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004 あなたの部屋に

「魔法使いはなんのために」

「わからない」


 イノリはそう言うと、アイスティーを一気に飲み干した。


「わからないんだ……」


 そう繰り返すと、イノリは頭を抱える。その深い苦悩を前にミヤコは何も言えない。


「あれ以来、人間に見えたのは君が初めてだ。それに、同じものを見ているなんて……」


 イノリは不意に顔をあげ、ミヤコを見つめる。その瞳はミヤコに何かの希望を感じているようだった。


「なあ、君も『夢見姫』なんじゃないのか?」


 その言葉にミヤコは、自分の人生を振り返ってみる。それから、静かに首を振る。ミヤコの人生で、夢が現実になるなんてことは起こらなかったし、魔法使いも現れなかった。


「そっか」


 イノリは明らかに残念そうだ。そしてぽつりと言葉を続ける。


「君を家に帰すためにも、僕が生きるためにも、全てを元に戻さなくちゃいけない……頼む、手伝ってくれ」


 そう言って、イノリは頭を下げる。

 正直ミヤコは、家になんてあの地域になんて、帰りたくないと思っていたから、帰れない理由がなくなるのは嫌だった。けれど、イノリのことを思うと無下に断ることはできなかった。


「私にできることなら」


 ミヤコがそう言うと、イノリの前髪が揺れ、花が咲いたような笑顔が見えた。本当に彼は孤独で心細かったのだろう。


「ありがとう。本当にありがとう」


 ミヤコは『夢見姫』を思い出す。あの物語はどうやって、終わりを迎えていただろうか。肝心な部分がどうしても思い出せなかった。




「まずは……夢のことを調べたい」


 そう言い出したのはミヤコだった。イノリは、あまり気乗りはしない様子だったが、止めることはなかった。


「それに普通夢が叶うっていうなら、もっと都合のいい世界にならないの?」


 ミヤコは自分の欠けた爪を撫でながらつぶやく。


「たぶん、夢って言うのは将来の夢とかそういうものより、夜に見る夢なんだと思うよ」


 イノリはそう言って、窓の外に目をやる。


「だからこれは、願いというよりも深層心理」


 窓の外の動物たちはせわしなく歩いている。イノリはただそれを見つめていた。

 ミヤコはイノリの言葉を聞きながら、クリームソーダを飲み干す。

 喫茶店を出て、サンモールから中野ブロードウェイに足を進めて行ってもやはり人間は一人もいなかった。ただひたすらに動物たちが行き来している。

その中で、ミヤコは足元に現れるトカゲを踏まないように避けたり、逆にロリータファッションのゾウに踏まれないように避けたりと大忙しだ。


「本当に人間がいない……」

「そうだよ。でも、皆、自分が動物だってことに気づいていない」


 ミヤコがふと前をみると、自撮り棒で配信をしながら歩くウサギの姿が見えた。全く前を見ていないのだろうか。ウサギは何度も周囲の動物とぶつかりながら歩いている。

 イノリはウサギに気づいていないようだった。

 ミヤコはとっさに声を出すことができない。イノリとウサギはぶつかり、ウサギはしりもちをついた。

 イノリは、


「すみません」


 と咄嗟に謝る。

 しかしウサギはその言葉を遮るようにして、サッと全身の毛を逆立たせた。


「はぁ! 何、今流行りのぶつかり男ですか? 最低なんですけど」


 そう言いながらウサギは自撮り棒を拾い、カメラをイノリに向ける。イノリは慌てて顔を手で覆う。


「みんなー、これがぶつかり男だよ。かわいい女の子は特に気を付けてね」


 そしてまた自分にカメラを向け、ふらふらと駅に向かって歩いていく。もちろん、ギロリとイノリを睨むことも忘れはしなかった。


「……僕、悪いことしたかな」


 イノリはすっかりおびえてしまっている。


「そんなことないよ」


 ミヤコはそう言って、イノリの背中をさする。

