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「止まれ!そこの馬車、止まれ!!」

 それから半日後、夜が明けてすぐ、ハールたちの乗った荷馬車はいよいよ王都に近付いていた。王都アルタイルは鬱蒼とした暗い森を抜け、荒野を暫く行ったところにある、巨大な城塞都市である。遥か彼方から先代国王の叡智とも言える水道橋が伸び、視界を横切り王都へと続いている。水道橋の下を潜り、真っすぐに城門に寄って行った荷馬車は、早速迎え出てきた兵士の馬に停止を求められた。

 たかだかこんなボロ馬車相手に検問だなんて?ハールは思った。藁山の中で縮こまる。荷台の後ろにはメリンダが腰掛けており、兵士は寄ってくるとメリンダに剣を突きつけた。「何処から来た!名を名乗れ」

「メリンダと申します」彼女は、怖気付くことなく静かに答えた。ばっさりとうなじまで切り揃えられた髪に相手は気圧されしている。「マクスェル家の使用人をしておりました。お館様に許可を頂き、修道の道へと」

 途端に、マクスェルと聞いて相手は黙り込んだ。言わずと知れた隣国の名家だ。しかもその令嬢が正に追われ者のハールと逃げたという――兵士はまじまじ観察している。「……何故そのような」

 途端にメリンダがきっと眦を吊り上げた。見えなくても分かる、空気がそう語る。「――知れたことでしょう」メリンダは歯噛みした。「流れ者の王子に心奪われて、お嬢様が行方知れずとなっては下女の面目が立ちますか?主人が無事かも分からぬのに!」

 兵士が黙り込む。バシッ、と兵士の手から離間状を引ったくり、メリンダは言った。

「それも貴殿の国のご子息に」嫌味のように付け足す。「お陰で、ここにしか紹介状を書いて頂けませんでしたわ?せめてもの報復なのでしょう。お館様から私への――分かれば通して頂けます?」

 凄いわ、メリンダ。ハールは密かに感心した。本当に自棄っぱちみたいに見える。重い鉄城門が開き、荷台はガラガラと音を立てて跳ね橋を越え門の中に入っていった。凄い、第一関門突破……!

 ここから先は、運次第になる。ハールはそっと息を殺した。まず最初の運試しだ。荷台は修道院の前で止まる――そこでひと芝居。城下によくありがちな、突発的な町の喧嘩だ。

(妹には手紙を出しておきました)ここに来る道中、メリンダは説明した。施療院は問題の古い城門の真横にある。確かに地図の上では。だが、実際には、真横と言ってもざっと五メートルくらいは離れている状態で……

 そんな所にわざわざ荷台を停めたら怪しまれる。そこで、ひと芝居。まずすんなり荷台は本来行くべき場所の修道院前へ着く。だが、そこで用意していた人間に難癖を付けさせる。

それがだ。ハールは目を光らせた。門前に集まる羊皮紙職人とチーズ売りたち。「おい、こら!」

刹那、ハールは身を引っ込めた。始まった、門前に止まった荷車に向かって声が上がる。「そこに車を止めるんじゃねえ!!」

 難癖ですわ。メリンダはとんでもないことをしれっと言うとウインクまでして微笑んだ。「まず、門前に止めた車のせいで商売にならないと文句を付けさせます。大丈夫、わたくしの親族ですからご心配なく。で、そこから後は――」

「ちょっとした騒ぎに発展させますわ」鼻息も荒くメリンダは握りこぶしを固めた。まあ見ていて下さいませ!私は、こう見えて下町育ちですのよ。フフフ、きっと驚かれますわ――」

 わあわあ声は響いている。どうやら修道院の門前で止まった荷車(ハールたちが今まさに乗っている車だ)に文句を付けているのだろう。「見えねえだろうが!商売やってんだ、判らねえのか!!」

 ずり、ずり、と車が後じさり始めた。まだ声は上がっている。そっちだそっち!ハールの潜む荷台を先頭に、尻込みするように古い城門の前へと移動していく。腹いせみたいにギリギリまで城門に近付け――ハールは見た。藁の隙間から。確かに城門だ。円筒状の石造りのかつての門が目と鼻の先に見えている!

 その瞬間声がした。「ああ―――!てめえ、売り物に!!」

 ハールはぎょっとした。さっきの声だ。我慢ならずに藁をすかすと、声が向こうで張り上がっている。羊皮紙(今で言うところの紙だ)職人が売り物の紙を前に叫んでいるのだ。「畜生、泥だ!やりやがったな!!」

 ソマールの一級品だぞ!!言うなり御者に掴みかかる。ここまで連れて来てくれた農夫のおじさんに。だが、知れたことらしくいきなり乱闘が始まった。出し抜けに右頬を殴られ「喧嘩だ!喧嘩だ!!」

 わあっと声が張り上がる。あ、ああ―――!ハールは目を閉じた。だがそのときひゅっと布の固まりが後ろの荷台から顔を覗かせる。修道僧らしいねずみ色のローヴ。だがその下には剣が見えており「おい!」

 その瞬間、ハールは藁から這い出した。藁ごと車を飛び降りる。ほとんど同時に、売り物の桶をメリンダが取るのと振り回すのは同時だった。ぶん回し出し抜けに思いきり一人を殴りつける。「!!?」

 桃色の塊が目の前を過ぎた。アリエスだ。施錠された古い円筒の門の扉を一撃で蹴破る。ついでにレリオットに蹴込まれて、いきなり走り出したハールは足がもつれそうになった。何、何なの!!

