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 つまりはこういうことですわ、ハール様。

 それから数刻後、ようやく切り出したメリンダにハールは慰められていた。さっきのことがあまりにショックだったのだ。急激に話が進んだと思ったら、これ。いきなりあんな綺麗な髪をザク切りに切っちゃうだなんて……

 藁の積まれた荷台の上にうずくまり、泣きながら髪を整える。いいですわよ、もう。メリンダは呆れており、アリエスたちはもう一台の馬車の中だ。同じく積荷に隠れて移動している。姿を見せているのはメリンダだけ――ハールは訊いた。泣き過ぎて鼻声になってしまっている。「どうして…?」

「つまり」メリンダは咳払いした。「これも策の一貫です。ハール様たちは、追われているでしょう?」

 つまりは姿を隠さねば、城門を潜ることなど不可能。メリンダは言い切った。「まして今のアルタイルは激地ですもの……お昼間の、御覧になったでしょう?民たちすら怯えきっておりますわ。よそ者など迎えるはずがない」

 そこで私です。メリンダはちょっと誇らしげに胸をドンと叩いた。「ご存知でしょう、あの地図。古い門は真横に修道院が有りますのよ。施療院と並立された」

 そう、なの?ハールはそんな顔をした。でしょうね…メリンダは諦めて地図を出し見せてくれる。「ほら、御覧下さい。修道院が――」

 はあ…ハールは釈然としない思いで頷いた。荷台はまだガタガタと揺れている。おっとりとした老馬に引き摺られ、南下することはや数刻。この調子なら丸一昼夜かかることになるだろう。アルタイルに着くのは明日の朝――

 何で「古い門」なの?ハールは訊いた。この際体裁はナシだ。メリンダはきょとんとする。おかしくない?町の外にならいざ知らず、町のど真ん中付近に「門」だなんて――「ああこれは――」

「門とは、常に移動するものですから」メリンダはニコリとした。「都市とは徐々に大きくなるでしょう?人が増え建物が増える。そうすると、城塞に囲まれた狭い空間では一杯になってしまうから」

 外にもうひと回り、新しい門と壁を作って、それから古い外壁を取り壊すんですのよ。メリンダは宙に円を描いた。「だから古い門が街の中心地に近い場所にあるのです。これだけ立派な建造物ですから、当然再利用される。ですから、古いこの門の塔が使われて別の建物になることはままあるもので……」

 へーえ…言ってから、ハールは慌てて声を引っ込めた。これじゃ流石に怪しまれそうだ。だが、メリンダはしれっとしており、黙って膝を揃えている。ハールは顔を伺った。

 引っかかっていることは、もう一つある。だが、それを口にするのはあまりに危険だ――ハールは目を伏せた。ついさっき話が勢いづいたときに、ハールは――正確にはアリエスは、珍しくとんだ失態をやらかしたのだから。それは、メリンダの前でうっかり口を滑らせたこと…

(目指すは王城、エステルシュタイン。我が牙城だ。王さえ取れば造作無い――兄王は玉座の間に居る)

 サラッと流してはいたけれど。メリンダも、流石に気付かない筈は……

「門を潜ってからが勝負ですわよ」メリンダが目を据えた。足元に散らばる藁を険しい表情で睨んでいる。「まず、私が取り調べを受けます。お嬢様のことで責任を感じ屋敷を飛び出して来たのだと。修道の道を志し、たまたまこの村の方に乗せて頂いて王都まで――お館様の署名があるので問題なさそうですが」

 何ですって?!途端にハールはブッ飛んだ。いつの間に?!声を上げてしまう。お館様というのはアリエスの父のことだ。いつの間にそんなものを――

「まさか」メリンダは顔を顰め呆れた。「偽装です」しれっととんでもないことを言う。「まあ、一時期あまりに苦しかった時に、本当にお暇しようかと離間状は頂いておりましたけれど、まさか役に立つとは…」「ちょっとぉおお!!」

「本当に、酷かったのですよ」メリンダはほっ、と息を吐き目を伏せる。顔まで膝にうずめてしまい、「思い出すだに悪夢です……あんなことが、本当に身近で起きたなんて、わたくしには……」

