ハールの師、クザーヌスは思った通り良い人だった。病床の身をおして料理を呈してくれる。剣聖クザーヌス、確か呪いで身体を病んでいたっけ…
出された料理を口に運び、コノカは――ハールは目を丸くした。美味しい、思わず言ってしまう。どういう訳かレリオットは手すら付けていないけど…「これ、何です?」
「ワラビと沼サソリの身の団子入りスープです」クザーヌスは答えた。ぶっ、途端にアリエスが吹き出してしまう。だがこちらはそれが何かも分からないので、あっさり流した。「へぇ――凄く美味しい!」
するとクザーヌスは笑顔になった。お、おい……レリオットが唸っている。さ、流石は天界人……アリエスも言っており、(卓越した精神力があるらしい)
「こっちの卵のフライみたいなのは何?ピーナツみたいな味がするけど」
「ピーナツが何かは存じませんが」氏は笑顔で解説した。「イオニアの大アリの卵を揚げた物です」
何となく分かる。ハールは思った。俗に言うゲテモノってやつ?だがこっちの世界の食材や文化に疎いので、怖いものナシだ。パクパク平らげるハールを見てクザーヌスは笑った。「可愛らしいお嬢さんだ」
途端に今度はハールが吹き出す番だった。え、えっ?アリエスはほとんど進まない手を止め顔を上げている。「師よ」遮った。「彼女の姿が分かるのですか?」
「形は」クザーヌスは頷くと、何だか謎めいたことを言った。「修錬を積めば、目に見える姿だけでなく相手の魂の色かたちも見えるようになるのです。王子は修行が足りませんな」
そうか……アリエスは素直に恥じ入った。レリオットは、そんなもん見えませんよ、というような顔をしている。「師よ」アリエスは訊いた。「それでコノカはどんな姿です?」
ちょっと!途端にハールは慌てた。止めてよ!仮にも前世の姿なんて早々自慢できるものじゃないのだ。だがクザーヌスは目を凝らした。「そうだな……酷く、くたびれておられる」
ぐっ、途端にハールはむせ込んだ。だが何故かアリエスは興味津々だ。「……酷い目に遭われていたのだな。奴隷のような……」
奴隷!?流石にコノカは飛び上がった。何だと、アリエスが目を剥く。「彼女自身は奴隷ではない…だが、それに等しい扱いを受けていたような……」
「それは…」アリエスが目を伏せた。心なしか悔しげな顔をしている。「どの世界にでもあるのだな。そのようなことが……」
だが活き活きともしておられる。クザーヌスは再び続けた。「本が、お好きなようだ。これだけの本を持つとはかなりの知識階級に違いない。おお、何と……人が寄せている。大勢だ。軽く十万は越えそうな?」
スト――――ップ!!ハールは叫んだ。それ以上無し!手でバツを作ってやる。それイベント会場だから!!こみ上げてきた言葉を飲み込みコノカは首を振った。「もうナシ!ナシよこの話題!!」
残念だ。アリエスは笑った。「君のことを知りたいのに…」
ぐ、っ。ハールは詰まった。だがレリオットは珍しく感心している。「知識階級…なるほど、そう言われると得心が行く。あの短時間で、最も長いもののうちに入る魔術を暗記したのだから。魔法の威力もそのためか」
闇の魔術。ハールはスプーンを止めた。途方もない
そりゃあね……ハールはたそがれた。社畜ですから?クザーヌスは黙っている。と、目を上げた。「時に太子よ」
はい、アリエスが律儀にカトラリーを置き向き直った。「国に戻られるとの仰せですが……私は賛同出来ません」
途端にアリエスの顔がピリッと引きつった。よくない話の前触れだ。「――何故です?」
「率直に言って、兄君は…」クザーヌスはふいに険しく顔を歪めた。「オスタリス殿は乱心しておられる。先の王、父君を自ら手にかけるなど……それも動機は幼子の如き幼稚なもの。かの王に深い怨恨と嫉妬の憎悪が私には見えます」
怨恨と、憎悪。ハールはそっと息を飲んだ。
ハールの兄、
我が血筋は途絶えた。王はそう嘆いた。それが兄たちの逆鱗に触れたのだ。当然ながら、全てを引き継ぐと思ってきた兄たちが、全て偽りであったと知ったのだから。必要なのは忌み子ハールただ一人のみ。我々はていのよい隠れ
「……オスタリス」アリエスが、拳を固めた。怒りを抑えているのだ。獣のような扱いをハールにしてきた第一王子。それを優越感と憐憫の眼差しで見てきた第二王子。当然良い感情は無いに違いない。だが――
「…哀れな」アリエスは、どうにか言った。「血の、繋がりなど……俺は一度も父に目を掛けて貰ったことが無いのに…」
