一体――
それから数時間後、あっさりハールはバテていた。アリエスは平然としている。どこまで行っても真っ暗闇のがらんどう。ラリマーのラの字も見当たらない。「もう――」
「ラリマーってば!」ハールは叫んだ。あの、バカ犬!ついに毒づいてしまう。こんなところで迷子になるなんて!だがアリエスは何も言わない。それどころか洞窟に興味を示しており「余程深いな…どれだけ有るのか」
「知らないわよ!」ハールはついに地面にへたり込んだ。もうヤだ!疲れたぁ―――!ぺたんと正座を崩してしまう。「喉乾いた!お腹は空くし!もう…!」
アリエスが屈み込む。小休止、ということらしく、ペタンと一緒に腰を下ろすとほっと息を吐いた。「そろそろ戻るか」
「………」
返事がないのを見て呆れたような顔をする。「頑固者め」そう言うと、ふっと笑った。「とうに戻っているかも知れないぞ?」
ワンチャンそれに賭けたいけど……ハールは俯いた。真っ暗闇の中で、クーン…なんて耳を下げて鳴いていたらと思うとゾッとする。それどころか、あの変な虫の餌食になってたり…!「有り得ない」
え、ハールは顔を上げた。アリエスがハールを見て笑っている。何だか心でも読んだみたいに、かぶりを振り言った。「犬は鼻が良い。人より遥かに早く生き物の気配を察する」
だといいけど……膝を抱えてしまう。その前にハールがヒョイと何かを差し出した。「食べるか、気が休まる」
ここに来る前に――ハールは、ふと思った。似たようなことがあった気がする。確か、まだ『コノカ』だった頃、残業続きで文字通りボロボロにされたとき、そんなことをしていたことがあるのだ。何か食べれば気が休まる、そう思って。
人は食べる為に生きるんじゃない――生きるために食べるんだ、そんな言葉があったけど。「コノカ」は思った。あのときは、そんなこと考えられもしなかった。いや、単純極まりないことなのにそれに向き合うことすら出来なかった。向き合えば最後、全てが崩壊する気がして。
今の自分が幸せでないと、ただ「食べるためだけにどうにか生きている」のだと、認めることが出来なかったから。「………」
そんなコノカを元気付けてくれたのが彼だ。コノカは目を上げ、思った。本の中で賢明に生きている青年。親を殺され祖国を追われ、コノカより何十倍も辛い思いをして、それでもおくびにも出さずただ闘っている姿。勧善懲悪だなんて、フィクションの世界でも難しいけど、それでもせめて報われてくれたらと――
再び目が合う。アリエスはまだ何かを差し出してくれており、ハールはようやく受け取った。「……ありがと」
甘い香りがする。木から穫れたばかりのマルメロの実だ。この世界のものはハート型になっており、始めてみたとき可愛さにブッ飛んだんだっけ。齧ろうとしたハールは、ふと気が付いた。「……これ、どうしたの?」
ここに来る前、そんなものが有っただろうか?ハールは思った。アリエスは目をしばたいている。言っている意味が分からなかったらしく、「――ああ」ようやく頷いた。「さっき、ここに来る前に荷物の上に――」
「え?」
「君じゃないのか?」ハールは訊いた。「もしくは、メリンダが…」
その瞬間、ハールはギクンとした。違う、思わず動きを止めてしまう。メリンダは手ぶらだった?彼女は着の身着のままでここに来てしまったし、ああ見えても一応紳士面しているレリオットが荷物を持ってくれたのだから。クザーヌスは両手で武器を使っていたし……
まさか。立ち上がる。それに気付いたのか、アリエスもあっけにとられ、途端にハールは走り出した。
糸を手繰り走り出す。全力疾走だ。無いはずのものが、有った。しかも地底のこの迷宮状態の空間の中で。それはまさか!