「……メリンダ?」ハールはきょとんとした。気のせいか本当にメリンダが塞いでいる。いつも毅然とした性格なのに、急に萎れてしまったみたいな。「どうしたのよ……何の話?」

そのとき、メリンダは僅かに目を上げこちらを窺うような顔をした。膝の隙間からじっとこちらを覗くみたいに。その目は何故か鋭く見据えられている。何かを探ろうとするみたいな。いや、確かめようとするみたいな。意を決したように彼女は囁いた。「……ルスティカ」

え?ハールはきょとんとした。それと、ムーメラルダ。呟くみたいな喋り方をする。お化けを怖がる子供みたいな――ていうか、何だっけ?その名前どこかで聞いたような……思った途端頭の中で記憶が繋がった。確か昔館に勤めていた使用人!「怪我したっていう、あの?」

言ってからとうとう言葉を引っ込めてしまう。しまった、青くなり、(ボロが出た)「ち、違うのよ」ハールは大慌てで喋り散らした。声がうわずってしまっている。「あああの、アリエスに聞いた、ので……!」

暗くてよかった!ハールは思った。生憎と辺りは真っ暗闇だ。こんな道、走れるのは守護魔法をかけているからだろう。ハールは頬を押さえると付け足した。「本当よ!ていうか酷い事故だったわねぇ!!」

間が訪れる。随分立ってから、はあ、とメリンダは顔を背けた。「……!」

「………」メリンダが肩を震わせている。怯えきってしまっているのだ。そりゃそうよ、ハールは思った。あんな思いをしたんだから?階段から転落だっけ?間近に見ちゃったらそりゃ仕事の一つでも辞めたく――「ぶっ!」

 へ、固まってしまう。途端にメリンダは顔を上げ、盛大に吹き出した。「あ、あははは!!」

 あっははははは!!堪らずに大笑いし始める。な、な、何?肩に手を置こうとしていたハールはそのままの姿勢で硬直した。「あはは!」メリンダは涙まで流しかけておりハールを見ると言った。顔がヒクヒクしかけている。「う、ウソが下手すぎますわよ、ハール様ったら……!」

 そう言い咳払いする。失敬、ハール様はあちらでしたね。ちら、と前を走る荷台に目をやると口を拳で押さえる。「…お嬢様」

 う、っ?!!ハールは再び固まった。だが更にメリンダは吹き出してしまう。「いいえ、お嬢様ですら無いですわね、では何とお呼びすれば?」

 !!?!?今度こそ、ハールは――コノカは文字通り飛び上がった。そのままの姿勢で着地し凍りつく。メリンダはまだ呑気に笑っており、ひとしきり笑ったあと目を上げた。「――知ってましたよ」そう言い目を据える。「知って、いましたとも。何かがおかしいことくらいは?」

 ハールは凍りついた。凍ったなんてものじゃない、トラックの冷凍マグロ並みだ。もっと悪けりゃ氷山級の氷の塊――メリンダははあっ、と息を吐き上げてしまう。「お嬢様付きの下女ですわよ。それくらい、言われずとも分かりますわ――」

 そう言いふっと目を伏せた。それは何だか疲れてしまったような表情だ。長年無理をしてきた人間が、何かをきっかけにふいに切れてしまった瞬間みたいな。コノカは動きを止めた。知っている、その目をコノカは知っているのだ。だって、それは他でもない、彼女自身が少し前までしてきた目だから。「………」

「………悪く言うのは、憚られますが」メリンダは、ぼんやりと宙を見詰めると話し出した。「……昔から少し――変わった方だったのです。冷酷というか、いやに残忍というか……」

 情と癪が入れ乱れては、当惑しておられる。メリンダは呟いた。そんな方でした。「お会いしたのは私が八つの時ですが、子供の頃から変わっておられて」

 急にカッとなって、飼っていた小鳥を床に叩きつけて殺してしまわれたり。メリンダは酷く遠慮がちに、とつとつと喋り始めた。「かと言えば、拾った仔犬が助からないと知って世を徹して泣かれたり……波のように心が乱れた方で、ご自身も、それに苦しんでおいでかのような……」

