先ほどのヤギから、ミヤコはお礼にと何色も段になったソフトクリームを受け取った。ジリジリと太陽に照らされながら、公園のベンチでそれを食べる。
ミヤコは悪いこともあれば、良いこともあるのだなぁと他人事のように考えていた。
彼らはわき道に逸れた途端、姿を消してしまったからお礼を言うこともできなかったことが心残りだ。
「ねえ、イノリ。あの人たちにお礼言っておいてくれる?」
ミヤコがそう言って顔を上げると、イノリは眉間にしわを寄せ、何かを考えこんでいた。そして、意を決したようにミヤコに問いかける。
「きっと、想像と違ったと思うけど、それでも、この街はいい街だと思わないか?」
ミヤコはその言葉の真意を測りかねる。
「そうだね。いい街だと思うよ。でも、私の街とあんまり変わらないね」
ミヤコはそう言って、アイスクリームを一口舐める。甘い、ラムネ味が口の中に広がった。
「どうして変わらないと思うの?」
イノリの声は少し震えているが、ミヤコは気づかない。
「だって、楽しいことも嫌なこともどっちもあるし。変わったのは学校かどうかだけ」
ミヤコはそう言い切ると、唇についてしまったソフトクリームを舌で舐めとった。
「イノリも食べる?」
そう言ってミヤコは顔をあげる。すると、イノリが今にも泣きだしそうな顔をしていることに気が付いた。
風で木々がざわめき始める。青空は明滅し、白い雲は駆け足にどこかへ走り去っていった。残ったのは、紫色に輝く怪しい空と、黒い太陽、生ぬるい風だけだった。
「何これ?」
そうミヤコが問いかけると、イノリも困惑したようにあたりを見回してつぶやく。
「また、夢が変わった?」
青々とした芝生に覆われていた地面は、ぐずぐずとした泥状に姿を変え、イノリとミヤコの足を奪う。
「イノリ、ここを離れよう」
ミヤコは慌ててイノリに手を伸ばす。その瞬間、ソフトクリームは地面に落ちていって、ぐしゃりと崩れた。
その時だった。
「さあさあ、公園の皆さーん。傲慢ライオンの処刑がはじまりますよぉ」
顔を上げると、くるくると回りながらチケットを配り歩いている白いサルがいた。フリフリのチュールの衣装とセリフが全く一致していない。
「傲慢ライオンの処刑……?」
ミヤコは思わずイノリの顔を見上げる。しかし前髪で隠れたその表情は読み取れない。
いつの間にか、真っ黒のテントが公園の真ん中に設置されており、そこにたくさんの動物たちが列をなしていた。
「あーら、『夢見姫』さんじゃない。ぜひぜひ見ていってくださいよぉ」
そう言って渡されたのは、真っ黒なチケットだった。ピンクの文字で、『傲慢ライオン処刑ショー』とおどろおどろしげに書かれている。
いや、それよりも気になることがある。このサルはイノリのことを『夢見姫』と呼んだ。つまり、この世界を夢と認識し、さらにその主すらもわかっているということだ。
「……ミヤコ。こんなの見なくても」
「いや、見よう」
ミヤコがそう言って一歩踏み出すと、サーカスのカーテンが開かれる。気づけばイノリもミヤコも、サーカスの座席に座っていた。
ギシギシと音を立てる古臭い椅子はどうにも座り心地が悪かった。
「さあさあ皆さん。今日は待ちに待った傲慢ライオンの処刑ショーです! 拍手拍手」
そう言ってステージに躍り出てきたのは、一羽の鶴だった。派手な飾りをつけて、いかにもというピエロだった。
そして一緒に連れてこられたのは、年老いた小さな雌のライオンだった。
ライオンが出てくるや否や、客席から白いキツネが叫ぶ。
「この女、私の着物にケチをつけたんです。ファッションって自由じゃないですか! なのに、おはしょりがどうとか、うるさいんです!」
その言葉に呼応するように何匹もの動物が「そうだそうだ」と声を重ねる。
「でも、本当にだらしがなかったのよ。着物をあんな風に着るなんて。古き良き姿を知ってほしくて……」
鶴はすっと羽をライオンの口の前に差し出し、言葉を遮る。
「はい、それ傲慢でーす。自分が一番正しいって思ってるんですね」
そう言うと、目を細めてステージ裏に何か合図を出す。
「ごめんなさい。でも本当に悪気はなかったの」
ライオンはうなだれるが、誰もそれを許す様子はない。
その間にステージ裏から引っ張り出されてきたのは歴史の教科書でしかみたことのない、ギロチンだった。