アリエスと飛び出す。元来た道をさんざ走り回り、一直線に元の場所へと。途端に、誰かが顔を見て「あっ!」と声を上げた。
「お嬢様!ハール様も…!」
メリンダだ。ついでに荷物もまとめている。な、何で?思った途端、脇から白い毛むくじゃらのものが顔を出し元気良く『ワン!』と鳴いた。
「も――――!!ラリマーったら!心配したじゃないの~~!!」
ハールはラリマーを抱き締め叫んでいた。何故か一同は、盛大に何かをモグモグやっている。熟したマルメロの枝を中心に、手を動かしているのだ。「偉いわ、ラリマー。中々の名犬ですわよ!」
ことの次第としてはこうだ。メリンダは、甘い果実を口に含みながら説明した。ふと音がしたので、目を開けるとラリマーが帰ってきていた。しかも口に何やら大きな枝を咥えて引き摺っており――
マルメロの枝をむしって来たんですの、この子。メリンダはよしよしした。ラリマーは今お座りしている。大きな枝で、しかも実だくさん。まあ賢い、と思ったら――
レリオット様が。「一体何処から持ってきた?と。だって陽の無い場所に木が育つ訳ないじゃありませんの?」
確かにそうだ?ハールは頷いた。マルメロは特に陽当たりの良い場所を好んで育つ。こんな、豊かに実った枝なんて外の世界じゃなきゃ絶対無いもので――
「それで気付いたんです。この子、ひと足先に出口を見付けていたのだと!居なくなったのは道案内をする為だったんですわよ、もう、何て賢い…!」
偉いわ、ラリマー!アリエスが言った。だがその手をすかさずバゥ、と齧られてしまう。「………」メリンダが失笑しており、「相変らずですわね?何故お嬢様だけにこうも牙を剥くのか…」
と――ともあれ、アリエスが咳払いした。「活路は披けた!これで外に出ることが出来る…!」
「クザーヌスさん」ハールは訊いた。「一番近そうな出口は何処になりそう?」
言われてクザーヌスは地図を広げた。例の『王族用夜逃げ地図』だ。道は無数に、出口も沢山ある。例の『ロマーニュ川の入り口』から繋がる道は三つある。一つ、城の裏手にある森の古い遺跡。
二つ、城から西に暫く行ったところにある小さな村の近郊。そして三つ、城の地下通路。
「直近なのは最後の道だったのね…」ハールは唸った。仕方がない、レリオットも顎に手を当て唸っている。「この下に――最初の入り口から左奥に行けば、道が有ったんですわ。さこそ城の真下に繋がっている抜け道が……」
超今更ね……ハールは肩を落とした。仕方がない。諦めて地図を見る。まあ、いきなり殴りかかっても風情が無いし?「風情、って言うのかソレ……」アリエスが呻いており、「何か言った?」ハールは睨むと地図を見た。「ってことは…」
「出口はきっと最初か二番目の道ね」ハールは頷いた。ラリマー、出た場所はどんなとこだったの?聞いてやる。「バゥー、バウワウ、ワワウワウ」いや分かんないわよ、唸るとクザーヌスが答えた。「恐らく二番目でしょう。城の西外れにある村、イストラ付近」
何で?ハールは聞いた。何故です?アリエスも目をしばたく。「これですよ」クザーヌスはさっきのラリマーがむしってきた枝を見るとニッコリした。「マルメロはどのような場所で育ちますか?」
「……そりゃあ」ハールは目をしばたいた。メリンダが代わりに口を開く。「日当たりが良く」ラリマーを見た。「水が豊富で、適度に乾燥した…」
つまり森の中じゃ育ちにくいということだ。あ!ハールは言った。オマケにラリマーは、よく見るとさっきから濡れている。腰から下が湿っており、つまり水が沢山近くに有るということ?
地図を追う。地図には、ロマーニュ川下、旧水道橋の下に道が伸びている。そしてその傍には、確かにイストラの村。「ここだわ!」
そう、そしてそこからは、王都に向かって水道橋が約十キロに渡り伸びている――
「――活路が」ハールは呟いた。ほとんど手探りだった糸がつかめた瞬間みたいに。
「活路が見えてきたわよ…!」