限り敵陣に近付きたい。後は……」
「日の出と共に、その後背を撃つ」
図らずも意見が一致し、二人は互いに笑いあった。
程なくして、陣中に全軍出立の号令が響きわたった。
……後世、解放王もしくは武王の異名で称えられるバルトロメオ一世がサヴォの手から王都ラベナを回復し、正式に即位したのはこの直後のことである。