ライオンは嫌だ嫌だ、と必死に首を振る。そんなライオンを鶴や、客席にいた白いキツネ、その他大勢の動物が雌ライオンを抑え込む。
思わずミヤコは、
「やめて!」
と叫んだが、誰も手を止めることはない。そして無情にも、ライオンの首を切り落としたのだ。
血は流れない。その代わりに、アルコールの匂いをさせる赤いワインが床一面に広がった。
会場は異様な熱気に包まれる。その中でミヤコとイノリは茫然とステージを見つめていた。そしてミヤコは無表情のまま振り返る。
「……これが、イノリの夢なの?」
「違う!」
「おいおい、これはお前の夢だよ」
その声はイノリにとって、懐かしく忌々しい声だった。
イノリが後ろを振り向くとそこには、三毛猫の魔法使いが立っていた。
「お前がそう夢見た。だから、世界は変貌したんだ。外も見てみろよ。なかなかファンキーでおもしろいぞ」
イノリはその言葉を聞くや否や、席を立ち、外へと駆け出していく。サーカスの幾重にも重なるカーテンを無理やりに開くと、外の光が差し込んでくる。
そこから見えたのは地獄だった。
紫色の空には稲妻が走り、街はすっかり廃墟と化した。窓ガラスが割れ、蔦に覆われたビルの森の中で、動物たちがお互いを殴り合い、罵倒し合う。
「こんなの、僕の夢じゃない……」
「いいや、お前が望んだんだろう? より良い世界にしたいから、悪いものを排除したかったんだ」
「違う! そんなことは望んでない!」
イノリは激しく首を振る。そして、三毛猫をつかみ揺さぶった。
「頼む、戻してくれよ。せめて、ミヤコだけは家に帰してあげてくれ」
「逆だろ?」
「え?」
三毛猫はにやりと口元を緩ませる。
「ミヤコだけは逃がさないでくれ、だろ?」
その時、後ろで泥を踏みしめるローファーの音が響いた。ミヤコだ。
「私だけは、逃がさない……?」
「そう。この寂しがりはそうやって願ってるのさ」
三毛猫はそう言いながら、ミヤコにすり寄る。ミヤコは何かに魅入られるように、三毛猫の体を撫でる。
三毛猫はゴロゴロと喉を鳴らしながら、話を続ける。
「自分をわかってくれる人間は、手放したくないもんだよな」
イノリの顔がサッと赤くなる。
「お前はミヤコのために夢を作り替えようとした。それって強欲だよな」
イノリはこれ以上話を聞きたくなかった。ただひたすら、家への道を走り出す。不思議なことに、いつも通るその道だけは一切の亀裂も入っていない。
「待って!」
そう叫ぶが、イノリは足を止めない。
三毛猫はそんな二人の姿を見て、やれやれと毛づくろいを始めたのだった。
「ねえ、魔法使いさん。どうしてイノリにこんなことをするの?」
ミヤコが問いかけると、三毛猫は心外だ、と目を大きく見開いた。
「こんなに優しくしてるのに何が?」
「意地悪だよ。イノリをあんなに苦しめて。まるで悪魔みたい」
そう言うと三毛猫は大きな声で笑いだす。そしてその背中から、白い大きな翼を生やしてみせた。
「俺は天使だよ。困った子羊を助けるためのね」
三毛猫は優雅に翼を羽ばたかせる。ミヤコはその美しい光景を他人事のようにながめていた。
先ほどのショーはイノリの夢なのか、違うのか。この三毛猫の言うことは真実なのか、それとも嘘なのか。本当に『夢見姫』の能力は魔法使いが作り出したものなのか。むしろ『夢見姫』が魔法使いを作り出したのではないだろうか。そんな疑問が浮かんでは消えていく。
黙り込むミヤコを見て、三毛猫は満足そうに翼をたたむ。
「悩むのは大いに結構。お前にも魔法をかけてあげようか?」
ミヤコは首を横に振ろうとして、止まる。『夢見姫』と『夢見姫』がぶつかれば、自然と夢に亀裂ができるのではないだろうか。そしてそれはイノリを助け出す糸口にならないだろうか。
ミヤコは三毛猫につかみかかるようにしながら、懇願する。
「お願い、私に『夢見姫』の魔法をかけて!」
すると三毛猫はにやりと笑う。そしてどこからともなく取り出したステッキを尻尾で巻き付けて、くるりと回した。美しくきらめく粉が、ミヤコの体を覆っていく。
「さあ、魔法はかかったぞ。ここからは全てお前次第。幸運を祈ってるよ」
そう言うと、三毛猫は細い路地の中をかけていく。
ミヤコに自身の体の変化はわからなかった。けれどこれはきっと、夢を覚ますカギになる。
ミヤコはそう強く思いながら、イノリのもとへと走り出した。