――王様とお妃様が彫刻になってしまって以来、お姫様はすっかりふさぎ込んでしまいました。
しかし夢を見ることはやめられず、国はどんどん姿を変えていきます。その頃には川はシュワシュワのソーダに、地面はふわふわのココアパウダーに姿を変えていました。そのせいで国民たちは洗濯もできないし、野菜も育てられなくなってしまいました。
お姫様はそれを恐ろしく思っていました。それは国民たちも同じです。ですが、国民たちは優しくお姫様を励ましました。
けれど、お姫様はその優しさを信じられませんでした。きっと国民たちはお姫様を恨み、何かしようとしている、そう思えて仕方がなかったのです。
そしてお姫様がそう思えば思うほど、国民たちは次々と彫刻へと姿を変えていきました。国は恐怖のどん底です。
生き残った国民たちはお姫様に、どうか皆を元に戻してくれるようにお願いします。しかしお姫様はそれすらも恐ろしく思ってしまいました。
きっと自分を殺しに来たのだ、という妄想がお姫様を突き動かします。
お姫様は自分を守るために、城の一番上にある牢獄に自らを隠しました。そうすればもう傷つけられないと思ったのです。
そしてその頃には、もう彫刻でない国民はいませんでした。――
ミヤコが目を覚ますと、イノリはすでに着替えて台所で何やら作業をしていた。
「おはよう……」
ミヤコがまだ寝ぼけ眼で挨拶をすると、イノリは笑いながら答える。
「おはよう。朝ごはんができてるよ」
ちゃぶ台に並べられたのは、白米と大根の味噌汁、ねぎの散らされた納豆だった。決して豪華ではないが、十分すぎる朝食だ。
「い、いただきます」
ミヤコはイノリの作った朝ごはんを黙々と口に運んでいく。色んな非日常があった中で、このご飯は日常の味をさせていた。
「お、おいしい……」
ミヤコはほぉっと息を吐き出す。
「そんなに?」
イノリは不思議そうな顔をするが、その朝ごはんはミヤコの心を縛り付けていた何かを優しく解いていった。
イノリは黙ってテレビの電源をオンにした。当然ニュースは流れない。しかし、テレビには日付が映し出された。
七月六日。それは昨日の日付だったはずのものだ。ミヤコとイノリは空間だけでなく、時間までもに閉じ込められたことを理解する。
街の光景は昨日までと何ら変わらなかった。
たくさんの動物がひしめきあう商店街の中、イノリとミヤコは歩いていく。
「時間が進まないなら、より何か強固なルールができたんだろうか」
イノリはそうつぶやきながら歩く。
「例えば、ずっと今のままで……って感じ?」
イノリはハッと目を見開き、固まる。しかしすぐに首を横に振った。
「そんなわけない。……そうだ。駅に行こう」
イノリはそう提案をする。ミヤコが意味が分からないという顔をしていると、歩きながら説明をしてくれた。
「時間が繰り返しているなら、昨日の僕らがいるかもしれない。そしてそれに会うことはルール違反になるんじゃないかな」
「確かに!」
そうしてイノリとミヤコは駅の前で茨の壁に動物が飲み込まれる姿を見て待ち続けたが、一向に過去の自分たちは出てこなかった。
「そもそもここが独立した時間的空間と言うことか……」
イノリは難し気に考え込むが、その横でミヤコはポンッと手をたたいた。
「皆に夢ですよって教えるのはどうかな」
ミヤコはイノリに提案する。この夢を夢として認識できているのはイノリとミヤコだけだ。その認識を変えてしまえば、何か変化が起こるのではないだろうか。
「確かに、それは試したことなかったな」
イノリがつぶやくと、ミヤコはにんまりと笑って、そこら中の動物に声をかける。
タヌキにハクビシン、アルマジロに声をかけるがとりあってくれない。
