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 家に戻ると、クザーヌスが待っていた。レリオットが剣を片手に佇んでいる。大方何があったかを知っているのだろう――アリエスは二人を見ると黙って頷いた。

 別段隠さなくてもいいのに、コノカは思った。わざわざ治癒魔法で赤くなった目を治してしまう。おまけにこればっかりは男性で、盛大に小川で顔を洗うと(ち、ちょっと。ダイナミック過ぎるわよ…)濡れた顔を腕で拭った。「行こう、コノカ」

毅然たる様子で二人を見返す。それは他でもないハール黒太子――アルタイル次期統首の面持ちだ。「待たせたな。レリオット。今夜出立する」

「承知しました」レリオットが頷いてみせた。クザーヌスも剣を携えている。剣聖クザーヌス?コノカは思った。まさか、病気の身でついてくるつもりじゃ――

「レリオット、クザーヌス師よ――」ハールは言った。アリエスの姿で。だがその顔は精悍そのもの、声が凛と響き渡る。「父の遺志を継がねば。我々は祖国アルタイルを目指す!」

 ぱあっとコノカは明るくなった。そうか、こんな風に展開していたのかと。生憎とこの先はどんな展開が待ち受けているのか知らないけど――思わず笑顔になる。「コノカ」

うん。コノカは――ハールは頷いた。アリエスがこちらを向いている。ほんの少し口元に笑みを浮かべて。「君を巻き込み申し訳ないが……来てくれるか、一緒に」

 勿論!ハールは笑った。ぐっ、と拳を固め笑う。「ここまで来て抜けたはないわよ。それにハールが居なきゃ成功しないでしょ?」

 レリオットが笑った。初めてフンと目を見て笑う。度胸だけは認めてやろう、というように。クザーヌスが踵を返すと机を促した。「では皆、どうぞ、これを」

 そこには地図が置かれていた。古い古い、王家に引き継がれてきた地図だ。折り目がボロボロで風化しているが、今一面にテーブルに広げられている。「師よ、これは……」

「我々の地図です」クザーヌスは言った。「いや、ただの地図ではありませんが」

 そう言い何かを詠唱する。ふっと右手に息を吹きかけ、地図の上に手を置くと、その瞬間見る間に光る線で隠し絵図が現れた。

「これは……」

 その途端クザーヌスは僅かにやにさがった。初めて見る悪い顔だ。「父君が手にかけられた時」クザーヌスは地図を手で擦りながら言った。「居室に――忍ばせて頂いたのです。いずれこうなるやもしれぬと」

「はは!」アリエスが笑った。「実に――良い機転だ!」王族然として頷く。「これは、これは我々の――隠し通路だ」

「隠し通路?」コノカはぎょっとした。レリオットが目を剥いている。「なんと…これは…」

そこには既存の細かい地図に重なるようにして、金色の光る道筋が見えていた。王都の中枢にアルタイルの牙城があり――そしてその下を太さもまばらの道が無数に巡っている。「凄い…これって」

王族用夜逃げルート?ハールは訊いた。言い方を!レリオットがツッコむ。「そう、兄君は――現在拝謁の間に居ります。というより粛清が始まって以後ただの一度も出てきておらぬ」

粛清、ハールはぎくりとした。それって――反対分子を排除すること?アリエスが険しい顔をする。「恐らく恐れているのでしょう。民心の乖離を……父君を、討ち取り曝しまでした残虐者と謗られるのを。今街に出ているのは兄君から命じられた王兵だけ……弟のリュジャン殿は逃げ出す者が居ないか街の入り口を封鎖しております」

 つまりは中には入れないということだ。正面きってノコノコ行けば、一貫の終わり。

「――民に剣を向けているのか」アリエスは囁いた。ゾッとするほどの怒りの形相を見せる。「我が兄は……」

「今や民心は完全に離れつつあります」クザーヌスは続けた。「第四王子のユリジェス殿が幽閉された今、頼れるのはハール様お一人だけ……もし貴方が兄君を討ち、名乗りを上げれば、民は皆こぞって貴方に従うでしょう。ハール黒太子」

 ふんふん、なるほど。ハールは頷いた。ついでにそこに、護国卿として誉れ高いレリオットが付き添い、賢者クザーヌスが居れば、ブーイングなんて起きっこないってことね。なるほど……

「ただ、それには太子ご自身で兄を討ち取り名乗りを上げて貰わねばならぬのですが……」

 なるほど。ハールは更に頷いた。そりゃそうね?でも余裕よ。そう思い顔を上げる。だってハールは剣聖に鍛えられた男。オマケに魔法の腕もピカイチだし数々の戦で鍛えた経験もある。本気でかかれば温室育ちの兄なんて一太刀じゃ…

 そこまで思って、ハールは気が付いた。いつの間にか、その場の全員が――コノカの方を眺めている。え、えっ?思ったそのとき、刹那雷が閃くみたいにコノカは気付いた。そ――そうだった、それは、つまり『ハール』の仕事だ…!!

 つまりは現段階ではコノカの仕事!!ブボァ、ハールは吹き出した。まるで水槽に投げ込まれたカエルみたいに――ちょちょ、ちょ!!