 駅員と接した時から感じていたが、この街には余裕のない人が多いのだろうか。人混み……いや動物混みからも、苛立ちの気配が感じられる。


「僕がぼんやりしてたから。気づいていればよかったんだよな」


 そう言ってイノリは寂しそうに笑った。ミヤコはぼんやりとその笑顔をながめていた。


「そんなこと、ないよ」


 ミヤコは必死に言葉をかけるが、イノリに響いている様子はない。

 何か切り替えたのか、イノリはサッと顔を上げる。


「あのウサギ、駅に行ってどうするんだろう」


 今、駅の改札は茨の壁だ。ウサギはどうするつもりなんだろうか。

 ミヤコとイノリは顔を見合わせると、同時にうなずき、ウサギの後を追いかける。

 ウサギが茨の壁の前まで行くと、壁は大きく口を開き、ウサギを呑み込んだ。ウサギだけではない。他の動物たちも各々吞み込まれていく。ミヤコとイノリは思わず、あんぐりと口を開けた。


「……君も試す?」


 イノリはミヤコに問いかけるが、ミヤコは大慌てで首を横に振る。

 さすが夢。世にも奇妙な光景を見せてくる。しかし、これ以上見ていても意味はないだろう。

 二人は駅からまたサンモールへと足を進める。


「それで、何を調べたい?」


 ミヤコは少し考えてから答える。


「どこまでだったら、ここから出られるの?」

「行ってみようか」


 そう言って、イノリは歩き出す。またも大きな歩幅で、ミヤコは必死に追いかける。するとピタリとイノリは足を止めて振り返る。


「ごめん、速かった?」

「少し」


 ミヤコがそう答えると、イノリは少し歩くスピードを落とす。今度はミヤコの歩くスピードより遅い。けれどミヤコはせっかく気を使ってくれたのだから、と何も言わなかった。


「僕はこの近くの大学に通ってるんだ」


 イノリは歩きながら話し始める。


「毎日毎日、家から大学まで、この道だけを通ってた」


 そう言って、イノリは大通りを横に逸れていく。するとどういうことだろう。瞬きをした間にイノリはこちらに向かって歩いてきていた。


「なんで戻ってきたの?」

「戻ってきてなんかないよ。僕が毎日通ってた道しか通れないんだ」


 ミヤコは一瞬で理解した。つまりここがイノリにとっての世界なのだ。狭く窮屈で、ミヤコの定期範囲と同じだ。


「……こんな風に閉じ込められたのは、大学生になってからだ。僕には自由なんてないんだって思い知らされた」


 そうしてイノリは今度は脇道に逸れることなく、まっすぐに歩き始める。


「どこ行くの?」

「僕の家」


 ミヤコは一瞬たじろぎながらも、その足を進める。どちらにせよ、右も左も動物ばかり。全ての手掛かりは目の前の夢見姫ことイノリだけなのだ。ついていかない選択肢はなかった。

 知らない道をミヤコは必死に歩いていく。どこかの家の風鈴が、ミヤコの心に響き渡った。

 イノリの家は小さなアパートの二階だった。古びた外壁には所々ヒビが入っている。子供が落書きしたのだろうか? チョークで描かれた白い花の絵が妙に目についた。


「一人暮らしなんだね」

「リスやクロヒョウとは暮らせないからね」


 そう言いながら、イノリは錆びついた階段をカンカンと音を立てて登り始める。ミヤコもまた、その後を追う。一段一段を踏み込むと自身の体重がはっきりと感じられた。


「ただいま」


 そう言いながら、イノリはドアを開けた。誰かいるのかとミヤコがきょろきょろと中を見回すと、イノリは照れたように肩をすくめる。


「防犯上、ただいまって言うといいらしいから」


 それはミヤコも聞いたことがあった。それを実践している人は初めて見たけれど。


「えっと、お邪魔します……」


 ミヤコは緊張しながらつぶやいた。

 そうして、ミヤコは狭い土間でローファーを脱ぐ。そのローファーで玄関はいっぱいになり、これ以上の来訪者は受け付けないかのような雰囲気が漂っていた。


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