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003  夢見姫になったわけ

「僕はイノリ。大学二年生。君は?」

「私はミヤコ。中学二年生」

「そうか、幼い……いや若いな」


 そう言って、イノリはアイスティーに口をつける。ミヤコも同じように自分の前に置かれたクリームソーダを一口飲む。瞬間、期待通りのさわやかな炭酸が喉を潤した。


「僕はね、『夢見姫』のように夢を現実にする力があるんだ」

「……ってことは、願えばなんでも叶えられるってこと?」


 ミヤコはテーブルに体を乗り出すようにして聞こうとするが、うっかりクリームソーダを倒しそうになって、あわてて手で押さえる。しかし、ミヤコの期待とは裏腹にイノリは首を横に振った。


「いいや、『夢見姫』だってそうじゃなかっただろう? 僕も同じ。願った通りになるわけじゃない。だからこれは厄介なんだ。現に改札をあんな風に変えてしまったわけだしね」


 そう言うと、青年はソファに深く体を沈める。固く閉じられた目からは、何やら深い苦悩が読み取れた。


「どうして改札は茨になったんだろう?」

「わからない」


 青年はそう言って、顔を覆う。


「ご両親は、彫刻に?」

「……母はクロヒョウで、父はリスだよ」


 ミヤコの頭の中に花柄のエプロンを身に着けたクロヒョウと、新聞紙を広げたリスの姿が浮かび、そして消える。


「イノリさんは、人を動物に変えるってこと?」

「……うーん、それがどうやら、僕の夢らしい」


 アイスティーの氷がカランと音を立てる。

 動物しかいない中で、人間として生きるとはどんな感覚だろう。初めは楽しそうだが、長年過ごしていたイノリは孤独を感じていたのかもしれない。


「どうしてそんな力が?」

「……信じられないだろうけど、僕のところに魔法使いがやってきたんだよ」


 イノリは頬を赤く染めながら、それでも切実にその言葉を口にした。ぎゅっとアイスティーのコップを握りしめる姿はどこか哀れにも思えた。


「魔法使いってどんな人だったの?」


 ミヤコは声を抑えて、イノリにささやくように問いかける。できるだけ優しさをこめたつもりだった。すると、イノリは前髪の隙間から、ミヤコの目を正面から見つめる。


「三毛猫だった」


 イノリの瞳は深い悲しみに彩られ、ミヤコではなく記憶の奥底を覗き見ているようだ。ミヤコはその悲しみに触れることにほんの少し躊躇を感じたが、イノリは静かに語り始める。始まりのその日のことを。




 イノリがまだ中学生だった頃、彼の毎日は夢と希望に溢れていた。どんなことをしようか、どんなことをしてやろうか、毎日そんなことを考えて過ごしていた。将来のことを聞かれれば、アイドルか漫画家かスポーツ選手、それらを適当に答えていた。

 しかし、両親はそれをよくは思っていなかった。両親はイノリに堅実な道を選んでほしかったのだ。だが、それはイノリの望みに反していた。

 来る日も来る日も夢を見続けるイノリ。それに対して、現実を見ろと怒る両親。そんな毎日に終止符を打ったのは、一匹の三毛猫だった。

 その日も両親と喧嘩して、イノリは涙を流しながら布団にくるまっていた。しばらくしてイノリが少しうとうとし始めたころ、部屋の窓をコンコンとノックする音が聞こえたのだ。

 驚きながらも窓の方を見ると、三毛猫が器用に壁を登って、尻尾で窓をたたいていたのだった。イノリが思わず窓を開けると、三毛猫はひらりと部屋に舞い降りた。


「開けるのが遅い。せっかくお前を助けに来たのに」


 イノリは突然しゃべりだした三毛猫に困惑し、思わず自分の頬をつねった。鈍い痛みが走ったことで、これが夢ではないことを実感する。


「あれだけ夢を見ているのに、お前は夢を信じないのか?」


 三毛猫はあきれたようにイノリを見ていた。


「だってまさか……」


 夢を見ることと夢を信じることには大きな隔たりがある。イノリだってまさか自分が本当に夢を叶えるなんて思っていないのだ。しかし三毛猫はそんなことはお構いなしに話を続けた。


「まあいい。俺はお前の助けになるよ」


 そう言って、三毛猫は尻尾を左右に大きく振った。それは自信に満ち溢れた動きだ。


「助けって何?」

「お前は両親との関係に悩んでいるんだろう。それを解決してやるよ」

「本当?」


 イノリは目をキラキラと輝かせた。もう、あんな現実を見ろなどという、面倒な問答はごめんだった。そんなイノリを見て、三毛猫は満足そうに鼻を鳴らす。


「よし、じゃあ魔法をかけてやろう」


 三毛猫はどこからともなく取り出したステッキを尻尾で巻き付けて、くるりと回す。すると、キラキラとした粉のようなものがイノリの体にまとわりついた。


「うわぁ」


 イノリは思わず歓声をあげる。しかし、魔法が終わっても何も変化はない。


「ねえ、何も起こらないけど……」


 そう問いかけると、三毛猫は涼しい顔でイノリを見下ろしていた。


「いいや、ちゃんとかかったさ。ほら」


 その時、イノリは部屋の扉が開かれる。


「さっきは言いすぎて、ごめんなさい」


 その声は確かに母のものだったが、姿は母でない。大きなクロヒョウが歯をむき出しにして笑っていたのだ。その上には小さなリスが眼鏡をかけて座っている。

 イノリは思わず叫び、三毛猫につかみかかる。


「なんだよ、これ」

「君の夢を現実にしたんだよ。これが俺の魔法さ」


 イノリは思わず絶句し、すぐさま「元に戻して!」と三毛猫を揺さぶった。しかし三毛猫は不思議そうに首をひねる。


「夢が叶ったのに、どうしてそんなに怒るんだ?」


 イノリは、そんな三毛猫に何か言おうとするが声が出ない。


「何もかもは君次第。俺にはもう、何もできないよ」


 そう言うと、ひらりと三毛猫は窓から逃げていく。取り残されたイノリはクロヒョウの母と、その上に座った小さなリスの父と一緒に暮らさなければならなかった。

 そうしてさめざめと泣くイノリの背中を、必死にクロヒョウは撫でていた。


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