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 その夜――

 厩の床を借りながら、ハールは横になっていた。メリンダはとうに眠っている。仮にも使用人なのに藁束の上で眠ることが出来るのは、相当疲れているからなのだ。レリオットたちも眠っており、ハールはそっと考えた。「……」

 横を向き独りごちる。何なの、思わず呟いた。一体何てざまなのよ?兄王になった途端これほどの地獄になるだなんて……

 どれほどハールを憎んだのだろう?思ってしまう。ハールの兄、異母兄弟の二人の兄、第一王子オスタリスと第二王子リュジャンは。二人とも、ずっと我こそが先王の後継者だと信じていた。蔑まれ、遠ざけられたハールこそが無用の駒だと。だが実際は全くの真逆だった――

 父がハールを遠ざけたのも軽んじたのも全てハールの為。自分たちは騙されその尻馬に乗せられていただけだった。父は最初から、第三王子のハールに全てを継がす気でいたのだ。自分たちはていのいい駒に過ぎなかったと知ったときの恨みは――

 ぞっとするほど深いのだろう。ハールはそっと首を竦めた。だからハールを確実に亡きものにするため、追っ手まで差し向けた。恐らく、最初にソマールで彼を捕らえ損なった兵たちも皆殺されているだろう。今頃屋敷もどうなっているやら……

 誰かを踏みつけにしなければ、安心出来ないのは何故だろう?ハールは思った。弟を、もしくは赤の他人でも、誰かを苦しめなければ幸せを感じられない人間の心理はどういうものだろう?

 それは、紛れもなく――ハールは目を伏せた。。どうしようもなく貧しく、心が餓えているからだ。餓鬼のように常に充たされることのない貪欲さが、そんな卑しさと恐れに拍車をかける。人を常に踏みつけにしていないと、怖くて夜も眠れないのだ。まるで、闇に怯えて常に誰かの腕にしがみ付いている子供みたいに――

 そしてその弱さはだ。ハールは目を上げた。弱いことは罪じゃない、というけれど、それが悪意に発展したとき罪になる。世の中の全ての悪事や罪は元を正せば弱さから来ているのだから……

 だから断たなきゃいけない。次なる犠牲者を生み出さないためにも。そこに悔悛があれば救いになる。だが、残念ながら……

 世の中には、力でしか解決出来ない事態も時にはある。悲しいけれど。

「……そう思うか」アリエスが、ぽつりと呟いた。やっぱりだ、ハールは振り向いた。やっぱり――やっぱり読んでいる?どういう仕組みか知らないけれど、少し前から私の心を読んでいる?「怒らないでくれ」

 怒るなって!ハールは言おうとした。だが、アリエスは横になったまま素直に目を伏せてしまう。「無理はないが……言ったろう、少しでも波長を合わせておかねば」

 例の、あの魔術。ハールは思い出した。魂をとっさに入れ替えるあの魔法。タイミングが合わなければ死ぬ――魔女が、そう言っていたけれど。どちらかが、いやもしくは両方が。

 兄たちを倒す前に、戻るべきか。ハールは思い出した。例の魔女の家で散々迷ったのだ。その方が効率が良い――そう訴えるレリオットに、魔女は言った。(止したほうがいいね。半可な覚悟じゃ失敗する)

 それに、あたしの見立てじゃ――魔女はそっと目を細めるとハールを見て笑った。(もっと相応しい時がきっと訪れる、そんな気がするよ。魔女の勘がそう告げてる)

 様子を見よう。共倒れにならないためにも。ハールは、いやアリエスは――そう言った。そうして今ここに居るのだ。その「タイミング」がいつなのかを待ちながら。

 つとアリエスが手を伸ばし、ハールに触れた。髪に付いた藁を取る。「……不思議だな。人の心に触れるのは苦手だが」

 そう言い微かに笑う。女性の顔、だがそれは、他でもないハール自身の顔だ。凛々しく精悍な、今後アルタイルを担う王家の顔。「君の心に触れるのは悪くない…」

 ハールは目を丸くした。それ、思わず目をしばたいてしまう。それって『ロイギル』でハールがアリエスに言った言葉じゃないの?少なからず心を読む事の出来るハールが、アリエスに言ったこと。アリエスはカンカンだったけど……

「そう?」ハールは笑った。「私の心って、どんなの?真っ黒?それでも意外とド直球?」

「……そうだな」アリエスが笑う。「あえて言うなら……布だ。翻る、真っ白の布――」

 占い師みたいに顔の前に手を伸ばす。「――そしてその向こうには、陽が見える。君は眩しい、コノカ」

 ハールは目をしばたいた。『ロイギル』じゃこうだった。『強いて言うなら花の香りだ』、と。『丁寧に、摘んで束ねられた花束』。つまり今のは――

 ハールの私に対する評価?パッと明るくなる。そうよね?つまり筋書きでもない、アリエスに対してでもない、私自身に対する彼の言葉。

ハールは笑った。悪くないわね、ニッコリする。アリエスは目をぱちぱちしており、再び背を向けた。寝返りを打ち向こうを向いてしまう。

「……もう休め」そう言った。「明日からは正念場になるぞ。覚悟してくれ。コノカ」

「うん」ハールは頷いた。知ってるわ。つまり、物語もいよいよ大詰めになってきているということ――

「おやすみハール」言ってやる。返事はなく、心の中で、もう一度(おやすみなさい)囁くと、ハールは目を閉じた。

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