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 人間誰しも苦手なものがある――

 それを見ながら、ハールは心底からそう思った。正確には全身総毛立ちながらだ。広い洞窟のような、祠のようにも見える通路に無数の影が潜んでいる。しかも、それにはどう見ても虫の触角みたいなものが見えており――

 ―――――っ!!ハールは叫んだ。メリンダも一緒になって悲鳴を上げる。いやぁあ――――!!!しがみ付き合い、ハールはそれに気が付いた。最悪だ、しかも彼女の苦手なカミキリムシそっくり!!

「ぎゃあああああっ!!!」ハールは叫んだ。途端にぶわっ、と羽音のような音が起こる。殿下!クザーヌスが叫び即座に手を振った。ボッ、音がして足元に正円が描かれる。「きゃあああああっ!!」

 軽い音がしてレリオットが踏み込んだ。一閃、剣が閃き何かが落ちてくる。それは最も見たくないものの一つ、真っ二つになった人間よりも大きい巨大な昆虫の死骸。しかも何故かまだ動いていたりする。ハールは騒いだ。「いやああああっ!!」

 パニックとはこのことだ。何とかして下さいませハール様ぁあ!!メリンダも悲鳴を上げる。女性は概して虫が苦手なもので、アリエスは平気の平左だ。素早く印を切り宙に手で弧を描く。刹那、ボッと赤い炎の渦が上がり、「レリオット!」

 援護だ――ハールは思った。凄い、流石息ピッタリ!目を見開いてしまう。クザーヌスはハールたちを守っており、だがそのときぶぅん、と(更に聞きたくない音の一つだ。飛来する虫の羽音!)何とこっち目掛けて巨大な虫が――

『ぎゃああああっ!!』

 その瞬間、ハールは手を前に出した。反射的に何かをする。来ないで―――!!!言うや否や、ハールの体から――いや体全体から、ドッと蜃気楼のようなものが飛び出した。厳密には蜃気楼のように見える煙みたいな靄。「王子!」

 その瞬間、それは宙を舞い始めた。何だか幽霊みたいに。無茶苦茶に回転しながらいびつにカーブを描くようにして宙を舞う。それは虫に向かって飛んでゆき、幽霊みたいに通り抜け――途端に虫が消え失せた。正確には、一瞬で灰になったのだ。「ハール様!?」

 ヒュン!ヒュヒュン!それは次々ハールの体から飛び出し始める。無茶苦茶に空を舞い次々虫に衝突し――すり抜ける瞬間灰になる。あっと言う間に辺り一帯に灰が舞い、クザーヌスが口を開けた。「あれは――」

 ハールは目を剥いた。それは、どう見ても古風な衣装を着た亡霊たちだ。次々に彼等は虫を退けていく。「走れ!」レリオットが怒鳴りハールは駆け出した。メリンダの手を引いて。あれは――あれは、

「精霊だ!」レリオットが叫んだ。「神格化したアルタイル家の魂だ……!」

 全力疾走して巨大カミキリムシの巣窟を抜ける。ようやく切り抜けて、別の通路のような空間に飛び込んだハールは、息を切らしながら思った。め……めっちゃ便利……!

「ほ――」メリンダが言った。ゼエゼエ息を切らせている。後ろにアリエス、その後ろにレリオット、クザーヌスがおり、逃げ脚だけは韋駄天並みに速いのだ。ハールにどうにか追い付き息切れしている。「本当に王族だったんですね、ハール様……」

 ま…ハールはモゴモゴした。まーね……振り向き、さっきのお化けが居ないことを確認する。ちょっと残念、ちょっと安心。どうにかひと心地つき息を整える。「ど…どうすんの?ハール…」

 え?メリンダが言う。慌ててハールは言い直した。「間違えたアリエス。どうすんの?この次は……」

 途端にアリエスが足を止めた。クザーヌスが、暗闇の中例の地図を取り出してくる。あの魔法で仕掛けられた抜け道の地図。指で追っており「ええと……」

 こんなとき、危機感を抱かずにいられるのは、相手に絶対的な信頼を置いているからだ。ハールは待っていた。クザーヌスは黙っている。地図は確かに薄く光っている。問題の、抜け道をはっきりと古い羊皮紙に示しており、