しかし気の弱そうなニワトリは、ミヤコに羽をつかまれて足を止めた。
「あの! お話聞いてください! ニワトリさん!」
「は、はぁ……?」
ニワトリは困ったように首を捻る。イノリは完全に他人のふりをして遠くを見ていた。
「この世界は夢なんです! わかりますか? 夢ですよ」
「そういう勧誘は間に合ってます」
ニワトリは丁寧に断るがミヤコは引き下がらない。最終的にニワトリはミヤコを追い払うように何度も羽ばたき抵抗をした。
「お願い話を聞いてよ!」
ニワトリはもうミヤコの言葉を聞かなかった。華麗に宙を舞い、ミヤコの頬に蹴りを入れるとそのまま走り去る。ミヤコの頬にはくっきりとニワトリの足跡が残っていた。
「やっぱり、乱暴すぎたよな」
他人のふりをやめたイノリが、ようやくミヤコの近くに戻ってくる。そして足跡を見て、思わず吹き出す。
「そう思ったなら途中で止めて!」
ミヤコは猛抗議をするが、イノリはそれを無視する。
「まあ、わかったこともあるよ。夢が夢であることを伝えてもルール違反じゃないんだな」
ミヤコがまだ何か言おうとすると、何やら女性の大きな叫び声が響き渡った。
先ほどニワトリが逃げていった方で、何やら騒ぎが起きているようだった。
イノリとミヤコが動物混みをヒョイと覗くと、丸々と太ったモモンガが、華々しく着飾ったヤギに一方的に責め立てられている様子が見えた。
怒鳴り声の内容を聞いても、何を言っているのか、さっぱりわからない。けれど、まあ、要するにモモンガがヤギの機嫌を損ねたのであろう。
モモンガは万策尽きたのか、助けを求めてきょろきょろと辺りを見回す。そして、モモンガとイノリの目があった。
「イノリさーん」
モモンガはかさかさと地面を走り、イノリに助けを求める。どうやら、太りすぎて飛べないようだ。
「またいつもの?」
イノリはどこかげっそりした顔で問いかけた。
「違うんだ。僕はただ、今度のデートにお母さんも呼んでいいってきいただけなんだ。そしたら彼女、烈火のごとく怒って」
「怒らないわけがないでしょう!」
「はいはい、要するにいつものことね」
イノリはそう言うと、ミヤコを連れて立ち去ろうとする。
ヤギはイノリの対応が気に喰わなかったのか、頭の装飾をブルンブルンと振り回す。しかし一つも落ちないところを見ると、固定に命をかけているのだろう。それだけきっとデートを楽しみにしていたのだ。
「そりゃ、二人きりが楽しみだったのに、別の人が入るってなったら誰だって嫌だと思う」
ミヤコは思わず口を滑らせる。その瞬間、ヤギはミヤコの方に一目散に向かってくる。
「そうでしょう! あなたよくわかってるわね! 名前は?」
「ミ、ミヤコですぅ……」
「ミヤコちゃんね! かわいい!」
そうしてミヤコの顔はヤギによって舐め回される。これは、人間の姿だったら撫でられているのだろうか。非常に複雑な感情が沸き上がるのを感じながらも、ミヤコはなんとか耐える。
「ほ、ほどほどにしておいてあげて」
イノリはミヤコの死んだ目を見てか、ヤギを制止してくれた。
「ところで、この子誰? 中学生だよね。イノリの親戚?」
そう聞かれて、ミヤコは首を横に振る。
「まさか……彼女じゃないよね」
ヤギはミヤコのことをかばうように前に立つ。ミヤコは慌ててそれにも首を横に振る。
「まさか!」
先に、叫んだのはイノリだった。今までに見たことのない必死さで、ヤギに言い訳を並べている。
「そうだよね、よかった、友達が犯罪者なんてことにならなくて」
そう言って、ヤギは頭を振る。すると、ヘアアクセサリの一つがコロリと転げ落ちたが、誰も気にもとめなかった。