 全員切羽詰っている。その顔は、異口同音で『やれ』と言っており、『やってくれ、コノカ!!』

 我々――いや!!

 無茶言わないでぇえええ!!!その瞬間、ありったけの大声を上げてハールは叫んだ。


 それから五日――

 ハールは文字通り地獄だった。習うより慣れろ、と称して荒野に連れ出されたのだ。「丁度いい」アリエスは言った。「この荒野は危険地帯だ。良い練習材料になる」

 は!?ハールは言った。!!?「良い案です」レリオットも頷いてみせる。「この付近は徹底して避けられていますから…常識的には、潜伏するはずがない。追っ手もここには来ますまい」

 ちょっと―――!!ハールは泣き叫んだ。病人のクザーヌスまで来ているのに!「大丈夫だコノカ、援護する。とにかく君は身体を動かすことに慣れろ」

 いやぁああっ!ハールは喚いた。相変らず男の体でやることは女だ。この世の終わりみたいな灰色の岩砂漠に駆り出される。オマケにこの地帯に出るのはなんと、保護色の大蛇とカメムシの化身みたいな巨大な虫で…!!

 ぎゃあああっ!いや――――!!

 案の定、ハールは逃げ回った。風のごときハールの駿足を悪用する。いや――――!来ないで――――!!泣き叫び、アリエスの背に隠れて「きゃあああ―――っ!!」

「………」流石のクザーヌスも硬直している。虫も爬虫類も大嫌い!ジタバタする。「逃げるな、コノカ!」アリエスが叫び、「訓練にならん!」

「もうちょっと出てくる敵を選んでよ!!」

 だが多少なりとも効果はあったのだ。接近戦は事実上不可能――ハールは魔法書に鼻を突っ込んだ。僅かひと晩であらかた魔法を覚えてしまう。出てきた途端ボンボン魔法を炸裂させ(お、おお…)「いやぁあっ!誰か―――!」

 中々に才能がある。クザーヌスはそう褒めた。剣の問題は一向に解決していないが少しは様になっているらしい。体の動きや、身のこなしもハールの覚えた動きを再現出来ているようだし――「使えそうですか?師よ」

「無論」クザーヌスは不敵に笑った。「私が仕込んだのです。王子は私の指導に不服が?」

「まさか」

 夜は先日の地図を広げて話し合う。アルタイルの城の下まで続く地下通路。城まで伸びる通路があるのは二つだけ。一つ、城下に有る古い門の下から。二つ、この荒野を抜けた所にある、ロマーニュ川付近。

「ロマーニュ川?」ハールは顔を顰めた。聞き覚えがあったのだ。三巻辺りに出てきた名称で、ハールが名前を聞き顔を顰めた場所。「ロマーニュって、あの?人を食らう人魚が住むっていう」

「そうだ」レリオットが頷いた。「あの川の途中にある岩谷から通路に入る」

 ぶはっ、ハールは吹き出した。「ま、待って!」

 人を食らうって!ハールは聞いた。人魚のオーソドックスなイメージを思い出す。こう、ナイスバディで美しくて、岩に座って髪を梳ってたり――「食べるの?」「ああ」「人を?」

 厳密には男をな。レリオットはあっさりと肯定した。「だが案ずるな――ロマーニュの人魚はアルタイルの者には手を出さん。その昔、王家に救われたことがあるからな」

 そんな昔の約束覚えてるわけないじゃん!!ハールは騒いだ。

「貴様は無知か有識か分からんな…」途端にレリオットは不快極まりないというような顔をした。アリエスは焚き火に枝をくべ笑っている。「王家の約束は絶対だ。いわば『契約』と言うべきか……二百年ほど前、アルタイル王ヒルデガルドが彼等を救ったとき交わしたんだ。あの地に毒を巻いた民を山際まで退け、毒でただれた彼等を薬湯を流すことで命を救った――そのとき彼等は誓ったのだ。アルタイルの血筋の命は絶対であると。君が居れば問題ない」

 ま、マジで……?「マジだ」レリオットは真顔で鸚鵡返しする。「言われた通りにすればいい」

「で、でも」ハールは訊いた。「それってどうやって信用して貰うの?そんなの、嘘とか吐かれれば終わりじゃない。アルタイルの王家ですーって。どうやって証明するのよ」

「それは」レリオットは目を上げた。「それも計算済みだ。お前の持っている印章、あれを見れば一目瞭然だ。代々王家に伝わる印章インタリオ、あれこそがアルタイルの証なのだから」

「印って――」

「指輪をしてたろう?」アリエスが笑った。「王家のインタリオだ。ついでに言うと、あれが岩屋の鍵になっている。あれさえあれば」

 ハールは思い出した。どこ行ったっけ、あれ……考え逡巡する。確か、最初にソマールを出た時に、メリンダに見せるため持たせたのだ。ラリマーの首に手紙と一緒に巻きつけて。

「………」

 全員黙っている。ややあってから、気付いたのかアリエスが硬直した。

「……

 その途端、今度こそハールは文字通りフリーズした。

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