 カビ臭い――思う間もなく狭い階段を下りきる。螺旋状の短い階段を降り、突如目の前に壁が現れた。行き止まり、思いきやアリエスが振り向く。「コノカ、指輪を!!」

 腕をそのまま掴んで壁に押し付けられる。小さなくぼ、相変らず、あるか無いかも分からないような小さな「鍵穴」だ。インタリオを押し付け、途端にゴゴン、と音がした。地鳴りがして(身が竦みそうだ!外に聞こえたら…!)だが武骨な石で出来た壁が隙間が出来てずり下がる。「急げ……!」

 その瞬間レリオットが手を伸ばした。半開きの壁に開いた隙間を力任せに開けたのだ。絶句する暇も無く後ろから蹴り込まれ、ハールは地べたに投げ出された。アリエスと団子になって転がる。「ち、ちょっと!!」

 ゴゴン……音がして静かになる。随分経ってから、ふっと灯りが灯りハールは目をしばたいた。「こ、の――野蛮人!馬鹿力!!」

 うるさいさっさと行け!レリオットが舌打ちする。アリエスは地図を手に今度こそ先導役だ。「ここから先は道なりだ。計算上では――何も出ない、はず。レリオット、後ろを頼む」

ぶほっ!ハールは咳き込んだ。凄いホコリだ。オマケに空気がおかしい。何だか外とは違う空気が流れているような――「昔の空気だ」アリエスは急ぎながら言った。魔法で通路を照らし歩き出す。「古い、この道が造られた頃の空気……」

「道、続いてる?」ハールは恐々訊いた。たまに聞くのだ。大昔の道は、地震や災害のせいで壊れてしまっていると。ここまで来たが最後、この局面で通れなくなっているなんてことがあったら……

 だが、前を歩きながらアリエスは静かに笑った。レリオットが呆れている。「何よ」呻いたハールにアリエスは囁いた。「ただの道ならば」手元の明かりを強くする。「そんなこともあるだろうが……」

 そう言い、ふっと手から明かりを手放した。ハールの手に灯っていた灯火の光が手を離れる。それは、頭上まで上がると、すっと光を強め周囲を照らした。まっすぐに確かにいびつではあるが整った道が伸びている。

「ここは王家の道だ」アリエスがにっこりした。よく見ると壁に古い文字のようなものが彫られている。「守られている。遥かいにしえの王たちから――ここに限ってはそのようなことは無いさ」

 そのとき、進む道が奥で微かに湾曲しているのをハールは見た。


 ちょうどその頃――

 メリンダは、見事に計算通り修道院から叩き出されていた。来て早々、自棄を起こして暴力沙汰を起こしたので追い出されたのだ。別段入る気も有りませんでしたけど……歩きながらメリンダは独りごちた。何かしら、少なからず傷付いたような気がするのは……

 街は思った通り死んだような状態だ。さっきは久々に喧嘩が有ったというので活気付いていたけれど。それも兵士が来た途端大人しくなる。誰もが身を竦め小さくなっており、誰とも目を合わさないように俯いている。まるで怯えきっているみたいに……

 失礼、道ゆく人間を捕まえ訊いてみた。案の定動転したような顔をされる。「お教え下さい。この辺りで、一番のお偉方はどちらにいらっしゃいます?出来れば寛大な。職を追われて院にも入れませんでしたの――」

 紋付きの紹介状を見せてやる。だが、これまた思った通り相手は心底困惑したような顔をした。確かに紹介状。しかも結構な名家らしいもの。だが相手はぶるっと首を震わせた。「止めといたほうがいい――」

 悪いことは言わない、今からでも戻って許しを乞いな。そう言った。中年の男だが芯から怯えきってしまっている。「ここにはそんな寛大な方は居ない……妙なことに巻き込まれる前に今のうち早く」

「戻れませんのよ!」メリンダは焦れて叫んだ。相手の袖を掴んでやる。「とにかく、私はもうお館様とは絶縁された身なんですの!慈悲と思ってお教え下さいまし、どうなってもお恨みしませんから、どうか――」

 すると、随分経ってから相手はごくんと唾を飲み込んだ。「……あっちに」そろ、と建物の向こうを指す。「水道橋付近に、大公様が――少し前まで第四王子だった方の馬車が来ているよ。す、水道橋を治して使うとかで見回っておられるが……」

 ありがとう、そう言いメリンダは踵を返した。さあ、ここから先がこちらも本番だ。これ次第で全てが決まる。なに分、さっきハールには言わなかったが、こちらもほとんど賭けなのだから?

 空を見上げる。日はさっきより少し傾いており、彼等が城に辿り着くのはあと二時間ほど。無意識のうちにとんとんと地面を踏み鳴らすと、メリンダは指された方角に向かって走り出した。

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