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012 最後の光


 重い冷たい、最後の扉。その扉を今、三人で押し開ける。

 細い光の筋がのびていき、それは白銀のオオカミの目を覚まさせた。

 イノリは驚いたような顔で、ミヤコの後ろの二人を見る。


「私、王子様じゃないから、皆で助けに来ちゃったよ」


 そう笑うミヤコの後ろいるのは動物ではないことにイノリは気づく。人間だ。その姿は知らないけれど、それでも誰かはわかった。


「イチジ、ヒメカ……」


 イノリの口からはその二人の名前が呼ばれる。そして、二人は静かにうなずいた。


「本当はね、もっといっぱいいたの。でも、助けてもらって……」


 ミヤコの説明に、イノリの目に戸惑いの光が宿る。


「どうして、僕なんかを」

「どうしてって、あんたが最初に私たちを助けたんでしょう」


 そう言ったのは、ヒメカだ。


「覚えてる? 私とイチジが、サークルのいたずらで部室の倉庫に閉じ込められた時、閉所恐怖症のイチジが本当に死んじゃいそうだった時、窓ガラスを割って助けにきてくれたのは、イノリ。あなただった」


 イノリは何かを思い出したように息を詰める。


「でも、あんなこと、誰にだってできる」

「誰もやってくれなかった。それをイノリがやってくれたの」


 イチジは声を震わせるヒメカの手をそっと取る。そしてイノリに向き合った。


「あの時、イノリ殿のためならなんでもしようと思ったんです。辛いことは言ってください。きっと、助けになります」


 イノリはそんなイチジとヒメカを茫然と見つめる。


「……僕は、僕はずっと、夢ばかり見てた。ひとりぼっちで、皆のことを決めつけて」


 イノリはそう言いながら、よろよろと体を起こし、ミヤコたちのもとへと歩み寄る。


「でも、本当は皆がいてくれたんだね」


 ミヤコはイノリの前足をそっとつかむ。


「そうだよ。ずっと、皆。動物になっても、人間になっても、皆いたよ」


 ミヤコはそう言って、イノリの顔に頬を近づける。


「イノリは一人じゃないよ」


 そうしてミヤコはイノリを抱きしめる。

 その瞬間、世界がはじけた。城はまるで砂糖菓子のように、ぼろぼろと崩れて始める。


「何これ!?」


ミヤコは思わずイノリから離れ立ち上がる。しかし強い揺れにすぐにまた座り込んでしまう。


「夢が壊れ始めたんだ」


イノリは座り込んだミヤコの手を握る。間違っても、ミヤコを一人にしないために。もはや崩壊からは逃げることはできない。ミヤコたちは、ただ崩れていく世界に身を任せるのみだった。


「うわぁ」

「ひゃぁ」


 落ちていくことに焦り、悲鳴をあげるイノリとミヤコをよそに、ヒメカとイチジは落ち着いた様子だった。それどころか、


「先に行ってるよー」


 と、先ほどまで一緒にいたヒメカとイチジは空の底へと踊るように吸い込まれていった。最後に二人の影が大きくこちらに手を振っている姿が見えた。


「行くってどこにー?」


 ミヤコがそう問いかけるが、もはや二人に声はとどかなかった。

 こうして、何もかもが消え去って、空の底に飲み込まれていく。残ったのはイノリとミヤコ、そして雲一つない、星すらも見えるような透き通った世界だ。

 イノリもミヤコも、自分が落ちているのか浮かんでいるのかもわからない。どちらが上でどちらが下かもわからない。そんな中でただお互いの瞳を見つめていた。

 ミヤコはイノリの手を離さないように、強く握りなおす。すると鋭い爪がほろほろと空気にとけていった。

 あっと思い、ミヤコはイノリの顔を見る。

 すると強い風にあおられて、イノリの体から、少しずつ、オオカミの毛皮がはがれていく。そして、その下から、あの前髪で顔を覆った、イノリが現れた。

 その瞬間、ミヤコはイノリの手を離し、イノリの体を強く抱きしめた。イノリはそれにとまどい、自分の手をどこに置いてよいかわからずに戸惑った後、そっと抱きしめ返す。


「夢は、終わったのか」


 イノリがほっとしたような、どこか寂しそうな様子でつぶやいた。しかしミヤコはそれを否定する。


「ううん。初めから、夢も現実もなかったんだよ」

「え?」

「人間も動物も同じだった」

「そうだ。楽しいことも悲しいこともいつだって共にあった」

「……『夢見姫』はもうおしまいだ」


 ビュウッと一陣の風が吹く。するとどこからともなく、薄く輝く白い花が飛び散った。そしてミヤコとイノリの体を優しくなでていく。

 何もかもが始まる。そんな予感が二人の胸に広がった。

 ミヤコとイノリは夢と現実と、一緒に生きていく。たとえ、あの嫌な毎日でも、地獄みたいな場所でも。

ミヤコとイノリの隣ではずっと希望が揺れていたのだから。

誰もの中に存在するウサギもライオンも、オオカミだって、全てひっくるめて愛することができるはずだ。

私たちはもう『夢見姫』ではないのだから。

 そうして、イノリとミヤコはどちらからともなく、目を閉じた。夢の終わりだというのに、心の中には温かいものが満ちている。

どこか遠くで猫の鳴き声がしたような気がするが気のせいだろうか。




――お姫様は、夢の中からゆらゆらと揺れる街を見ていました。

 街にはもう、白い彫刻になった国民しかいません。

 お姫様は自分が全てを間違えてしまったのだと気づきます。あの時、魔法使いの手をとらなければ、あの時、国民の手をとっていれば、何もかもが違ったはずでした。

 お姫様は悲しくて寂しくて、しくしくと泣きだしました。どんなに泣いても涙は止まらず、その涙はやがて大きな湖を作り出します。

 お姫様はそっとその湖を覗いてみました。そこには、優しい笑顔を浮かべた自分の姿が映っていました。

 驚いて、一瞬身を引きますが、お姫様は勇気をもって湖の中に手を伸ばします。

 すると湖の中からもう一人のお姫様が出てきて、優しく抱きしめてくれました。


「もう大丈夫。あなたは一人じゃないから」


 そうもう一人のお姫様が言うと、二人の間からは白い花が舞い上がります。

 そして花は国中を包み込み、国民を一人、また一人と元の姿へと戻していきました。皆が元の姿に戻った時、もう一人のお姫様はもうどこにもいませんでした。

 それでも、お姫様はもう平気でした。王様もお妃様も皆、元の姿へ戻ったのですから。

 その後、お姫様は皆と手をとり、幸せに生きていきましたとさ。――




 電車の止まる気配で、ミヤコは目を覚ます。

 なんだか、とても長い夢を見ていた気がする。内容は全く思い出せなかったけれど、すごく大切な人と過ごしていたはずだ。


「でも、いい夢だった気がする」


 そう言って最寄り駅の階段を駆け昇る。なんだか体が軽かった。


「久しぶりにお母さんのケーキが食べたいなぁ」


そうつぶやくミヤコのセーラー服の背中には、肉球の跡が残っていた。


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