 お館様が、私をお嬢様に付けたのもそのせいです。そう言った。「年の近い娘が居れば収まるのではと…確かにお見立て通り、徐々に収まりは見せておりましたが」

 急に人が変わったように残忍な目になっては、遠くを見詰めるような。メリンダは俯いた。そんな時は一人で戦場の跡に出られては、夕刻頃に気が済んだように戻ってこられるのです。施療院通いも、そのためで」

コノカは固まっていた。なん――だって?思わず目をしばたいてしまう。情に厚く、清らかな乙女アリエス。名門マクスェル家の令嬢にして、父が厳格で苛烈なほどに信心深い。娘にこんな使用人まがいの仕事をやらせるのも「全ては神の国に迎え入れられるため」だと――

それはいずれも体裁だった?ハールはぞくりとした。分厚く塗り込められ、華やかに彩られたアリエスの本性。異端崇拝の黒魔術に手を染め、内に潜む思いを宥めるため死臭漂う戦場に足を運んでいた?施療院に務めていたのも、恐らく、死を待つ者を間近に見ることが出来たからで――

 コノカは思わず、口を押さえて横を向いてしまった。反吐が出る。どうしてだが、そんな気がしたのだ。そりゃあ、彼女なりに苦しみや持って生まれた環境に嫌気がさしていたのかもしれないけど、にしたって――「………」

「それがある日突然、人が変わったようなお顔になられて」メリンダは言った。「手負いの殿方を担いで来たかと思ったら、それはもう必死で……何だかよそよそしいですし、お食事の好みも、雰囲気も、眼差し一つでさえも変わってしまわれて。殿方のようなと思ったら…」

 これですし。言うなりちら、とコノカを見た。何なの!?思わず総毛だってしまう。これって何?!「ああこれは何か有ったなと思っておりましたわ。お嬢様にしては温かいですし思いやりが有りますし、服もお花の趣味とかも……」

 そう言ってぷっと笑う。「ですから勘付いてはおりましたのよ」にっこりする。「それで、昨日寝ている間にハール様に問い詰めましたの。あっさり認めて下さいましたわ、それと謝罪も」

 な、な……ハールは固まっていた。メリンダはしれっとしている。それってつまり、チョンバレにバレていたってことで……「ごめんね、メリンダ……」言おうとしたコノカにメリンダは笑った。呑気そうな、少し気が抜けたような微笑みだ。「良いんですのよ」

 あれで、良かったのですわ。そう囁いた。天を見て微かに笑う。「……そんなにお慕いしていた訳では有りませんでしたから。不敬ながら……」

 その目にちょっぴり涙が光っている。コノカはそれを黙って見ていた。「………」

「良いのです」もう一度言った。まるで、そうすることでケリを付けようとしているみたいに?「今度こそ、幸せになって下されば。そして今度は……わたくしも楽しくやっていけそうですわ。夢でしたのよ、お嬢様とお茶を片手に語り合うの!」

 ニッコリする。それは初めて見た、使用人としてではない、友達に向ける笑顔だ。メリンダ――コノカは目を丸くした。

「ですのでここから先が本番ですわ!」言うなりズズイ、と迫られる。「!?」「是が非でも、元に戻って下さいませ!というかハール様と入れ替わって下さいませ!!そりゃこのままでも良いですけど多々問題が有りますわ…そりゃもう、大問題が!」

 ちょ、っと。コノカは後じさった。メリンダは目が据わってしまっている。「そう簡単に出来るかは……!」「気合いですわよ!」「んな無茶な!」

 ギャーギャーやり合う。隠密、ということも忘れて、盛大に騒ぎながら、コノカは思った。

 そう――そうだ。その為にも、まずはこれから先のことを乗り越えなきゃ――

 玉座を取る。つまりは、王の首を、この手で。

 ゾッとする。だが他に選択肢は残されておらず、コノカは――ハールは奥歯をそっと噛み締め自問した。

(殺すなんて出来るの?私に、ハールに……)

 拭ったように笑みが消えてしまう。だがその答えは誰も持ち合わせておらず、ハールは腕を抱いた。

(ハールに代わって本当に使命を果たせるの…?)

 そして、翌朝――

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