 だが――

 随分経ってからレリオットが言った。「クザーヌス殿、ここは何処です?」アリエスが一緒に地図を覗き込んでいる。「さあ……」

「さあって」ハールは呆れた。やだ、二人揃って実は方向音痴?地図を覗いてやる。「見せてみて、えっと……」

 そこで、気が付いた。地図は無数に枝分かれした道が記されている。が、問題は、自分たちが今何処に居るかが判らないということで……

 へ…?ハールは言った。ひゅう、と妙な風が吹き抜ける。完全に忘れていたが(ごめん…)バウ、とラリマーが小さな声を上げた。濡れた鼻をハールに押し付けてくる。

「………」

現在地が判らない、ということは……

しかもこの地図には何の特徴もない。メリンダがフリーズする。つまり、これはいわゆる……

迷子?気付いてしまう。途端に今度こそ、ハールは何とも言えない風が周囲を吹き抜けたのを感じた。


 方向音痴とは、何故か伝染するものだ。

 それから数時間後、ハールは地図を手に彷徨っていた。さっきから同じ場所を回っている気がする。グルグルグルグル……後ろを歩くレリオットもうんざりしてしまっており、

「い――いい加減に!」と怒鳴った。クザーヌスはすっかりバテて座り込んでいる。「まだか、出口は…!」

 それどころか来た道さえ不明よ。ハールは黙って相手を睨み思った。完全に迷った、というか、遭難した。この、変てこな洞窟とも鍾乳洞も言える空間は正に迷宮なのだ。何だかまるで巨大なアトラクションみたいに――

 すぐそこに大きな湖のようなものが見えている。地底湖だ。薄暗く、それでも昔誰かが住んでいた事がそこかしこに覗える。変に個室みたいになった空間に看板の下がっていた跡が残っていたり、壊れたかまどのようなものが有ったり。「何か…」

 町でも昔有ったみたい?周囲を見回しながらハールは呟いた。メリンダは目をちまちまさせている。アリエスは、そろそろ休もう……と身を休める場所を探している。さっきの巨大な虫はこの辺りには居ないようだが(居たら死ぬ。止めて)、念のため結界を張るつもりでいるのだ。「コノ……ハール、手伝って。そろそろ休みましょう。クザーヌス、火を用意して――」

 そのときハールは気が付いた。一人居ない。さっきから、変に静かな気はしてたけど。「ラリマー?」

 え、えっ?メリンダがぎょっとした。慌てて周囲を見回す。だが、返事は無く、途端にハールは飛び上がった。「やだ嘘、ラリマー!」

 声がわぁん、と響き渡る。洞窟のような空間に四方八方に向かって。ラリマー、ラリマー、ラリマー…何だかやまびこみたいでハールは叫んだ。『ちょっとぉおお!!』

 う――るさい!落ち着け!レリオットが怒鳴った。急いで走りだそうとするハールを引き止める。「騒ぐな!仮にも犬だ、鼻が利く、すぐに戻って来るに決まって――」

「………」

 絶句してしまう。ま、まあハール様……疲労のせいかメリンダにもおざなりに宥められてしまい、ハールは萎れた。

 心ここにあらずで食事を済ませ、寝支度を整える。メリンダは流石にもう体力が限界だ。堅い岩みたいな地面なのに熟睡してしまっている。レリオットも剣を抱いたまま項垂れており、病弱だが体力底なしのクザーヌスだけがうたた寝しながら周囲を確認している。ハールはそっと床を抜け出した。

「……」

 少し前、ここに来るとき通りがかった幾つかの町で買い物をしたことがある。荷物をまさぐるとハールは袋を取り出した。中身は段違いに染められた綺麗な糸だ。計十本ほど。絹糸で、余りに綺麗だから買っちゃったんだけど……

 それを取り出し周囲を確認する。見回すと、足元に小ぶりな岩が転がっており、ハールはそれを拾うと糸をクルクルと巻きつけた。剣を取り立ち上がる。

 この付近は、完全に迷宮状態だ。ハールは上を見て息を吐いた。巨大な空洞は真っ暗闇だし、何だか抜け道というよりも太古の洞窟みたいにも見える。一人で迷えば死亡確定。だが――

 これならば迷うことはあるまい?ハールはそっと拳を固めた。糸まきの糸を片手に歩き出す。こうすれば、糸が来た道を示してくれる。この糸が切れるまでは、歩ける範囲――こんな所にラリマーを置いてはいけない。「ラ、ラリマー?」

 辛うじて覚えた魔法で炎を出し辺りを照らす。ラリマーってば……歩き出した途端、肩を捕まれた。「!!?」

 アリエスだった。目を見開き、何をしている、というような顔をしている。ハールは慌てた。「や、やだハール?何してんの?」

「君こそ何を…」言ってから、手の中にある干し肉を見て溜息をつく。「…ラリマーか」呟くと、諦めたように肩を竦めた。「昼間心配ないと言った筈だが…」

 付き合おう。やむを得ないといったようにアリエスが言った。え、えっ?背中を押されてしまう。「さあ行くぞ」何か言う前に言葉を奪われてしまい、ハールはやむなく、さっさと歩き出したアリエスについて歩き出した。

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