それは違うわよ。ハールは思わず口を挟んだ。えっ、とレリオットが顔を上げる。「クザーヌスさん、きっと――その場に居たんでしょう?実際に殺されてしまう所は見てないんだろうけど。だったら何故教えてあげないんです?お父さん――エルメンガルド王が、ハールが死んだのを知ってあんなに泣いたこと」
途端にアリエスが目を剥いた。初めて見るほどの驚愕を露にする。「何……だと…」
クザーヌスが一緒になって目を見開いている。何故…それを……うわごとみたいに呟いており、ハールはアリエスの目を見た。その目が言っている。(本当か?)と。
「――うん」ハールは頷いた。それは流石に変更無いはず…そう思い、付け足す。「お父さん――エルメンガルド王。私も最初は何て性格の悪い奴なのと思ってたけど」
それは全部嘘だったのよ。ハールは喋った。ほんの少し微笑んでしまう。「知られてないけど、エルメンガルド王は…第二王子なの。子供のとき、仲の良かった兄を政界の都合で殺されて」
それで自分が王になった、そう書いてあった。「だから大事なものこそ隠さねばって隠し通してたのよ。要らない子、ハール。烏の如き黒髪を持つ忌み子の王子って。小さいときは寂しかったわよね、でも」
「それは全部ハールのため。
クザーヌスが、口をはくはくさせている。レリオットが固まっており、流石にはっとハールは我に返った。「お、前」レリオットがうわごとのように呟く。「どうしてそんなことを知ってる……?」
ガタン、とアリエスが立ち上がった。黙って外に出て行ってしまう。しまった……ハールは思った。や、やり過ぎた?そりゃあ、長年散々嫌われ冷遇されてきた父親なのだ。いきなりそんな情報ブッ込まれても対処出来ないわよね……
「あ……貴方は」クザーヌスが言った。ほとんど呻き声みたいになってしまっている。賢者の印である目の奥の「扉」――(瞳孔のもう一つ奥にある瞳孔だ)が開いてしまっており、「何者なのです?き、貴殿は一体どういう方なのです?」
ハールは首を竦め、苦笑した。「別に」失笑する。「何者でもない、ただの一般人」
「そ、それがどうしてそんな……」
「そうねぇ」更に肩を竦める。アリエスを追うため扉に駆け寄ると、ハールは――コノカは笑った。
「強いて言うとハールをずっと見てきた人、そんなところじゃない?」
アリエスは、思った通り近くには居なかった。この辺りは廃村になっている。クザーヌスは確かクーデターが起きてすぐいち早く市街に逃れ、身を隠すことで難を逃れたのだから……真っ暗闇のクマでも出そうな廃屋の間を歩きながらハールは呼んだ。「アリエスー?」
ううん、ハール。呼びなおした。少し行ったところの森の際に小さな川がある。崩れかけの狭い半円の橋が架かっており、彼女はそこに座っていた。
「ハール」
返事はない。ちょこんと座っており、橋げたから足を下の流れに向けて下ろしている。これだけ見ればただのお嬢さんだ。だが――
「……すまない」背中で言った。「少し、一人にして欲しい……」
コノカは無視して隣に座った。すとんと腰を下ろす。「……頼む」重ねてハールは言った。「嫌よ」
こうなると思ってた。コノカは思った。一人で泣いているのだ。「聞こえなーい」コノカは言うと耳を塞いだ。「真っ暗闇だし何にも見えないわ」
「……ふ」
はは、ハールが笑った。下を向き、笑っている。その頬にただ涙が流れている――とめどなく。「お、おかしな、人だ……」呟く。「き、嫌われていると、ばかり……」
「嫌ってない」コノカは言いきった。「お父さんも、ユリジェスちゃんも、ハールのことが大好きだったのよ。だからホラ」
懐をまさぐってやる。それは、ハールが館を逃げ出すとき置き去りにしてきた印章を捺した
「これよく見て?」コノカは指さした。こればっかりは、自力で気付いたもの。試しに捺してみたコノカが偶然見付けたものだ。それは指輪の
封印の隅に文字が映っている。そこにはこう書かれていた。
『我が子に神の加護あらんことを』
ハールが目を見開いた。それがとどめになったのか、絶句してしまう。祈らない王、エルメンガルド。だがこればかりは祈ったのだ。ハールが無事であることを。いつの日か、謝罪の日が訪れることを――
「……っ!」
背中を捕まれ、コノカはぎょっとした。だがハールが泣き出してしまう。この嗚咽すら押し殺したものだけど、(聞こえない、見えないわよ)、精一杯知らぬふりをして背中を貸しながら、コノカは暫く夜空を仰いでいた。